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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 71
「長興山紹太寺のしだれ桜」
2011年5月5日

是非一度見たいと思っていた天然記念物「長興山紹太寺のしだれ桜」を訪ねて来ました。

長興山紹太寺へは小田急線入生田駅を下車、徒歩5分ほどで着きます。紹太寺は、江戸時代初期小田原藩主だった稲葉氏一族の菩提寺で、小田原城内にあったものを、第二代稲葉美濃守政則が寛文9年(1699)に現在の場所に移建し、父母と祖母である春日局の霊を弔ったものだそうです。屋根は藁葺で出来ていて珍しい造りに目を奪われます。

     
   
  紹太寺  

紹太寺からお目当てのしだれ桜までは、さらに急な石段や山道を15分ほど進みます。鶯の声に耳を傾け、ミカンや紫陽花の木を眺め、清流の流れに目を癒されながら歩いていると、うっそうと茂った木々の間にお目当てのしだれ桜が見えてきました!

     
   
  しだれ桜  

この桜は「春を忘れぬ形見に」と稲葉政則が植えたもので、樹齢約340年。樹高約13メートル。4月初旬には、巨大な花傘を広げたように開花し、毎年多数の見物客でにぎわうようです。今日は平日で、すでに満開の盛りを過ぎているということもあり、それほど多くの人出ではありませんでしたが、それでも沢山の方が見物に来ていました。

老齢の桜は、花傘の先の太い幹を自力で支えるのが大変のようで、大きな支柱で支えられていました。全盛期に比べ花は少なめですが、手入れの行き届いた、どっしりとした風格ある姿には、他の桜にはない荘厳さを感じます。今までたくさんの桜を見ましたが、長興山のしだれ桜は別格に感じました。

桜の側にはお茶屋さんがあり、川のせせらぎを聴きながらお茶屋さん自慢のお茶とお菓子がいただけます。私は桜饅頭と桜茶、あげ餅をいただきました。桜茶はお湯に塩漬けした桜が入っています。桜の香、桜の花、塩の効いたお茶が、山登りでちょっぴり汗をかいた体に染み渡ります。桜饅頭はきれいな桜色に染まった桜の香のするお饅頭です。あげ餅は油で揚げてありふっくらとして桜茶との相性も抜群でした。

     
   
  桜饅頭とあげ餅  
     
   
  桜茶  

みなさんも樹齢340年の桜が元気なうちに一度は見に行ってください。見事な風格に心打たれますよ。桜茶もぜひ味わってくださいね。

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 93
「春」
2011年4月22日

最初に、今回の地震で被災された方々の一日も早い復興をお祈りいたします。

サクラ、菜の花、つくしんぼ。植物が春を告げている。

     
   
 

長久保公園の菜の花

 

季節がめぐり、花が咲く。地震も似たようなものだと思う。時期がくれば、いつかは起きる。
地球の内部はどろどろに溶けていて、その表面が冷えて固まっている部分を人は大地と呼んでいる。たまに溶けたどろどろの部分が地表に吹き出てくると噴火と呼ばれる。地底の対流を止められない以上、地震をとめることもできない。

地震は自然の一部。天災は仕方がない。しかし、原発事故は人災だと思う。いま現地でたくさんの人が必死になって対応なさっていることは知っているが、放射線が人間の手に余るものだからこそ、万全の防災体制にしておくか、そもそも利用しないという選択はなかったのか。

社団法人 日本原子力産業協会のサイトによれば(「日本の原子力発電所の立地点」http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/data/f0301.html
「現在日本には、北は北海道から南は鹿児島県まで、13道県に17か所の原子力発電所があり、54基・4884.7万kWの発電用原子炉が運転、日本の電力の約3割を賄っています。」
のだそうだ。

さらにgoogle mapで「nuclear fuel(核燃料)」と検索すると、それらしき関連施設もヒットした。神奈川にも核燃料施設が存在するようだ。
これらの施設に大きな地震と津波が押し寄せたらどうなるか。人口密度が高い首都圏で起きた場合、避難しきれるのか。不安はつのる。

原子力発電がなければ、日本の電気が3分の1足らなくなる。
ならば・・個人にできることは電気の使用量を減らすこと。

実は、ここ数ヶ月我が家では電気をたくさん使っていた。昨年末に暖房をガス器具からエアコンに変えたためだ。電気使用料が倍になったが季節的なものだからと割り切っていた。

地震以後、そのエアコンのコンセントを抜いた。すると当然のことながら、電気使用料は半分に戻った。快適生活おそるべし。
このまま夏を越せるだろうか?とりあえず、今年も緑のカーテンを育てることにした。

     
   
 

3月17日、計画停電のため小田急線は
ホームで休止していた

 


---
[おまけ] 計画停電に際し、重宝しているもの
・充電池
・スペーサー
 (単3電池を単1あるいは単2電池として使うための
  ケースのようなもの)
そしてなによりも
・窓(思ったより空が明るかった)

 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 

■コラム: しらすのつぶやき - 46

「はやぶさ」帰還カプセル展示
2011年4月9日

タウン紙で3/24〜3/27までの4日間のはやぶさ展示で約1万人が来場したとあった。この大震災で外出を控えた人が多かったのだろうか。平日の午後に湘南台文化センターこども館に出掛けて行った私は待つこともなく、整理券を手に入れました。

     
   
  湘南台文化センター  

はやぶさ展示会場では6個の展示物があり、その中にはやぶさ探査機のスケールモデル(1/8)がありました。これを8倍しても大型冷蔵庫くらいです。これで宇宙空間を7年も旅して来たなんて、感動です。

     
   
  はやぶさの幟  

惑星「イトカワ」は発見したアメリカの小惑星探査チームが命名権を持っていますが、はやぶさの探査が決まったため、日本で最初にロケットを開発した「糸川秀夫」博士の名前を提案して、アメリカが受けてくれたそうです。

小惑星は太陽系が生まれたころからほとんど姿が変わっていないので、これを調べれば惑星や小惑星の成り立ちがわかります。小惑星「イトカワ」の表面のカケラを地球に持ち帰り、大気圏に突入させ回収することと、はやぶさの役割は下記の3つです。

昔は戦争がいろいろな物を発達させましたが、今は宇宙開発が、新しい技術を進展させるそうです。イオンエンジン・太陽光パネル・耐熱素材などが、これからの私たちの生活を豊かにしてくれるのではと期待が膨らみます。

1.イオンエンジンによる宇宙航行技術を実証すること
2.「自律航法」を駆使した小惑星(イトカワ)への接近・着陸をすること
3.微少重力下で試料を採取すること

参照ページ「チームはやぶさの挑戦」
http://www.nec.co.jp/ad/hayabusa/story/

時間がなく急いで駅に向かう途中、親子で映画の感想を言っているのが聞こえてきた。「迫力があったね!」「いゃあー、感動した。」と言っていたので、これは全天周映画をぜひ見なければと、別の日に再び、湘南台に行き見て来ました。2010年6月13日に帰還するまでのはやぶさのストーリーが“迫力満点”に、そして“感動的”に判りました。

     
   
  宇宙食「たこやき」  

おみやげに買ってみた「宇宙食・たこやき」はサクッと軽くて、味はしっかりたこやきですが、味が濃い目でした。早くのも「はやぶさ2」のミッションがスタートしています。

えのぽウオッチング「はやぶさ帰還カプセル展示と記念講演」
http://e-comm.cityfujisawa.ne.jp/efp/2009-03-28-00-40-33/

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 70
「美を競う椿たち」
2011年4月3日

私の大好きな花のひとつに椿があります。
茅ヶ崎に色々な種類の椿を鑑賞できる有名な場所があると聞き、早速行ってきました。

茅ヶ崎駅の南口を降り、図書館や美術館、高砂緑地が並ぶ閑静な通りを、周りの風景や湘南の冬の街並みを眺めながら散策し、ちょっと遠回りして雄三通りに出ます。

通り沿いのお店をのぞきながら歩いていると、小さな画廊で展覧会が催されていました。絵画鑑賞後の食事会に集う人々の楽しそうな笑い声が通りまで届いてきます。次に現れたのは、古いギターを売っているリサイクルショップ。「掘り出し物はあるかなぁ。」見ていると長くなりそうなのでそこそこに。

15分ほど歩き、雄三通りから路地を入った閑静な住宅街の一角に「氷室椿庭園」があります。

「氷室椿庭園」は、三井不動産の元副社長である氷室 捷爾さん・花子さん夫妻の庭園を、ご遺族が茅ヶ崎市に寄贈したもので、平成3年10月に開園しました。広さ約2,800平方メートルという広い庭園には、椿や松など1,300本におよぶ庭木類が植えられています。 なんと椿は約250種類!!もあるそうです。

お目当ての一つ「黒椿」は、まだつぼみのままでした。昨年の猛暑の影響で今年の椿の見ごろはいつもより少し遅いようです。「氷室雪月花」は氷室さんが名づけられた椿で、「黒椿」「紅唐子」とともに、来園者に人気の椿。「氷室椿庭園」では、きっとあなたのお気に入りの椿が見つかりますよ!

     
   
  明石浮  
     
   
  京小町  
     
   
  孔雀  
     
   
  紅唐子  
     
   
  細雪  
     
   
  参平椿  
     
   
  草紙洗  
     
   
  大虹  
     
   
  日の丸  
     
   
  白頭山  
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 69
「雛祭りにパンナコッタ」
2011年3月3日

女の子が産まれて始めての節句である「初節句」に、嫁方の親が、子供の身代わりとなって災いが降りかからない様に、という思いを込めて贈ったお雛さま。わが家にもそんな思いのこもったお雛さまがあります。

子どもたちは健やかに育ち、娘も毎日元気に「行って来ます」と出かけます。健康でありがたいなって思う日々。毎年飾っているお雛さまのおかげかもしれません。今年もそんなお雛さまを飾って家族で節句を祝います。

いつも家族と一緒に飾っているお雛さまも、子どもたちの成長にしたがって一人で飾ることが多くなってきました。雛人形の横でキャッキャと喜んでくれる娘が居ないとついついお雛さまを飾るのもおっくうになります。

そんな気持ちを振り払いお雛さまの箱を開け、みやびな衣装を着たお内裏さまとお雛さま、金屏風、ぼんぼりなどを飾っていると、いつの間にかおっくうな気持ちはどこへやら。気分はすっかり平安時代です。

     
   
  雛人形  

雛祭りのお祝いに、雛祭り料理を作りました。まずは雛寿司です。今年はひし形のお寿司にしてみました。イクラとプチトマトの赤と錦糸玉子の黄色でお寿司に彩りを添えます。

     
   
  雛寿司  

それと、やはり女の子は甘いものが好きですよね。今年はデザートに雛祭りパンナコッタを作ってみました。

パンナコッタとはイタリアのピエモンテ州発祥の洋菓子で、イタリア語で生クリームをパンナと言いコッタを煮たと言う意味です。生クリームを煮てゼラチンで固めて作るデザートです。

甘くて、クリーミーなイチゴのパンナコッタ。雛祭りを祝うのにぴったりのデザートです。定番の雛寿司とお吸い物、それとイチゴのパンナコッタで娘の雛祭りを二度お祝いしてあげよう! ほんのちっちゃな母の気持ちです。

     
   
  イチゴのパンナコッタ  
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 68
「メダカの卵」
2011年3月2日

リビングに朝日がさんさんと差し込んでとっても気持ちの良い土曜日の朝、私は水槽の横に座り込み、メダカの数を数え、健康体であるかをチェックします。

スイスイ元気にひれを動かしているのは安心。体に傷はないか、大きくなっているか、などもチェックします。おや?中に一匹いつもよりお腹が大きいのがいます。食べすぎたのか、変なものでも食べたかな?と心配になり、じっくり観察することにしました。お腹の大きいメダカは動きも遅く、水草の根っこにすがるようにジッとしています。

「どうしたんだろう?」メダカの近くの水草に、卵のようなツブツブを発見しました。もしかしたらこれはメダカの卵では?じっと目を凝らしてみていると、卵らしき粒が10個くらい固まって水草にくっついています。

さらに水草のあちらこちらに白い点のようなものがあります。餌の食べ残しと思っていましたが、もしかしたらこれも卵かな?水草をゆらしても離れません。メダカの卵には「付着毛」がついていて水草に絡みつくそうなので、間違いなく卵です!!

メダカは、4月から10月の間で、水温は20度くらいの時に産卵するのだそうです。まだ産卵の時期には少し早いのですが、水槽をリビングの日差しのいいところにおいているので、調度良い水温になったのでしょうか。

水草についている卵は別の水槽に移さなければいけません。成魚メダカは子どもが生まれたら子どもと一緒の水槽に入れておくと食べてしまうと聞いたことがあります。卵と水草を別の容器に移して守ってあげなければいけませんね。

今日はとっても嬉しい一日になりました。生命の誕生は人の心を幸せにしてくれますね。昨年の夏にうちにやってきたメダカ。2世が誕生するなんて考えもしなかったことです。メダカ一匹に1リットルの水が必要だとも聞いたことがありますが、水槽を大きくしなくてはいけないかも・・・なんて今からワクワクしてきました。

     
   
     
 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅132
「歴代沈壽官展」
2011年2月18日

薩摩半島の西海岸は、長大な弧をなして南にのび、羽島崎から南はさらに砂浜
がつづき、わずかに入江があるのは、串木野の漁村である。その漁村のわずか
南に島平(しまびら)という無人浜がある。かれら韓人たちは、島平に漂着した。
―呼ベドモ人ナシ。
という荒涼たる風景であったであろう。
「故郷忘じがたく候」 司馬遼太郎

     
   
  図の透彫香炉は十二代沈壽官の作品  

このほど日本橋三越本店で「歴代沈壽官展」があった。パリ三越で催された
「歴代沈壽官展」の帰国記念展である。1月23日に十五代沈壽官さんの
ギャラリートークがあった。
十五代は薩摩焼について解説した。沈壽官さんのゆっくりとした話しぶりは
九州男児らしく、温かでユーモアに富んだものだった。展覧会場の一室に
200人程の聴衆が集まり立錐の余地もなかった。

     
   
  「薩摩盛金七宝繁地雪輪文大花瓶」 十四代沈壽官  

16世紀半ば、日本では茶道が隆盛していて、貴族、武将、豪商らの間で茶器
の人気が高かった。珍しい茶器は武功の恩賞などに用いられ、時には一国に
値するものもあったという。
16世紀末、豊臣秀吉による文禄・慶長の役で朝鮮に出陣した西国大名らは、
朝鮮から争うように多くの陶工を連行した。この時代、日本ではまだ優れた陶磁
器は現れていない。連行された陶工たちは、その後保護されて島津家では薩摩
焼、毛利家では萩焼、鍋島家では有田焼の祖となった。

沈壽官初代・沈当吉も連行された一人である。島津義弘軍に拉致連行された
が、海路で波濤にのみこまれて薩摩半島 串木野に漂着した。
陶工たちは見知らぬ異国で大変心細く、辛い思いをしたであろう。それでも
生きねばならず、自分たちが持つ技術をもとに生きるため、薩摩の山野に陶土を
探し歩いた。後に薩摩焼を代表する白薩摩の陶土を発見するに至っては26年
もの歳月を要したといわれる。
白薩摩と呼ばれる白磁は、朝鮮白磁のように美しく象牙のような肌質をしている。
島津藩は藩主御用窯として幕末まで陶工と白薩摩を保護した。

     
   
  「錦手ネズミを見つめる母娘像」 十二代沈壽官  

薩摩焼が西欧に知られたのは明治維新直前のパリ万国博(1867)である。西国
雄藩の薩摩は徳川幕府とは別に薩摩琉球国として単独で薩摩焼を出品し、その
美しさで欧米諸国の人々を驚かせた。
明治維新後は廃藩置県のため藩が消失し、陶工たちは藩の庇護が無くなり、
廃業に追い込まれ路頭に迷った。しかし十二代沈壽官は薩摩陶器会社を設立
し、陶工たちを束ね薩摩焼の伝統技術の存続に尽力した。
 1873年のウイーン万国博では、十二代沈壽官が中心となって薩摩焼を出品
し、欧米で薩摩焼の評判を一挙に高めた。十二代は薩摩焼を代表する技法の
「透かし彫り」「浮き彫り」を考案した天才の人で、沈壽官窯の中興の祖となった。

     
   
  「薩摩甲虫花瓶」 十五代沈壽官  

会場には歴代沈壽官の作品が100点ほど出品されていた。なかでも十二代の
作品が最も多く展示されていた。精緻を極めた透彫や浮彫の香炉や花瓶、それ
らに繊細な絵がついており、息をつめて見惚れてしまう。十二代の多くの作品を
見ていると、人の一生涯の可能性は無限なものだなと思わずにいられなかった。

http://www.chin-jukan.co.jp/

 「歴代沈壽官展」の開催に合わせて、同じ三越本店の画廊で十五代沈壽官展
が開かれていた。十五代沈壽官さんは、十二代の仕事を追いかけるような印象
があって、この人も大変な作家だなと思った。 1959年生まれ。十四代と同じく
早大を出て、京都・イタリア・韓国などで修業した。1999年 十五代を襲名。
十四代沈壽官さんは、司馬遼太郎の傑作短編「故郷忘じがたく候」の主人公で
よく知られている人である。

     
   
     


※添付の写真は許諾済み

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 67
「メダカ」
2011年2月16日

今朝、メダカに餌をあげようと水槽を覗くと、一匹のメダカの様子が変なんで す。三日前に水槽の水を換えたばかりなのに、メダカの顔の周りに藻が生えた ようになっています。

昔、亀を飼っていた友人が亀の甲羅に藻がつくので、いつもたわしでこすって いると聞いたことがありましたが、亀じゃないのに体に藻が生えるなんて、ま してや三日前に水を換えたときは何とも無かったのに・・・・。

ずーっと見ていても取れる気配はありません。どうしたのか心配になり、メダ カをすくってみると、口に水草が付いて離れません。
恐る恐るひっぱってみると、なんと2センチのめだかの口から5センチくらい のポリエステルの繊維にホテイアオイの根っこが絡んでいるのがにょろにょろ と出てきました。

以前読んだ新聞に「イルカが人間の捨てたビニール袋をクラゲと間違えて食べ て死んでしまう。」という記事を読んだことがありましたが、まさしくこれと 同じ現象が家の水槽の中で起こってしまったことにショックでした。

そのままほっといたら死んでしまっただろうに・・・・。 口から藻を除いてやったらすいすい元気に泳ぎだしたのでほっとしました。 横にいた娘が、「いつも見てあげているからメダカの異常に気付いたんだね」 と言ってくれたのが嬉しかったです。

メダカはいつも元気で泳いでいるのでついついほったらかしていたけど、一日 に一度は「おはよう」と声をかけていてよかったと思った朝でした。

     
   
     
 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 

■コラム: しらすのつぶやき - 45

「本場のインドカレーを作ろう!」
2011年2月3日

本場と銘打ったカレーを作る教室に参加してきました。講師のラス ル氏はインドレストランのオーナーです。この企画は“チーム ピ ース チャレンジャー”大和支部さんからのご案内です。 世界の子ども達の明るい未来のためにと主婦三人で立ち上げたチー ムで、インドの子ども達が作ったミサンガストラップをイベントで 購入したことから知り合い、今回のお誘いをいただきました。

会場は高座渋谷の学習センター「イコザ」の調理室です。食器・調 理器具、何から何までピカピカです。汚しては申し訳ないと思うほ ど綺麗です。

     
   
  完成したカレーとサラダ  

四つのチームに分かれてラスル氏の指示に従って、調理開始です。

○チキンカレーの材料(5人分)

鶏肉:500g  玉ねぎ:小玉5(みじん切り) トマト:小玉5 (ミキサーでペースト状にする・一部サラダ用) ニンニク・生姜: 大匙2(ペースト) カシュウナッツ:100g(ペースト状) スパイス(50g):ウコン・クミン・コリアンダーパウダー・ ガラムマサラ・チリパウダー

○チキンカレーの作り方

1.人数に併せてご飯を炊きますが、炊く時に油をスプーン1〜2 入れる。
2.ニンニク、タマネギはみじん切りにします。トマトは湯むきにし て、種を除きミキサにかけます。(1部サラダ用に取り置く)
3..鶏もも肉は大きめに切り、塩・コショウで下味をつけます。 鍋にサラダ油大さじ2を熱し、鶏もも肉を入れ、焼き色がつくまで よく焼いて取り出します。
4.同じ鍋にサラダ油大さじ3を足し、クミンシード、ニンニク、 ショウガ、タマネギを入れて茶色になるまで炒めます。

     
   
  玉ねぎを茶色になるまで炒めました。  

5.ペースト状のトマト、塩、スパイス類を加え、沸騰したら鶏肉 を加えて煮込みますアクを取り、弱〜中火で鶏もも肉に火が通るま で蓋をして煮ます。

     
   
  トマトを入れました。  

6.トマトの水気がなくなってきたら、仕上げにガラムマサラを加 えて味を調えます。

     
   
  手作りドレッシングの材料は、
玉ねぎ・トマト・マヨネーズ
 

調理室はスパイシーな香りに包まれ、食欲が増します。カレーの出 来上がりに併せて、ラスル氏がドレッシングとチャイティーを素早 く作って下さったので、カレーとサラダがますます美味しくいただ けました。

     
   
  「いただきま〜す。」  

食後、“チーム ピース チャレンジャー”に関する案内の時間が取 ってありましたが、次の予定が入っていた私はここで失礼してしま いました。3月19日にインドへのスタディツアーが出発します。
チーム ピース チャレンジャーのHP⇒ http://peace3hse.com/index.html

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 92
「第5回湘南国際マラソン」
2011年2月2日

2011年1月23日、第5回湘南マラソンが行われた。 フルマラソンのエントリー数は18000人、出走者15474人。
西湘バイパス大磯西ICからスタートし、江の島入り口で折り返し、西湘バイパス二宮 ICで折り返し、大磯プリンスホテルでゴール。制限時間は6時間。 今年も水族館の近くに見に行った。
朝9時の気温は6度、日中は9度、天気は曇。 参加者には走りやすい涼しさだったようだ。日中の気温が20度を超えた前回大会の完 走率は86.60%、今回は90.9%となった。 風がほとんどなく、見る側としては寒すぎなくてよかった。

マラソンの応援で一つ楽しみにしていることがある。それは仮装ランナーを見ること。

     
   
 

 

 
   
 

 

 
   
 

 

 
   
 

 

 

ほかにもスパイダーマンやナウシカの姿で走った人がいたようだが、見のがしてし まった。
仮装ランナーには声が掛けやすい。相手を知らなくても、仮装のキャラクターの名前 を呼べばいいからだ。「うさちゃんがんばれー、パンダさんがんばれー」と着ぐるみ パンダさんや、うさ耳のついた帽子をかぶって走るランナーに声援が飛んでいた。知 人にも見つけてもらいやすいだろう。 それにしても、普通のウェアよりも重いだろうし、空気抵抗もありそうだ。季節に よっては暑いのではないだろうか。
ただでさえ苦しい42.195kmを、仮装までして走ろうという根性に拍手!

さて、服装といえば今年の参加賞は黄色いTシャツ。
背中には「ランナーを勇気づけるメッセージ(全10種類)」(公式サイトより)
走りながら他のランナーを勇気づけることができる、小粋なデザイン。

     
   
 

 

 

肩にもワンポイント。こちらはデザインだとわかりやすいが・・・。

     
   
 

 

 

「今回のロゴは、湘南の波と風をバックに力強く走るランナーをイメージし、日本 古来の墨絵という手法を用いてデザインしました。」(公式サイトより)
ロゴの回りの黒い模様、これが湘南の波と風を現わしているのだろうか。デザイン か、しみか、これは意見が分かれそうな気がする。

     
   
 

 

 

完走賞はメダル。変わった形だった。

     
   
 

 

 

この日の夕方、藤沢駅で走った帰りとおぼしき方々を見かけた。 大会のTシャツやメダルをかけていらっしゃる分かりやすい方々もいたが、運動着を 着て、額に塩をふき、手すりを使って用心しつつ下り階段をがくんがくんと降りてい る様子がフルマラソン直後という印象を受けた。
みなさまお気をつけて。来年もまた大会を盛り上げてください。

[ご参考]
湘南国際マラソン の公式サイト
http://www.shonan-kokusai.jp/

 
市民記者 No.106 東善治
 
■コラム:逍遥ー24
「―引地川下流域にゆりかもめが乱舞―」
2011年1月26日

船競う堀江の川の水際(みなきは)に
    来(き)居(ゐ)つつ鳴くは都鳥かも
        大伴 家持 万葉集 巻20 4462 


「都鳥」と「ゆりかもめ」は、明らかに種を異にしていますが、万葉の時代はゆりかもめを都鳥と言っていたようです。
いきなり万葉の歌を持ちだして恐縮ですが、ゆりかもめは,天平の時代(756年)にも、歌にも詠まれるほど人々に身近な存在であったようです。

     
   
 

「ゆりかもめの夫婦か 仲良く一休み」

 

引地川にも、冬には越冬のために飛来し、作橋を少し上がった鉄管の上が、彼らの餌場であり、休息する場所でした。

筆者は、毎年お正月に、引地川への散歩に出かけますが、鉄管の上のゆりかもめの一列横隊の様子は、その姿から絵になる光景でした。

     
   
 

「5前のお正月に撮影したものです」

 

また、夕暮れになると太平橋の電線の上が、彼らのがねぐらに帰るための休憩場所となっていました。

     
   
 

「夕暮れに太平橋上部の電線で一休み」

 

所が、ここ数年、鉄管の上も川鵜のみで、ゆりかもめの姿を見かけなくなっていました。

     
   
 

「川鵜のひとり舞台」

 

その原因は、橋の上への鳥のフン公害をなくすため、電線の上に細い線を張り2重にして、鳥たちが電線を掴めない様にしたことが、その一つと考えられます。

しかし今年は、ゆりかもめが引地川に帰ってきており、拠点を富士見橋に移し水面を乱舞しています。
藤沢の自然を愛する筆者としては、フン公害の問題はあるにしても、大歓迎です。

     
   
 

「富士見橋上部の電線にて」

 
     
   
 

「水面を乱舞しています」

 

所で、鳥たちも、生きてゆくための工夫は欠かさないようです。
太平橋の上のかの電線を良く観察してみると、上部に細い線を張っている留め金を横に倒して、電線を掴めるようにしています。素晴らしい進化でしょうか。

     
   
 

「留め金が横に倒れているため
電線を掴めるようになっています」

 

その代わり、太平橋の上は、ご覧のあり様です。
これではたまりません。

     
   
 

「太平橋の上は鳥たちのフンで真っ白です」

 

ここは藤沢市としても、ゆりかもめなどの鳥たちとの共生のため、ひと踏ん張りしてもらいたいものです。

そのための一つの提案として、鳥たちが止まって休める場所を橋の上にかからない別の場所(フンが川面に落ちる場所)に設けるなど、工夫も必要のようです。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅131
「新年おめでとうございます」
2011年1月5日
     
   
     

謹 賀 新 年
本年もよろしくお願い申し上げます


今年のお正月も、藤沢は好天気に恵まれました
皆さまも楽しいお正月を過ごされたことでしょう
陽気につられて、元旦は家内と江島神社へ初詣でした
波がいいのか片瀬海岸には多くのサーファーたち

     
   
     
   
     

正月2日は例年どおり箱根駅伝の応援です
浜見山交差点で校友会の皆さんと校旗を立ててアツーイ声援!
早稲田は18年ぶりの総合優勝でした 長かったですねえ・・
東洋大の柏原君 ことしもステキな山登り・・早よ卒業してくれ!

駅伝のあとはラグビー早明戦(大学選手権 準決勝戦)をテレビ観戦
74−10と期待はずれの大差をつけ早大の圧勝でした
明治の吉田義人監督は学生時代からファンなんだけどなあ〜
また春からガンバレ!

     
   
     
   
     

今年もまた私はウォークと会報編集の一年になりそうです
そんなことをして なんとか健康もクリア出来ているのかも知れません
皆さまもどうぞ健やかに この一年をお過ごしください

(元旦江の島 参道沿いの食堂が火事!幸いにも無風でした 特報写真!)

     
   
     
   
     
   
     
   
     
   
     
 
市民記者 No.104 影法師
 
■コラム:道連れ
「初詣」
2011年1月1日

好天に恵まれ2011年が始まりました。藤沢に住み始めて28年目の新年を迎えました。初詣は遊行寺にお詣りをしています。今年はいつもと違う光景に会いました。待たないとお詣りが出来ないほど混んでいたことです。

     
   
  遊行寺の新年  
     
   
  並ぶ人  
     
   
  お札を配るお上人(グレーの衣の方)  

私は、よく世界平和を祈願していました。今年は、世界平和を祈願しなくてもよくなることを祈願しました。迷彩柄が世界共通の軍服には飽きました。

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 91
「大きな木、小さな木」
2010年12月31日

7年近く、ある借家にお世話になった。そこで気に入っていたのは、なんといっても周りの環境だ。周囲に昔からのお宅が多く、年を経た見事な木が多かった。

     
   
 

借景の一つ、松と桜

 

松と桜のほかにも木蓮、藤、沈丁花、金木犀、紅白の梅、椿、楓、オオムラサキにドウダンツツジ。さらにアヤメ、紫蘭、薔薇、ヤブカンゾウ、萩、紫陽花、ユキヤナギ、コデマリ、千両、万両、スミレ類、はたまたカキにビワにユスラウメ・・・花が、葉が、実が、季節ごとに目を楽しませてくれた。

草木が豊かなせいか、メジロやヒヨドリ、オナガはもちろん、ジョウビタキやコゲラも姿を見せた。春は明け方からウグイスがうるさく鳴いて、春眠暁を覚えず・・・を邪魔してくれた。

草木は虫も呼んできた。これは好き好きかもしれない。スミレ類にはツマグロヒョウモン、ウマノスズクサにはジャコウアゲハ、エノキにはアカホシゴマダラ、かんきつ類にはアゲハ、タブノキにはアオスジアゲハ、ミニ池にはトンボ各種、合わせてハチだのクモだのも多種多様。あの庭や借景にどれだけ心なぐさめられたことか。

さて
今の住まいには庭がない。代わりに公園や人様の庭先の植物を拝見して楽しんでいる。今の季節はユズやキンカンなどのかんきつ類、千両、南天や椿が季節を教えてくれる。

借景も楽しいが、場所がなくても木を楽しむ方法はないものだろうか。秋に行われた長久保公園の緑化祭ではコケ玉の作り方の講習会をやっていた。盆栽より手軽でとっつきやすそうだ。

     
   
 

つくっ(てもらっ)たコケ玉 
四万十川のハイゴケをまいたもの

 

こちらはコケ玉を真似して作ってみたシダ玉

     
   
 

クッションモス(シダ類)を巻いたもの 
カエデの剪定枝を挿してみた

 

君たちはどのような木になるだろうか。ともに歩んで行こうではないか。

みなさまにとって来年も良き年でありますよう。
2010年 年末  本野木阿弥 拝

 
市民記者 No.108 キバライトトンボ
 
■コラム:トンボのメガネ - 23
「藤沢炒麺を作っちゃいました!」
2010年12月31日

藤沢炒麺って知ってますか?

見たこともないし!
食べたこともない!
そんなとき
なにげなく広報ふじさわを見ていたら
地産地消講座、「家族で食べよう藤沢炒麺」を目にしたので
思わず応募してしまった。

     
   
  野菜を取るのは快感!?  
     
   
  取立のキャベツ!  

12月18日(土)9時半に藤沢市役所本館前ロータリーに集合
マイクロバスに乗車して遠藤の農園(遠藤圃場)に移動
農園で新鮮な大根、人参、ネギを収穫させてもらいました。

     
   
  立派な大根!  
     
   
  どう見ても人参!  

この歳になって大根を抜いたのも!
人参を抜いたのも!
ネギを抜いたのも!
初めてで感動です!
(ブロッコリーもサービスで取らせてもらいました。)

早速、収穫野菜をもち遠藤公民館の調理室に移動して
料理準備に取りかかった。
料理講師は藤沢炒麺考案者の田中みのりさんです。

     
   
  それでは藤沢炒麺とは?  

藤沢炒麺とは

・ 藤沢産小麦で作った地粉めんを使用
・ 藤沢産の食材(野菜・お肉・その他)
2品以上、具に使用したのが藤沢炒麺である。

作り方は

@ 藤沢の地粉めん(うどん乾麺または生中華麺)を熱湯で3分
 ゆでて水を切る。(蒸し麺はそのまま使用)
A フライパンにごま油を熱し、お好みの藤沢野菜や肉(豚がオススメ!)
 魚介類などを強火で炒める。
BAに@を加え、鶏がらスープ・塩胡椒で味を整え1分炒めてできあがり!

お好みでラー油をかけて。

     
   
  皆さん真剣です!  
     
   
  美味しそう!小さいお皿は生麺です  

調理は女性6名男性2名(主婦が大半だったので?)
そして先生の教え方が完璧でしたのでスムーズにいったようだ。
それでは試食開始「いただきまーす!」
1時間前に収穫した野菜を使っているので美味しかった!

藤沢炒麺は思ったより簡単にできました。
藤沢市民は知っていると得するレシピです、本日の関係者の方
お疲れ様でした。

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 66
「2010年深大寺がちょっと凄い! Vol.2」
2010年12月23日

「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんは、鳥取県の境港の生まれですが、第二のふるさとが調布市。その中でも今も武蔵野の面影を感じられる深大寺がお気に入りの場所なのだそうです。そう、今にも妖怪が出てきそうな雰囲気が…。で、でたぁ!妖怪だぁ!

     
   
  妖怪たち  

ここは、深大寺の門前にある「鬼太郎茶屋」。築40年の懐かしい造りで、ここには今でもたくさんの妖怪たちが住みついているようです!

     
   
     
   
  鬼太郎茶屋  

「鬼太郎茶屋」の店先では、鬼太郎とねずみ男が出迎えてくれます。
そして…すぐ目に飛び込んできたのは、蒸したての「目玉のおやじまん」。そば粉で作った皮に中はこしあんです。蒸したてのお饅頭は甘さ控えめ、一口ほお張るとあんがとろりと口の中で溶けます。何個でも食べられますよ。

     
   
  目玉のおやじまん  

「目玉のおやじまん」の隣には「じゃころっけ」の暖簾が! 「何じゃこれ?」と言いながら寄って行くとコロッケの上に「じゃこ」が・・・・。これはどうやら、水木さんのふるさと鳥取県の境港で水揚げされたちりめんじゃこをコロッケの具にも衣にも入れて揚げたもののようです。

待合の椅子では揚げたての「じゃころっけ」を食べようとたくさんの人たちが待っています。熱々のコロッケはちりめんじゃこがコロッケの上で跳ねています。サクサクして中はホクホクとっても美味しいです!

     
   
  じゃころっけ  

腹ごしらえをしたあとは、妖怪ギャラリーを鑑賞します。「100円入れて2階へどうぞ」と書いてある古めかしい黒光りした狭い階段を登っていくと、「跳んではいけません床が抜けます〜」という注意書きがありました。・・・まさに妖怪屋敷!!

階段途中の小さい扉を開けるとそこには妖怪たちが・・・。破れた襖を覗くとまたまた妖怪。部屋のいたるところに妖怪が潜んでいて私たちを出迎えてくれました。

     
   
  小窓に潜む妖怪  

「鬼太郎茶屋」でお気に入りのお土産を見つけました。それは「妖怪どんぶり」です。どんぶりの中にクッキーが入っています。クッキーを食べ終わったあとはどんぶりを使った料理が作れます。「目玉の親子丼」を作ってみんなに食べさせようかなぁ。 楽しみだわ・・・うふふ。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅130
「藤沢素描(21) 辻堂海浜公園のイルミネーション」
2010年12月16日
     
   
     

12月も中旬になると、木枯らしのような冷たい風も吹きだした。この
季節、散歩は夕方に鵠沼運動公園から県立辻堂海浜公園へ出ることが多い。
いま頃は4時半のチャイムが鳴ると日が暮れる。

     
   
     

辻堂海浜公園では、先週から師走恒例のイルミネーションが始まっている。

辻堂海浜公園 イルミネーション&ライトアップ
花と海と光のハーモニー 2010

北入口のこの花壇の周囲では、今夏5本のリュウゼツランが黄色い花を同時に
咲かせた。センチュアリ− プラントといわれるほど、滅多に見られない花だ。

     
   
     

北入口をまっすぐ進むと花の庭があり、そこでイルミネーションが輝いている。
こども達の声が弾む。赤や青のLEDライトをキラキラさせて、仔犬たちも一緒に
駆け回っている。

     
   
     

江の島水族館もびっくり!
「これなあーんだ?」「なにがいる?」 こども達が口々に叫ぶ・・
ペンギン たこ いか いるか クジラ かめ まぐろ
 ひらめ くらげ イセエビ かに ・・
若いファミリーはいいな! みんなシアワセそう!

     
   
     

「ことしはイルミネーションの数も増えてきれいね」という声が多かった。
軽快なクリスマスメロディーやジャズが、風に乗って聞こえてくる。

     
   
     

イルミネーションは12月25日まで。期間中日曜、祝日にはステージで
音楽イベントもあるらしい。いちどお出かけになってはいかがでしょう。
夕方、相模湾ごしに見る富士山や伊豆・箱根連山のシルエットもこの
季節は特にきれいです。

http://www.kanagawa-park.or.jp/tujidou/news.html

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 65
「2010年深大寺はちょっと凄い! Vol.1」
2010年12月15日

みなさん、深大寺(じんだいじ)をご存知ですか?そう、今年、NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のロケ地として有名になった、あの深大寺です。

深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると、満功上人(まんくうしょうにん)の父福満(ふくまん)とある豪族の美しい娘が恋に落ちたのですが、娘の両親の反対にあい、二人は仲をさかれ、娘は湖の小島に隔離されてしまいました。

そこで、福満は深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願したところ霊亀が現れ、彼を島へ連れて行ってくれました。このことを知った娘の両親は、二人の仲を許し、そして生まれたのが満功上人です。

上人は、父の深沙大王を祀ってほしいという願いをきいて733年に寺を建てました。
それが、深大寺です。この恋物語により深大寺は縁結びの寺としても有名なのです。

     
   
  深大寺山門:300年前に建立され
慶応元年の大火を免れた境内最古の
建造物です
 
     
   
  元三大師堂:ここに祀られている
元三大師(がんざんだいし)が、
深大寺の信仰の中心であったようです
 
     
   
  深沙大王堂:ここに祀られている深沙大王像は、
開山した満功上人の作で、
縁結びの神としてあがめられています
 

深大寺といえばもう1つ有名なものがあります。「深大寺そば」です! 深大寺の周辺にはお蕎麦屋さんが多く、20軒近くものお蕎麦屋さんが軒を連ねています。

江戸時代、深大寺の北の大地は米の生産にむかないため、小作人はそばを作り、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、「深大寺そば」の始まりと伝えられています。

店に赤い毛氈が敷かれ茶店を思わせる作りは、江戸時代のお茶屋の雰囲気でしょうか。土間つくりで総ガラス張りのお店は今では見かけることの少ない珍しい造りです。そばを食べる雰囲気が十分整っているところで、山菜そばを注文しました。

     
   
  深大寺そばの店  

蕎麦だしは濃い醤油色、関東風のおだし。手作りであろう不ぞろいのお蕎麦が食欲をそそります。山菜とお蕎麦をたっぷりのだし汁に浸して一気に食べました。味は昔風、素朴なお蕎麦です。

     
   
  山菜そば  

あと19軒あまりあるお蕎麦屋さんの味はどんな味かなあ。深大寺そばの食べ歩きもいいですね。私の食欲はまだまだ尽きないのであります。
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 64
「新幹線に乗って青森へ行こう!」
2010年12月2日

12月4日東北新幹線が八戸駅(青森県八戸市)から新青森駅まで延伸し、いよいよ新幹線は本州最北まで開業することになります。これにより、東京駅から新青森駅間(713.7キロ)を最速3時間20分で新幹線「はやて号」が結びます。

新幹線の延伸を目前とした11月下旬、八戸駅で東北新幹線から特急白鳥に乗り換え青森県の弘前に行ってきました。

青森県は、三方を海に囲まれた、海の食材の宝庫であり、昔ながらの伝統や知恵が詰まった郷土料理が有名です。今回の旅では、美味しいものをたくさん食べてきました!

まずは、陸奥湾で養殖された肉厚ホタテ。ホタテを卵や野菜と一緒に煮込んだ「貝焼きみそ」の郷土料理は、鍋代わりとなる貝殻で煮込んで出てきます。ふわふわの卵と野菜、肉厚なホタテが一口ほお張るとジュワッとうま味をだしてくれます。

お次は、さまざまな山菜、凍豆腐、野菜を細かく刻んで煮込み味噌で味付けした「けの汁」。素材の味を活かし、薄味で野菜の旨みのとけこんだあっさりした汁料理です。

それから、鍋に肉や野菜をたっぷり入れ、小麦粉と塩で作った南部せんべいを入れて作る「せんべい汁」。せんべいに美味しいおつゆが染みこんで、つるっと口に入って体をぽかぽかに温めてくれます。

弘前まで行って、何だか食べてばかりのようですが、ちゃんと観光もしてきましたよ。

文学好きな人なら一度は行ってみたい、五所川原市にある太宰治記念館「斜陽館」。明治の大地主、島津源右衛門(太宰の父)が建築した入母屋造りで、日本三美林のヒバを使い建てられた豪邸です。資料館の中には太宰の苦悩の歴史が刻まれています。

     
   
  太宰治記念館 「斜陽館」前  
     
   
  太宰ラーメン 太宰が好きな筍入り  

東北三大祭りで有名なのは青森市の「ねぶた」ですが、弘前にも「ねぷた」があるのはご存知ですか?青森の「ねぶた」と、弘前の「ねぷた」の違いは、山車の形と掛け声です。

弘前の「ねぷた」の山車は扇形が主流で、正面の絵が鏡絵といい三国志や水滸伝などの勇壮な絵が描かれ、後面は見送り絵といい正面とは対照的に愁いを含んだ美人絵が描かれています。かけ声も、青森が「ラッセラー」、弘前は「ヤーヤドー」と全然違います。面白いですね。

     
   
  弘前「ねぷた村」では常時
「ねぷた」を展示してありました。
 

東北新幹線に乗って東京から3時間20分、日帰りでも青森の食や文化を楽しむことができるようになりました。ぜひ一度行ってみてくださいね!

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅129
「藤沢素描(20) カステラ銀装」
2010年11月25日

辻堂新町の「湘南フィル」モールの近くに「Cafe ラ・サール」がある。「カステラ
銀装」というカステラ屋さんが経営する明るく開放的なお店。昼どきは軽食も
あり、いつも楽しそうなお客さんの笑顔があふれている。

     
   
     

最近このお店の前に「大阪産(もん)」という白いのぼり旗が立った。「大阪産
(もん)」とは、大阪府が大阪の食の名品で50年以上も府民から愛され続けた
ものに対して、全面的にバックアップし全国にPRするものだとか。この10月に
「銀装カステラ(青箱)」が認定されたらしい。(HP参照)

http://www.ginso.co.jp/

「ラ・サール」の裏手に藤沢工場があってカステラ等を焼いている。この工場から
関東と関東以北に商品を出荷する。HPによると藤沢工場は昭和58(1983)年に
できた。ことしで27周年。大阪の羽衣工場と合わせ重要な製造拠点である。

「カステラ銀装」は昭和27(1952)年、心斎橋で創業し、本社は今もここにある。
このころ、私は大阪の小学5年生 紅顔の美少年時代だし、なにせ食いもんの
事だから良く憶えている。思い出すままに当時の事を書いてみよう。

まずは「銀装カステラ」という商品名だが、今の人には少し分かり辛いかと思う。
「カステラを銀紙で包装していて・・それがどうしたの?」

昭和27年 大阪。米、小麦粉はもちろん醤油や砂糖、塩・・物資が少なく殆んど
が配給制か量り売りの時代だ。ぼく達の放課後の遊びも三角ベースの野球で、
グラブは布製だった。ピンポン(卓球)が始まった時は、ラケットは木製でラバー
なし。文具・紙や印刷も粗末なものでたまたま雑誌の懸賞に当選して、きれいな
ノートが送られてきた時は、夢心地だったのを今でも忘れられない。

そんな時代に「銀装カステラ」がデパートで発売されたわけだ。昔のデパートは
いまと異なり輝いていたよ!デパートの新聞広告に「銀装カステラ」の商品名が
載っていた。大阪駅前の阪神百貨店では、正面の陳列ケースに銀装カステラが
飾られていた。あの時代に、よく金色のカステラを作れたものだ。舌の上で溶ける
ようなカステラだよ!銀装・・キラキラで鏡のような銀紙だよ!そんな感激や幸せ
が一杯詰まったネーミングであったことを想像して上げてほしい。
母はこのカステラをよく遣い物にしていた。風呂敷に包んで実家などを
訪ねていたものだ。

     
   
     

先週ウォーキング協会の例会で、私は「カステラ銀装」の近く、引地川に
かかる高山橋付近でウォーカーの皆さんを誘導した。大和市や湘南台から
ウォーカーがやって来るのに時間があったので、開店したばかりの「ラ・
サール」に立ち寄って、朝に焼いたばかりのどら焼きを求めスタッフと
食べた。甘さが抑えられ、上品で美味しいどら焼きだった。

戦後、経済が成長し、国も豊かになっていくうち、食材も豊富に出まわり
いつしか食生活や食文化も変わった。洋菓子やデザート、そして和菓子も
味だけでなく外観も素敵になり、まるでアートのようだ。
その点カステラ業界はなかなか展開が難しいのかも知れない。それでも
際限ない食の多様性のなかで、よく健闘している。
「カステラ銀装」藤沢工場は27年の歴史がある。この間、納税と雇用で
藤沢市にもずいぶん貢献してきた。郷土の名産として、みんなで応援して
あげたいと思う。

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 63
「菊花展」
2010年11月22日

菊の季節になるといつも、小学校の理科の授業で「大輪の菊作り」をしたこと を思い出します。春から挿し木をして、菊を一人一本育てるのですが、クラス で誰が一番綺麗な花を咲かせるか競争でした。

朝早く学校に行っては水をやり、「大きくなれ」と声をかけていたものでした。 虫に食われたのか腐ったのか、花の一部が茶色になった時は本当にがっかりし ました。
あれほど夏休みも水やりに来たのに・・・・など思ったりして・・・。

手間をかければ全て綺麗な花が咲くというものでもありません。子ども心に菊 作りの大変さを感じたことを覚えています。秋になって、みんなで一斉に大輪 の菊を花壇に並べた時は、達成感でいっぱいでした。

小さい時は何でも挑戦してみるものですね。今でも菊にはとても興味があり、 綺麗な菊の大輪をみると、菊を育てた方の喜びや苦労まで共感してしまいます。

秋になるとあちこちで菊花展が開かれていますね。大船フラワーセンターでも、 10月28日(木)から11月23日(火)まで、神奈川県菊花大会が開催されています。 入口を入ってすぐの場所に張られた催しテントの中に、丹精込めて作られた大 輪の菊が咲き誇っています。

丹誠込めて作られた菊をお楽しみください。

     
   
  「懸崖作り(けんがいづくり)」
断崖の上より垂れ落ちるようにみせる小菊。
蓑亀形や静岡形などがあります。
 
     
   
 

「厚物(あつもの)」
花径が大きく、数百枚の花弁が花芯の中央一点に
向けて鱗状に高く盛り上がっ たものが
良い花だそうです。

 
     
   
 

「厚走り(あつばしり)」
厚物の下部周辺から太い管状または匙弁が四方に
勢いよく出ています。

 
     
   
 

「太管(ふとくだ)」
太管は太い管弁からなり、短い弁は放射状に
花心を囲み、外周には長い弁がたれています。
弁数が多く美しく並び、花が大きく弁先がよく
巻いているものがよいものだそうです。

 
     
   
 

番外編「野菊」
蝶がしきりに蜜をすっていました。
甘いのでしょうね。長閑な秋の日の風景です。

 
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 62
「手作りメンチカツに挑戦!」
2010年11月19日

日本の食卓に定番のメンチカツ。今日は、メンチカツ作りに挑戦です!

メンチカツは、豚肉や牛肉の挽き肉に、タマネギのみじん切り、食塩、こしょう などを混ぜて練り合わせ、 小判型にまるめて、小麦粉、溶き卵、パン粉からな る衣をつけて油で揚げて作ります。衣を付けるまでは ハンバーグと同じです。

作り方は簡単ですが、ポイントを知っているともっと美味しくできますよ。

タマネギは、ハンバーグを作るときよりも粗く切ると、シャキシャキとした歯 ごたえがでます。また、ス ープを大さじ2杯ほど加えることで、たねが軟らか くなり、ジューシーなメンチカツになります。

小判型に丸めるときの厚さは3センチくらい。揚げ油は低めの160度で約8分、そ の後200度で1分揚げると、 中はジューシー外はカラリと仕上がります。低めの 温度で揚げることによりジューシー度がさらにアップす るのです。黄金色に揚 がったメンチカツに食欲がそそられます!

メンチカツの付け合わせに、たっぷりのきゃべつとシジミの赤だし、竹輪のきん ぴらを用意しました。

シジミは旨みが逃げないように、少量の塩を入れて砂出しします。その後水にシ ジミを入れて沸騰させ赤味噌をいれます。赤出汁の場合、普通のお味噌と違い 味噌を入れてからも少し沸騰させるとさらに良い味にな りますよ。

次は竹輪のキンピラです。甘辛く煮たキンピラにピリッと唐辛子もいれてできあ がり。

12月の忘年会シーズンは、中までジューシーに揚げたメンチカツと新米ごは ん、竹輪のキンピラ、二日酔いに効くシジミの赤だしをたっぷり飲んで乗り切ろ う!っと。

     
   
     
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 90
「日常に非日常を・・ 鮮魚市へのお誘い」
2010年11月16日

市場が好きだ。漁港はもっと好きだ。何があるかわからないというところがいい。普段の食卓に、普段使わない食材を使うだけで、なんだかわくわくしてくる。そしてその非日常体験がお手軽価格でできるというところもいい。
広報ふじさわで「湘南ふじさわ産地産地消推進週間」の特集を読んで、久しぶりに漁港に行ってみた。

     
   
 

「広報ふじさわ」2010年11月10日号の記事

 

片瀬漁港ではその日水揚げされた鮮魚を直売している。当初火曜のみだったが2010年11月現在、土曜をのぞくほぼ毎日開催となっており、落ち着いて買うことができるようだ。

     
   
 

 

 
     
   
 

 

 

買いたい人は、自分の番が来たら青いかごを持ち、欲しい魚を入れていく。

     
   
 

 

 

この日はシイラ、ホウボウ、カワハギ、カマス、カツオなどが並んでいた。
その日の朝の水揚げについては、スタッフによるブログ(後述ホームページ参照)でも知ることができる。希望者はメールで情報を送ってもらうこともできるそうだ。
ほかに、カンパチやカワハギのいけすもあった。買った魚はその場でおろしてもらうことも可能。

     
   
 

本日のお買い物・・マルアジ、カマス、ヤガラ、
計490円なり

 


マルアジは刺身に、カマスとヤガラはブイヤベースにした。和風と洋風という組み合わせはともかく、素材のおかげで味はよかった。
ホームページ(後述)によれば、「観賞魚販売」のコーナーがあり、網にかかった生体の一部をペットとして販売しているようだ。運がよければあの海の巨大なダンゴムシ、オオグソクムシもいるらしい。何がいるかわからない、これも漁港ならではの楽しみと言えるだろう。

     
   
 

富士三種:富士山と、富士山状にまとめられた
網と、網についていたフジツボが砕けてできた砂

 


[ご参考]
「湘南ふじさわ産地産地消推進週間」に関する「広報ふじさわ」の記事、ネット版
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/khf101110/sisei01.html
江の島片瀬漁業協同組合 ホームページ
http://business4.plala.or.jp/ek1qaz/index.html

その日の朝水揚げされた魚をいち早く知らせる「今日の魚Blog」、や毎月第一日曜の「朝市情報」、普通の観賞魚とは一味違う「観賞魚販売」など盛りだくさんの内容。ぜひご一読あれ。

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 61
「きのこと鰯は秋の味」
2010年11月6日

秋の食材が美味しい季節になりました。
秋の味覚を満喫するため、きのこおこわ、鰯(イワシ)の生姜煮、きのこ汁を作りました。

きのこ料理は素材の味を生かした薄味が好まれます。
和食の基本は素材の味を上手に引き出し、薄味で仕上げることです。
そのために調味料はほんの少ししか使いません。

きのこおこわは、素材の味を生かすためかつおと昆布でだしをとります。
もち米とうるち米を混ぜ炊飯器で炊きます。
具は、きのこ、山菜、筍、人参、鶏肉など淡白な味のものを使います。
きのこは、しめじやしいたけなど色々な種類のきのこを使います。
「かおり松茸味しめじ」と言われるように、アミノ酸などが多く含まれるので味の良さは折り紙つきです。
秋をイメージして人参はもみじで型抜きしてみました。ご飯の中に真っ赤なもみじを楽しめます。

秋の鰯も脂がのってとってもおいしいです。
鰯は「弱し」ともいい身が軟らかく鮮度落ちも早いため手早く調理します。
煮てよし、焼いてよし、揚げてよし、生でよしとどんな料理でも美味しいのが鰯です。
鰯の生姜煮は煮汁が煮立ってから入れます。
煮立ってから入れることによりお魚の生臭みも取れ煮崩れも防ぎます。
また落し蓋をすることにより、煮汁がお魚にしみこみ、お魚は裏返さなくても綺麗に仕上がっています。

素材の味を活かした料理で、秋を満喫してくださいね。

     
   
  きのこと鰯が秋の味でした  
 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 

■コラム: しらすのつぶやき - 44

「キャンドルナイト」
2010年11月5日

遊行寺での「お月見キャンドルナイト」を見て、暗闇に浮かぶキャンドルの灯りはいいな〜と思っていたところ、またしてもキャンドルのイベントに出会えました。

     
   
  遊行寺キャンドルナイトー1  
     
   
  遊行寺キャンドルナイトー2  

そこは「あとりえ梅庵」。

     
   
  あとりえ梅庵  

鵠沼桜ケ岡で丸窓が目印の一軒家がアトリエになっています。お月見の頃に5人が集まった「梅の夢」というイベントでした。

5人の中のお一人が、キャンドル作家の「Ran☆s Candle Factory」さん。初めて訪れたアトリエで、描き文字・藍染め・古書(アメリカ映画の記録)を見て、美味しいコーヒーで寛いでいるうちに日が落ちる時間になっていました。

     
   
  洗面台と灯り  

あちこちに置かれたキャンドルに灯が点されると、今までとは違ったふんわりとした空間が浮かんできました。

     
   
  廊下をほんのり照らす灯り  

この折、あとりえ梅庵オーナーの丸山晶子さんからこの家の改装の苦労話をお聞きしました。

     
   
  水に浮かぶ灯り  

展来会の時しか開きませんので、次回カレンダー展11/13〜5,19〜21
での開館をお楽しみに!

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅128
「鳥羽美花展@薬師寺」
2010年11月4日

10月23日 小春日和の午後、胸をときめかせて薬師寺の境内に入った。
この日2時、鳥羽美花さんによる自作のギャラリートークがあった。

     
   
     

2時よりも大分早く、展覧会場の聚寶館に行くと、まだ人がまばら。受付
に立ち寄ると、展覧会の図録が積まれていた。「サインの入ったのを頂戴!」
と言ったら「こちらにあります」と横から涼やかな女性の声が聞こえた。
顔を上げると、いつのまにか鳥羽美花さんがそばに来ておられた。きれい!
黒い色のシックなドレスに身を包まれて、微笑んでおられた。びっくり!
「藤沢から来ました。サンケイEXの記事も三井タワーの作品も全部見て
います」中学生のように直立不動で挨拶した。そして暫らくは、透き通る
ほどに白く輝いている先生のお顔に見とれていた。まるで夢のなかだった。

     
   
     

「鳥羽美花展」
  型染めで紡ぐ悠久の都 ― 奈良・ハノイ

ことし2010年 奈良は平城遷都1300年で多くの人が訪れている。そして
ベトナム・ハノイも建都1000年を迎えるそうだ。記念すべきこの年に、
両国の友好関係のさらなる発展をねがい、両都でこの展覧会が開かれる。

http://toba-mika.net/

鳥羽美花さんの作品解説は新作の「凛−西の京より」からはじまった。
これは春の薬師寺を桜の波間から遠望した作品である(HP参照)。展示
された20点に近い作品群は、それぞれにスケールが大きくエネルギーに
満ちあふれ圧倒的な存在感があった。そして歴史を誇る世界遺産の建築や
国宝の仏像群と共に見事なハーモニーを醸し出していた。

5、60人が解説を聞きながら作品を観て廻った。
鳥羽美花さんは、風景そのものが国の形や民度をあらわす、といわれる。
鳥羽美花さんは、うつろいゆくベトナムの風景との出会いを語り、時代や
人々を語り、奈良との近似性についても語られた。
また型染めが日本古来の染色技法であり、その技法の複雑さや風土のため
か、海外に伝わることなく国内のみで継承されてきたこと。そして型染め
が江戸小紋のように意匠性が進むなかで、余分なものがいっさい省かれ、
“引き算”の芸術になったこと。でもご自身は風景を描くときに、空気感
や気配を描くために、西洋的な技法の点描を加える事によって“足し算”
の芸術にしていることなどを話された。(この辺りは2008年8月に、この
コラムで鳥羽美花さんを書いた時に記した)。
また一方で製作過程の難しさや、絹布(白山紬)・糊などの原材料の入手が
どんどん困難になっていることも話された。

     
   
  [祈りの朝−三笠山より]  

薮中三十二さんのこと
薮中三十二さんといえば、この夏まで外務事務次官で、私達には小泉政権
以来 対米交渉や北朝鮮の拉致問題・中国との六者協議などのニュースで
身近な人である。
実は薮中さんがこの展覧会の実行委員長(応援団長!)をされており、
鳥羽美花さんの作品解説が始まる前に自己紹介も無く挨拶された。そして
薮中さんは私達にずっと付き添ってくれていたが、途中信じられない光景
に出くわした。
鳥羽さんは作品を解説しながら聚寶館を一巡りされたが、通路は一間幅
しかなく、私達は2・3列になって進んだ。鳥羽美花さんはマイクを持た
れていたが、ワイヤレスでないので太いケーブルを引きずって広い館内を
一周せねばならなかった。そのとき、歩いている私たちの陰で、ケーブル
を引っ張って整理している人を見ると、これが薮中さんだった!外務次官
が学生のアルバイトのように、狭い雑踏の中でケーブルを引っ張っていて、
誰も気がつかない・・そんなことが私には身がよじれるほどにうれしく、
楽しく、日本という国は何といい国だろうかと思った。
薮中さんの挙措動作や笑い声に接していると、とても骨っぷしの強い人に
感じられ、こんな人に日本の外交が支えられていたのだなと思った。

鳥羽美花さん 京都精華大学芸術学部教授

「鳥羽美花展」2010/10/5~11/10 薬師寺(大講堂・東院堂・聚寶館)
       2010/12/6~12/25 ベトナム国立美術博物館・文廟

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 89
「さらば、パソコン」
2010年10月20日

ついにパソコンを処分することにした。
10年ほど前に買ったノートブック。OSはWindows98。最新のウィルス対策ソフトを入れるにはいかんせん力不足なことと、OSの保障期間が終わったこともあって、ずっと納戸に眠っていたものだ。
フロッピーディスクドライブがついているため、ときどき昔のフロッピーの情報を外付けHDDに移すのに使っていた。ついに情報の吸出しが終わり、もち続ける理由がなくなったのだ。

     
   
 

 

 

2003年10月以降に販売されたパソコンには、PCリサイクルマークが付いていることと思う。

     
   
 

PCリサイクルマークの例(赤で囲んだ部分)

 

このマークの付いたパソコンは、販売価格にリサイクル料があらかじめ含まれているため、廃棄の際に新たな料金が発生しないそうだ。今回捨てるパソコンはその制度が始まる前の製品であったため、回収再資源化料金を
払う必要がある。とはいっても手続きはごく簡単。
メーカーのホームページでリサイクルの情報を探す。指示に従い、自分の連絡先やパソコンの型番、製造番号を入力していくと手続き完了。
今回はノートパソコン1台で3150円だった。この中に、パソコンを送り返すための送料が含まれている。

数日で先方から「パソコンを排出するための『エコゆうパック』伝票」が入った封筒が送られてきた。あとは

・パソコンを梱包する。ビニール袋で包むだけでも良い。緩衝材はいらない。
・送られてきた「エコゆうパック」伝票を包みに貼る
・最寄の郵便局で発送する

だけ。もちろん、最初にパソコンのデータを消して個人情報を守ることはいうまでもない。

木阿弥「というわけで、パソコンのリサイクルって難しそうで敬遠して
    たけど、やってみたら簡単だったよ。もう一つ二つ捨ててみよ
    うかな。おや、八兵衛さんのそいつはOSはXPだけど2001年の
    だね? どうだい、そろそろ・・・」
八兵衛「よしとくれ、青春の思い出にとってあるんだ。古いものは大切
    にしなくちゃな。」
木阿弥「うーん、確かにパソコンも年を経るごとにいい味出てくると
    いいねえ。本当はそうでなくちゃな。」

     
   
 

金木犀と白萩

 

[ご参考]
一般社会法人 パソコン3R推進協会
http://www.pc3r.jp/index.html

 

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅127
「気になる言葉」
2010年9月28日

レンズなどの精密なガラス製品を磨くのに欠かせない、「レアアース」と
呼ばれる貴重な金属の輸出規制を中国が打ち出して、日本のハイテク産業
の生産活動に影響しかねないという懸念が強まるなか、入手しやすい別の
金属を使う技術が開発され、大きな注目を集めそうです。
「レアアース 別の金属使う技術 」 9月17日 4時14分 NHKニュース
http://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/newsplus/1284674655

情報化時代とは有難いもので、NHKニュースも文字化して読める。
引用も不確かな記憶に頼ることなく、そのまま提供できるのが有難い。
私はこれを6時のニュースで聞いていた。話し手はアナウンサーではなく、
放送記者である。画像では立命館大学の研究室が流されていた。
私は最後の言葉が気になった。「・・大きな注目を集めそうです」
私は「NHKよ・・そこまで言うのか」と思った。

「注目が集まっています」「注目を集めています」
「注目」という言葉が、このように使われてもう10年ほど経つだろうか。
放送・活字メディアに順次広がり、NHKもほどなく使いだした。私は
この間、この言葉遣いにずっとひっかかりを感じてきた。

昭和30(1955)年を挟んで、小中高時代を過ごした私にとって「注目」とは
先生の号令なのだ。校庭での朝礼や集会で、朝礼台の教師は騒がしい生徒
達をたしなめて「注目!」と大声で叫んだものだ。
小学生時代「注目は、注目される、注目を浴びる、注目の的というように
使って、注目が集まる、とは使わない。間違いです」と学習したことを、
私は今でもはっきり覚えている。

言葉は時代が変われば意味も変わるし用法も変わる。だから、ことさら
「注目が集まっています」などの用法に異を唱えずやってきたが、今回の
「・・大きな注目を集めそうです」に私はガマンできない。
こんな変な言葉がこれから横行するのかと思うと、将来の日本語にとても
心細い思いがするのだ。「各方面から強い関心を寄せられそうです」でいい
ではないか。「関心」がいやなら「広く各界から注目(注視)されそうです」
でもいい。

「広辞苑」では語彙の掲載について、言葉が日本人の生活に溶け込み、
日本語として独り歩きを始めたのを見極めてから掲載する、と聞いたが、
「広辞苑」(6版・2008年1月刊)には「注目が集まっています」は未だ
出ていない。

ところで冒頭にあげたNHKのニュースは1センテンスで字数は125字
である。一例であるにしても、一つの文章としては異常に長い。それとも
テレビのニュースでは、これ位は普通なのか。もしそうなら、NHKの
アナウンサーが正しい日本語を話すという神話はラジオ時代のことか。
テレビでは話に画像がつくから、視聴者もさほど苦にならず、話を聞い
てられるが、仮にラジオなどでこのニュースを流すと、聞き手はどれほど
理解できるだろう。

私は今回のニュースで二つのことが非常に気になっている。
映像メディアと活字メディアのことで、今更ながらなのだが・・。
一つは、大小のニュースで、新聞などは書き方スタイルで古典的な、5W1H
とかを準拠して書くのだろうが、テレビではまず画像を要求するはずだ。
ニュースには画の無いものだってたまにはあるだろう。画の無いニュース
の扱いは、制限されたものになるのだろうか。

二つ目は話し言葉と書き言葉の違いである。
冒頭の文章、新聞ならもっと読みやすく書くはずだ。
新聞の文字は大きくなって現在1行13文字なので125字は10行である。
だから125字は平均の3倍くらいの長さだろう。
テレビの言葉は話し言葉であり画像がつくから、私たちから想像力を奪い、
人が持つべき言葉の力を弱める。外国語は知らないが、日本語の話し言葉
と書き言葉の2重構造というべきか、冒頭の文章などを読むとまだまだ
日本語は発展途上だな、と思う。

はるか明治の時代に、言文一致と叫ばれ、漱石や鴎外、子規らが苦労して
日本語の土台を築いてくれた。当時の言文一致と、現在のそれが違うにし
ても、話し言葉と書き言葉の間に、もう少し強く響き合う、或いは交わる
接点が有っていいはずなのだが。

昨今は携帯メールや携帯小説、はたまたツイッタ−とか、私などには分か
らないことも多いが、固有文化の担い手としての言葉の力を弱めること
なく、どんどん強くして次世代に引き継ぎたいと思う。

(最近尖閣諸島付近で中国の漁船と海上保安庁の接触事件があり、船長の
勾留の間、中国がレアアースの輸出を止めたと報道されたが、NHKの
ニュースは、それ以前の9月17日のニュースで尖閣問題とは関係ない。
また、当初NHKのニュースをNHKからリンクできたが、期間が過ぎて
消えたので他の所からニュースをリンクした。)

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅126
「陸上自衛隊 富士総合火力演習」
2010年9月19日
     
   
     

8月の末に、御殿場市の東富士演習場で行われた陸上自衛隊の公開演習を
観る機会があった。「平成22年度 富士総合火力演習」とよばれ、様々な
戦車やヘリコプターによる実弾砲撃はとても迫力があった。

     
   
     

御殿場や足柄・山北町を歩いていると、東富士演習場からのドーンドーン
と体ににぶく響く砲声をよく聞く。一度演習を観てみたいと、思っていた
のだが今回ようやく希望がかなった。

     
   
     

灼熱の炎天下、30,000人程が見つめるなか10時に演習が始まった。
前段、後段の2部構成になっている。前段はいろいろな戦車やヘリが役割
や機能ごとに、主要装備品の実地演習を見せる。後段は戦車やヘリが共同
して行う攻撃作戦を実際に展開した。

     
   
     

いろいろなヘリコプターの装備演習。輸送用ヘリからの空挺降下、車両も
下ろす。

     
   
     

装甲戦闘車の目標砲撃。
1kmほど先で命中すると、光が先に見えて音は少し間をおいて届いた。

     
   
     

戦闘ヘリと戦闘車による敵陣攻撃。

     
   
     

敵陣から遮蔽してこちらを見えなくする白煙。肉眼では白煙しか見えない
が、カメラのレンズはすごい炎を映しだしている。

     
   
  チヌーク(手前)とアパッチ(後方)  

2時間にわたる演習の後は、戦車やヘリコプターなどの展示があり、自衛
隊員の説明を聞く事ができた。

     
   
  コブラ  ベトナム戦争で活躍した  

戦闘ヘリを見ると、80年代のアクション映画“ランボー”を思い出す。
「ランボー 怒りの脱出」ではベトナム戦争時の米軍の捕虜救出作戦で
ランボー(シルヴェスター スタローン)が米軍の将官が操縦するコン
バットヘリコプターと独りで対決する。あのヘリはコブラだったのかな。

     
   
  アパッチ  

最先端の戦闘ヘリ。さすがに迫力がある。

     
   
  戦車橋  
     
   
  地対艦誘導弾システム  

陸上自衛隊は国際的にも貢献が期待されている。数年前にはイラクに派遣
された。今年はパキスタンの豪雨被害者を支援する。

     
   
     
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 88
「ハチの巣」
2010年9月6日

玄関先でいくつか蜂の巣を見つけた。
「蜂の巣をつついたような」という表現がある。騒然とした無秩序な様子を示すものだが幸いにもそのような事態は避けることができた。

(1)トックリバチ
暑い日が続く。冷房のお世話にもなっているが、基本的には窓という窓を開け放って対処している。
ある日のこと、普段は一定以上開かないようにしている窓を全開してみた。すると「メキッ」となにかが砕ける感触。
あわてて窓の外を確認すると、そこには直径2センチほどの乾いた泥のボールが。サッシに挟まれてぱっかり割れていた。トックリバチの巣だ。

     
   
 

すでに空き家だったようだ

 

そういえば、玄関先でせっせとえさを運ぶ姿を見かけていたが、こんなところに巣をつくっていたとは。本来草木の茎などに巣をかけるトックリバチだが、都会ではこのようにサッシの隙間などにも巣をつくるようだ

     
   
 

巣にえさを運ぶ途中のトックリバチ

 
     
   
 

本来はこんな形

 

(2)キボシアシナガバチ

     
   
 

キボシアシナガバチの巣。色で一目瞭然。

 

以前丹沢を散策していて見つけたときは、あまりに鮮やかな黄色に誰かが着色したのかとおもった。今回は庭木の剪定された枝で発見。これまた巣立ったあとらしい。

(3)アシナガバチ
こちらは初夏に見つけた現役の巣。中には卵が産みつけられていた。まだ女王蜂が一人で世話をしている時期だったので、女王が留守にした隙にハサミで撤去。収穫期のユスラウメに巣をつくられては困る。残念だが他の場所に行ってもらうことにした。
芋虫毛虫を食べに、またおいで。

     
   
 

アシナガバチの巣。中に卵が見える。

 
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 87
「羽が生えて、飛んでいく」
2010年9月2日

暑い日が続く。気象庁の統計によれば、藤沢市辻堂での2010年8月の平均気温は28.2度、最高気温は36.7度だったそうだ。これは藤沢市辻堂での観測史上、一番高い記録だという(2010年9月1日現在)。
例年あまり冷房をつけない我が家だが、今年は観念して冷房のスイッチを入れた。電気に、お金に、羽が生えて飛んでいく。
あまりの暑さに、屋外で虫を探す機会も少なかった。その点、玄関先で飼っていたアゲハとトンボの羽化はじっくりと見ることができた。

アゲハの幼虫はさなぎになる直前、どういうわけかせっせと歩き回るように思う。それまで気が向いたときに葉を食べ、うつらうつらしていた幼虫が食べるだけ食べた、後はさなぎになるだけ、となるとがぜん勢いづいて歩きだす。さなぎになる前に安全な場所を見極めようと、必死なのだろうか。
道路をはっていた終令幼虫。焼けたアスファルトの上、はだしで暑くないのかな?
犬猫のためには、真夏の散歩用に肉球保護クリームなるものが売られているらしい。幼虫の動きが機敏だったのは「あちちち」、と小走りだったのかもしれない。

     
   
 

アゲハ

 

こちらはトンボ。玄関先にメダカの水槽を置いておいたら、いつのまにかヤゴも住みついていた。身軽なイトトンボはウキクサやハスの葉の上によじ登って次々に羽化していったが、彼には垂直な棒が必要らしい。しばしば水面に顔を出すようになったので、羽化用の容器を用意。

     
   
 

手頃な棒で羽化

 

色がついたのを見れば、オオシオカラトンボのメスだったらしい(「彼女」だったのか)。またおいで。

     
   
 

オオシオカラトンボのメス

 

[ご参考]
気象庁 「過去の気象データ」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 60
「江の島灯篭まつり」
2010年9月1日

江の島灯篭まつりに行ってきました!このお祭りは今年で3回目になるのですが、私は今年初めて見に行きました。年々規模が拡大されているようで、今年は8月3日から29日までの27日間に延長。灯篭の数も1000基以上と大幅に増えたそうです。

江の島入り口の鳥居付近から参道、江島神社と、大小様々な灯篭が、幻想的な光と影を映し出しています。絵柄は、江の島の伝説「天女と五頭龍」にちなんだものか、龍を模ったものが多いように感じました。

     
   
  参道の灯篭  
江の島鳥居近く参道に並んだ灯篭です。柔らかな光で私たちを迎えてくれます。
     
   
  石畳の灯篭  
江の島の石畳、灯篭の光で昼間とは違った姿を写し出していました。

サムエルコッキング苑では、清水寛子さんの作品が展示されていました。清水寛子さんは、主に白黒を基調とした影絵などのアニメーションを、空間や物に投影した作品を製作しているアーティストです。
     
   
  清水寛子さんの作品(その1)  

昆明庭園の東屋を大きな灯篭に見立てた作品です。ミッキーマウスの手が自在に動いて、手を振ったり、お手玉をする不思議な影絵。中に入って自分も影絵の一部になれる参加型影絵です。童心に帰って影絵を作ってみました。

     
   
  清水寛子さんの作品(その2)  

コッキング苑の遺構の中に立てられたオブジェに影絵を写した、メルヘンチックな作品です。清水さんの感性が光る、ユーモアと温もりのあるとても素敵な作品です。

     
   
  灯台と影絵  

灯台の前に昔ながらの障子に影絵を映し出して遊べるブースがありました。子どものころ、家の障子に向かって影絵を作って遊んだことを思い出し、さっそく影絵に挑戦!さて、障子に映った動物は何でしょう?

     
   
  灯台と灯篭  
こうして見ると、灯台も大きな灯篭ですね!!
 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅125
「藤沢素描(19) 神奈中バスさん ありがとう!」
2010年8月31日

【神奈川中央交通バス】
神奈中バスは、三浦半島、箱根、足柄を除く県下の全域を運行している。
免許キロ:2144km 輸送人員:2億2,326万人 売上高:約400億円
(以上平成21年度・・いずれも<乗合バス事業>のみの数字)。
私たちの日常生活に欠かせない交通手段で、私も利用することが多い。

     
   
  藤沢駅北口バスターミナル  

最近、神奈中バスでとってもステキな若い運転手さんに巡り合った。
バス停でドアが開くと、マイクの声が外に聞こえてきた。
「大変お暑い中お待ちどうさまでした」・・これを各駅でアナウンス!
走行中の案内も確かで親切だった。途中駅や終点の藤沢駅でも、降りる人
一人ひとりに声をかけている。
「有難うございました・・行ってらっしゃい・・行ってらっしゃい!」
運転手のマニュアルには無いだろうけど、近ごろには珍しい情景だった。

     
   
  学校前踏切  

JR東海道線 藤沢駅から1kmほど辻堂寄りの、日本精工(NSK)付近に
「学校前踏切」がある。この踏切を利用する車は終日多い。
私は自転車で藤沢に出るとき、鵠沼小学校からNSKの方に行く途中で
この踏切を渡るのだが、線路を渡り切った後が実に危険なのだ。線路と
NSKの間の道路、横断歩道に信号が無く、辻堂方面から来る右折車などで
直進車が見えない時が多い。いつもヒヤヒヤして横断歩道を渡っている。
私が神奈中バスに感謝するのが そんな時だ。神奈中バスはいつも横断歩道
の手前で停車してくれているので、安心して横断歩道を渡れる。「安全運転」
「法令順守」が徹底しているのだろう。

鵠沼小から普門寺のあたりで、時どき一人のおばあさんに行きかう。
おばあさんは右手で杖をつき、歩幅が狭くせかせかと歩く。いつもレジ袋
をさげて道路の中央を歩いている。
いつかのこと鵠沼小の方からNSK方面に踏切を自転車で渡り終えると
おばあさんが杖もレジ袋も放り出して、踏切わきの狭く草深い土手にお尻
をついて茫然としているように見えた。私はおばあさんが、車が多く横断
歩道を渡れないのかな・・と思った。自転車を降りて、おばあさんに声を
かけた。そして前後に指で方向を示して、前の横断歩道を渡るのか、或い
は後方の踏切を渡って鵠沼小の方に行くのかと尋ねた。もし道路を渡ると
いうのなら、走行車を止めて、渡るのを お手伝いしようと思ったのだ。
おばあさんは線路の方を指差した。なんだかこの辺は芥川の短編にでも
出て来そうな話ではないか!湘太もまだまだ捨てたもんじゃない!
 そこで私は安心して、自転車でNSKの方に渡ろうと振り返ったら・・
横断歩道の手前で、辻堂方面からの車が1台止まっていて、若い青年が
ハンドルに手をかけてこちらをじっと見ていた。多分私たちのやりとりの
一部始終を見ていてくれたのだろう。私は有難うと手をあげたら、青年は
一つうなずいて車を発進させたのだった。

http://www.kanachu.co.jp/

     
   
  神奈中バス ツインライナー  
 
市民記者 No.104 影法師
 
■コラム:道連れ
「花会式 (修二会薬師悔過法要)」
2010年8月25日

二月にNHKで再放送された「あの人に会いたい」で高田好胤さんの法話を聞いて今年は薬師寺の花会式にお参りしようということになった。

     
   
     

花会式は約九百年まえ、時の堀河天皇が、皇后のご病気平癒を薬師如来に祈願されたところ本復され皇后は感謝の心を十種の造花にこめて、年ごとの薬師寺修二会に供えられそれが今日まで伝わっている。

     
   
  本堂に供えられた造花  

毎年3月30日から4月5日までの奉納行事である。私たちは、茶道と香道を習っている仲間なので献香式(4月1日)と献茶式(4月2日)にお参りした。小雨の降る寒い中ではあったが心が洗われた気がした。仏様の喜ぶ物として灯り、花、香と聞いている。
昔は、人が亡くなると仏様になると信じお香を持参して焼香し仏様に届けていたのが、何時の頃からか香典として御金を包むようになったと聞いている。最近は、煙の出ないとか、匂いのしない線香が出始め、形式だけが
残っている。

今年から十年かけて東塔は修復工事に入る。その間は被いにおおわれてその姿を拝むことができない。

     
   
  雅楽奉納 背景は東塔  

修復には33億円かかるが国からは7割しかでないので10億円足りないということで、御写経による寄付を募っていた。国宝 東塔大修理特別写経(全十組二十巻)は『舎利礼文』を一組につき二巻書写し一巻は東塔内に奉安もう一巻はお釈迦様の聖地に納められる。
私たちは、花会式に参加できた、感謝を御写経で納めさせていただくことにした。私は、毎年一組づつ納めたいと願っている。大勢の善意で東塔が修復され後の世にこの姿を残せたらと思う。そして十年後元気に東塔を拝みたい。

何年か前、藤沢公民館で高田好胤さんのお嬢さん高田都耶子さんの講演がありました。当時の館長さんがラジオ放送を聞いていて是非お願いしたいということでしたが、予算が少ないのでダメモトで連絡をしたら快く引き受けて下さったと聞きました。
それは、お父様が薬師寺修復を大勢の善意によってということで百万巻写経をお願いして全国を巡ったお話でした。雨漏りしていた本堂で仏様が泣いているというお話を私は修学旅行の時、聞きました。この会にはお話を聴いたことのある方が沢山集まっていました。

日本には、沢山の世界遺産があります。それは全て、前世の方が遺してくれたものです。

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 86
「世界一大きい金魚すくい」
2010年8月17日

噂には聞いていた。藤沢にはギネスにも載った世界一大きい金魚すくいがあるのだと。
場所は藤沢駅北口の商店街、サム・ジュ・モール。今年2010年は8月1日に行われた。

     
   
 

シンボルの金魚ちょうちん

 

神奈川新聞のサイト、カナロコ8月1日付け記事「世界一長〜い金魚すくい、商店街に子どもらの歓声/藤沢」
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1008010030/ によれば、今回の金魚すくいの規模は
水路の長さ:63メートル(ギネス認定時は100mあったそうだ)
金魚:4万5千匹
メダカ:1万匹
ドジョウ:2千匹
だそうだ。

[水路が長すぎて困らないかな?]
 世界一大きい、この場合水路が長い、と聞いて不思議に思っていた
 ことがある。道路の真中に水路を設置するとして、道路を横断したい
 と思ったらどうしたらよいのだろうか。商店街のこちらからあちら側
 に渡るのには、世界一長い金魚すくいの水路を迂回しなければなら
 ないのだろうか?
 その疑問を解消すべく、現地に向かった。
 見ると長い金魚すくいの水路には、人が行き来できるよう橋がかけ
 られていた。君の名は・・

     
   
 

その名もきんぎょ橋。
下の小川にはメダカの群れが描かれている。

 

[すくったあとは?]
 金魚すくいを主にしたお祭りだけあって、持ち帰り用に酸素入れ
 コーナーがあり、えさや水槽を売っているところもあった。
 すくわれた魚たちの幸福を祈ろう。

     
   
 

 

 

道路が人のものから車主体のものになって久しい。
この商店街で週末ごとに行われていた歩行者天国は、今年の春で終わってしまった。なかなか道路をそぞろ歩きできない今、このようなお祭りはぜひ続けていって欲しい。

[おまけ]

     
   
 

これまた世界一

 

「世界一長いキャラクター」って誰なのかと思ったら、
これまた水路が長いヨーヨーすくいなのだった。

     
   
 

キャラクターが表面に印刷された
水風船様のものを
キャラクターヨーヨーというらしい。

 
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 85
「寒天は続くよどこまでも」
2010年8月17日

伊豆のお土産に、天草(てんぐさ、海草)をいただいた。寒天の材料だ。

     
   
 

天草(てんぐさ)

 

寒天といえば、ところてん、みつまめ、水羊羹。
九州では固めて切り、刺し身こんにゃくのようにしたものが「おきゅうと」という名前で親しまれているらしい。

うだるように暑い今、なかなか魅力的な気がしてきて、煮てみることにした。

     
   
 

煮ているところ

 

だいたい煮溶けたら漉し、容器に固めてできあがり。

それにしても大量だ。黒蜜をかけても、お刺身にしてからし酢醤油を添えてもまだまだたくさん。

で、保存食にすることにした。本来は諏訪地方などで冬の寒さを利用して作られるそうだが、ここでは冷凍庫で冷凍して自然解凍することを繰り返す。すると水分が抜けておや不思議、売られている角寒天(状のもの)のできあがり。

     
   
 

フリーズドライになった寒天。
もとのゼリー状の寒天は約1Lあり、
この容器にいっぱいだった。

 

天草に始まり、一旦煮溶かされると、寒天になり、冷凍と解凍を繰り返すと角寒天になる。
角寒天を煮溶かすと寒天になり、冷凍と解凍を繰り返すと・・・
エンドレス。

同じく凍らせて作る凍み豆腐(高野豆腐とも)や凍みこんにゃくは煮ても元の姿に戻ることはないが、寒天は終わらない。

     
   
 

梅シロップと混ぜて固めてみました。

 
 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 43
「車山高原では、ニッコウキスゲが少なくて・・・」
2010年8月15日

この風景に出合った時、見たことあると感じたのは私だけではなく、思わず「XPの壁紙に似ている!」と叫んだら、周りが同意してくれました。

     
   
  xpの壁紙に似ていた!  

今日は藤沢から、マイクロバスで車山高原へ日帰りハイキングに来たのです。霧ヶ峰(きりがみね)の最高峰、車山(1,925m)。夏季も運行しているリフトを二つ乗り継いで、山頂付近まで登ることが出来ました。

     
   
  リフト乗り場  
     
   
  ハイキングコースの案内版  

目の前に広がる草原と流れる雲を見ながらの昼食は、食欲増進です。ここから歩き始めますが、山頂なのでくだりが続きます。夏空・夏雲と景色を満喫ですが、楽しみにしていたニッコウキスゲは例年の1割とのこと。原因はハッキリしませんが急増したシカの食害を受けて年々数が減っていることは確かなようです。

     
   
  ニッコウキスゲ  
     
   
  シシウドか?  

くだりが終わり、木道に入った所が八島ヶ原湿原です。霧ケ峰の北西部に位置し、総面積は43.2ヘクタール、日本最南の高層湿原と呼ばれる特殊な湿原で、最も高いところは水面より7m高く、泥炭層の厚さは8.5mもあるそうで、歴史は1万2千年に及びます。霧ヶ峰湿原植物群落の一箇所として昭和35年6月10日に国の天然記念に指定されました。

     
   
  アカバナシモツケかな?  
     
   
  八島ヶ原湿原  

水のある景色は落ち着きます。景色を見ながら二つ割れている木道を、気を使いつつ歩きました。山での事故は、すぐに「無謀なシニア」と言う形容詞が付けられますので・・・。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅124
「藤沢素描(18)カトリック修道院」
2010年8月6日

ことしの夏は、日本列島が連日の酷暑に見舞われている。藤沢も暑い。
この暑さの中を歩いているうちに、突然夢かと見まがう光景に出逢った。
夢、幻じゃないよ、ここは藤沢・善行だよと何度も自分に言い聞かせた。
カトリック修道院「聖心(みこころ)の布教姉妹会・本部修道院」である。

     
   
  内門  

がっしりした門を入ると、左右は濃い緑で大樹が続き、その間を道が
まっすぐにのびて正面に和風の内門が鎮まっている。シスターが私達の
来訪を待っていて下さった。内門も築地塀もお寺の作りなので、西洋の
修道院をイメージしていると、まるで戸惑ってしまう。この緑の空間で
暑さがすでに飛んでしまっていた。

     
   
  聖堂  

内門を入ると、私達にはなじみの立派な太子堂がある。法隆寺の夢殿だ。
八角堂の屋根には宝珠の代わりに十字架がある。この異空間にいると誰
もが驚き、しばらくは茫然と立って見とれているしかないだろう。日本の
修道院なので、建築時(2001年)に和風コンセプトにされたそうだ。

     
   
  聖堂内部(案内書より)  

聖堂の中は意外に広く明るい、そしてやさしい雰囲気である。八角堂の
周囲の壁面が硝子戸で、どの面からも緑樹が見える。硝子戸の内側に障子
がはめられている。天井、壁など、寺院と変わりがない。座り心地がいい
木の椅子が並んでいて、その中には聖書や賛美歌が収められていた。
正面の壁を覆うようにパイプオルガンが立っている。左側に聖母子像。
上から金色の箱が吊り下がっている。聖櫃である。キリストにゆかりの
何ものかが収められている。
(この部分は撮影不可のため案内書をスキャンさせていただいた)

     
   
  聖母子像  

総長のシスターが、修道院の由来をお話して下さった。
聖心(みこころ)の布教姉妹会はカトリック修道院で1920(大正9)年
秋田市においてヨゼフ・ライネルス師によって創立された。1938(昭和
13)年に本部が現在の藤沢市におかれる。修道院は北海道から沖縄まで全
国にあり、社会福祉事業として老人ホームや保育所、教育事業などを運営
している。藤沢市みその台の聖園学園もその一つである。活動域としては
国内の他、東南アジア地域まで含まれる。

     
   
  ハーブ園の一部  

聖堂の中は、とてもやさしく静かな空間で、いつまでも居たい気持に
なる。シスターらの祈りの場所であり、信仰を深められる場所であろう。
聖母子像もパイプオルガンも100年以上前のもので、いずれもドイツから
もたらされたものだとか。
 パイプオルガンの音色を聞きたいという私達の希望に、シスターは皆さ
んが讃美歌「慈しみ深き」をご存知でしたら歌いましょうか・・といわれた。
フィリピン人のシスターがオルガンをひかれ、50人程がしっかりと歌った。
パイプオルガンの伴奏で合唱して、みんな本当に嬉しそうだった。

聖堂の周りも、とてもステキだった。

     
   
  築地塀・・奈良の雰囲気!  
     
   
  聖句などが彫られた時鐘  
     
   
  時鐘にあわせて滝に水が・・  
     
   
  橋掛かりのような・・  
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 59
「柔軟でタフな精神力を育てるには?」
2010年7月15日
     
   
     

7月8日、藤沢市民会館小ホールで和田重弘氏による「柔軟でタフな精神力をそだてる」にはという講演会が開催されました。

和田氏は公立中学校の講師を経て、74年に青少年のための寄宿生活塾「はじめ塾」を父から継ぎ、学校という枠組みを出たところで教育実践を重ねてこられました。92年に『NPO法人 子どもと生活文化協会』を設立。著書には『観を育てる』があります。

※「はじめ塾」ホームページはこちら http://hajimejyuku.com/

「柔軟でタフな精神力を育てる」とても興味のある言葉でした。子ども達は勿論、大人でも「柔軟でタフな精神力」があるかと聞かれれば、タフどころか、日々ダメージを受けて弱くなっているように思うのです。その原因はどこにあるのでしょうか。

和田氏の講演は、「若者のことで最近気になっていること」という問いから始められました。「将来に対して子どもや若者が夢や希望を抱けなくなり、働く事ができない若者が増加えている。年齢が低くなるにつれ人の繋がりが希薄になっているのではないか。」と。

「繋がりの希薄」ということは最近よく言われていますよね。私たちの日常生活は機械化が進み、人との繋がりが無くても生活ができるようになってきています。便利さと引き換えに人との繋がりが切れて、孤独感や不安が募る日々・・・・。

私たちが毎日のように使っている携帯電話やメールで、あたかも繋がって
いるかのように思える人間関係も実は幻想にすぎず、本物の人間関係はで
きていないように思います。

それでは人と繋がれるにはどうしたらいいのでしょうか。和田先生によると「繋がりの原点は家庭、そして地域である」ということです。

「家庭では、台所でお手伝を通して自立できる人間になる準備をしていく。地域では、お互いに世話になったり、世話をしたりすることにより繋がりを築いていく。私たちはそんな循環社会を取り戻さなければいけない。地域に参加することにより人の繋がりが築ける人となり、弱い人には手を貸し、強い人は力いっぱい生きていくことが大切なのです。」と熱く語られました。

私たち大人ができることは何でしょうか。家庭でお手伝いを通じて子どもの自立を促し、家族や地域と繋がることで不安や孤独を感じない仲間作りをしていく。

「繋がることで人はタフになれる。家庭や地域で本物の人間関係を作って行こう!」と感じた講演会でした。

 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 42
「この木なんの木」
2010年7月9日
     
   
  この木なんの木  

雨予報の蒸し暑い日、人影のなかった公園で、突然目の前が開けた所に、その木は立っていました。思わず、CMが頭に浮かんで来ました。青空の中にまあるく立っている姿が、微笑ましく木の下に入ってみたくて、グングン近づき中に入ってみました。

     
   
  木の下に入ってみる  

この木の名前を知りたくて、詳しい方に聞いてみると「木は葉をみれば判ります。」と言われたので、写真を送ると「けやき」でしょうと教えて貰えました。

     
   
  カナール(静水をたたえた水路)  

ここは国営昭和記念公園です。誘われて菖蒲を見に来たのですが立川口から入ると、日本庭園は一番遠くにありました。辿り着くのに40分は掛かりました。

     
   
  日本庭園の菖蒲  

帰りはパークトレイン(300円)を利用して戻りました。暑くて参りましたがこの「大けやき」に出会えたので好い日になりました。

     
   
  パークトレイン  

参考:「この木なんの木」は英語名で「モンキーポッド」といいます。猿がこの木の実を好んで食べることからつきました。ハワイや熱帯アメリカに分布するマメ科の植物で、ネムノキの仲間なので夕方や雨が降ると葉を閉じたり、枝をたたんだりするかわいい習性を持っています。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅123
「走水海岸」
2010年7月1日

近ごろ横須賀を3度ウォークした。三浦半島は古代〜中世〜近代と歴史に
富むが、中でも横須賀はロマンの風がいつも吹いていて好きなところだ。

     
   
  走水海岸  

3度のウォーク いずれも走水海岸から、観音崎を抜けた。観音崎は水路が狭
く、江戸・東京湾の喉元にあたる。東京湾で、この辺りは最も流れが速く、走水の
名がある。走水海岸から房総半島富津を結ぶ海上ルートは古代の官道である。

     
   
  走水神社 日本武尊と弟橘媛が祭神  

景行天皇の皇子 日本武尊が東征の折に、走水海岸から上総に渡ったという
記述が記紀にあり、ロマンティックな伝説が残っている。この東征に、日本武尊は
妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)を同行していた。走水海岸では暴風雨に遭い
房総に渡れず立ち往生した。そこで弟橘媛はみずから入水して海神の怒りを
鎮め、航海の安全を図ったという話である。

     
   
     

  さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の
    火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも      弟橘媛


入水前に弟橘媛が詠んだ歌である。
相模野の燃えさかる火の中で、私の安否を心配して下さった君よ…
この少し前、日本武尊の軍隊は、不意に敵襲をうけ、草に火をつけられ、火に
追われて九死に一生を得た。その場所はどこか・・諸説があるようだが。
その一つ、二宮町の吾妻山公園には、この歌を解説する案内板があった。
吾妻山の名称も「吾妻はや〜(我妻よ〜)」と日本武尊が戦いながら大声で
呼びかけたので、この名がある、とあった。

唐突だが私はこの歌を読むと、いつも美智子妃を思い出す。美智子妃が
小学生時代に、この歌に想いを寄せられているのである。
1998年9月ニューデリーで開催された第26回国際児童図書評議会(IBBY)で、
美智子皇后はVTRによる基調講演をされた。タイトルは「橋をかける −こども
時代の読書の思い出− 」(“Building Bridges”)。素晴らしい講演でその後、
すえもりブックスから刊行された。

     
   
  「橋をかける」  

この講演の中で、美智子皇后が戦時中、この歌を10歳くらいの時に疎開先で
読まれて、「まだ子供であったため、その頃は、全てをぼんやりと感じただけな
のですが・・」とその思い出を語っておられる。戦時・疎開先という異常な状況の
中で、一人の少女が愛について深く考えていることもさることながら、この少女が
長じて皇妃になられた不思議さを思わずにいられない。

この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明
のつかない不安感で威圧するものでもありました
古代ではない現代に、海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人
間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身
御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。
しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように
感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛
というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,
やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)で
あったように思います。

さらに皇后はこの講演の中で次のように話されているのも印象的だ。

一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とそ
の民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域
の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐
れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じら
れます。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 84
「消えるオタマジャクシ」
2010年6月15日

今年もついにハツカを記録した。
ハツカとは我が家の独自用語で、その年初めて蚊に食われる事を現わす(「初蚊」)。
今年はくしくも5月20日だった。これからの草むしりは厄介だ。

緑が増え、虫が増え、自然観察の楽しい時期になってきた。
虫に気を取られていてふと気がつくと、玄関先で飼っていたオタマジャクシが激減していた。
少し前まではメダカにえさをやると一斉に水面に顔を出していたのに。
犯人はカラスか?ネコか?それともヤゴか?
ヤゴと言えば、イトトンボのヤゴがそれなりにいるのは知っている。
しかしこのやせっぽち君にオタマは大きすぎるような。

夜、玄関先の水槽を見て納得。
暑さを避けてか、夜のうちに集団脱走していたのだった。もう手足が生え、動きもカエルらしくなっていた。
さようなら。

ここのところの雨がちな天気は、彼らにとって絶好の旅立ち日和。

     
   
 

位置について、よーい・・・

 
     
   
 

どん!

 
     
   
 

君(イトトンボ)にも期待してるよ。

 

できれば、たくさん蚊を食べてほしいものだ。

 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 41
「チューブタウン出現!」
2010年6月2日

藤沢市の観光親善大使を務めるTUBE。デビュー25周年のTUBEが藤沢市制施行70周年を記念し、鵠沼海岸でライブを行いました。ライブ会場の隣りに『TUBE TOWN』が出現しました。

     
   
  TUBE TOWN出現  

暑い日だったので、無料で配っていたガリガリ君ソーダ味が大人気。私もいただきました。赤木乳業さん、ありがとう!入り口付近で、FM横浜のクイズに参加。参加賞を配っていたのが「はーい、藤田です。」とラジオの声でしか知らなかった藤田君でした。「いつも聞いています。」と言って握手してもらいました。

     
   
  お洒落な看板  

ウクレレ教室・フラ指導・リボンレイ作りなどの体験がいろいろあります。

     
   
  風船の腕輪  

鮮やかな手つきで子ども達にバルーンアートで、人形を作っているパーフォーマー。その腕にある風船の花が欲しいと思ったので「大人もいいですか?」と聞いてしまいました。そして、作っていただいたのがこれです。

     
   
  食べ物のノボリ  

人が集まれば、お腹が空く。沢山の屋台が並んでいます。

     
   
  ふわふわ  

小さな子ども達がよろこぶ遊具です。

     
   
  ビーチバレー  

ビーチバレーの体験もありました。

     
   
  TUBEカー  

車の他に大型バイクもありました。沢山の人が並んでいた先は、TUBEのグッズを売っていました。今日、ここでしか買えない物があるのでしょう。何かに夢中になれるのは幸せなことですね。ライブには、3万人が集まったと新聞記事で知りました。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅122
「藤沢素描(17) 遊行寺の春」
2010年5月20日
     
   
  ハクモクレン (3月中旬)  

ことしも満開のハクモクレンを見ることができた。大きな木だ。放生池
の縁から見上げると、青空を背景に無数の白い花が風にゆれて陽光をきら
きらと反射している。周囲の木々が漸く芽吹く頃に気品のある美しい花を
咲かせて、春の到来を告げているようだ。関東一円の寺院で構成された
「東国花の寺百ヶ寺」では、遊行寺がこの花で選ばれている。

     
   
  花まつり (4月8日)  

「遊行寺」・・正確には「藤沢山 無量光院 清浄光寺」
時宗の総本山である。時宗の法主 遊行上人がおられるところから、遊行寺
とよばれる。

     
   
  一遍上人 (4月中旬)  

時宗は鎌倉時代、一遍上人の開祖である。そして遊行寺は、第4代 呑海
上人が創始した(1325年)お寺である。藤沢は遊行寺の門前町として生まれ
江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。

     
   
  いろは坂 (4月中旬)  

いろは坂の両脇の桜がやっと咲いた。総門(冠木門)からの緩やかな登り
参道は阿弥陀様四十八願にかけて四十八段あるそうだ。

     
   
  中雀門としだれ桂 (4月中旬)  

中雀門を内側から見ている。遊行寺は開山以来幾度か火災や震災を被って
いるが、中雀門は境内の建造物の中では最古のもので、安政6年(1859)に
建てられた。紀州徳川家の寄進である。屋根などに菊のご紋と葵のご紋が
ついている。
この門は勅使門で開山忌等に開かれる。中雀門の奥の若木はしだれ桂で
ある。遊行寺には珍しい木が多いが、私はこの季節のこの木が好きだ。
夢二が描く美人画の趣きがある。

     
   
  呑海上人  

遊行寺では開山忌が春秋にある。春は呑海上人、秋は一遍上人の忌法要が
行われる。春の開山忌は4月21-24日である。

     
   
  真円上人(#1)  
     
   
  お札  

私は開山忌にお参りするのは初めてである。ご本堂で掌を合わせていると
お坊さんが中に招じてくれて、信徒の方々と共に真円上人手ずからお札を
いただいた。真円上人は卒寿を過ぎておられると聞いたがとてもお元気だ。お札を頂く時は右手で頂く。

     
   
  ぼたん(#2)  

お札には「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれている。時宗の本尊は阿弥陀如来で、「南無阿弥陀仏」の称名が刷られたお札を、遊行上人が60万人の人々に配られて、極楽浄土に導くことを願われている、という意味だそうだ。時宗では遊行上人が巡られるところで、必ずお札を1枚1枚手ずから配られる
一遍上人は生涯、全国を巡り25万人以上の人にお札を配られたという記録があるとか。鎌倉時代の人口が800万人とすれば考えられない数で、非常に苛酷な行脚であったことだろう。

     
   
  お稚児さん(#3)  

開山忌法要中には放生池では魚が放流される。元禄時代、徳川綱吉の生類
憐みの令で江戸市中の金銀の鯉が遊行寺の放生池に放たれたといわれ、
それに因むものだ。他にも稚児行列や踊念仏があると知らされていたが
見に行けなかった。来春には、きっと拝見したい。

     
   
  本堂  

http://www.jishu.or.jp/


(文中の写真で#1-#3は遊行寺さんのHPからお借りしました。許諾済)

 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
→ PDFデータを見る
 
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