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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.111 サーフライター
 
■コラム3:漁業から見た藤沢
「相模湾の海底と富士山としらす」 
2006年4月24日

鵠沼 曇り時々雨 気温14℃ オフショア
すね〜ひざ

オイラは、湘南鵠沼のロコサーファー。
波待ちしながら、フッと考えた゜゜゜゜゜゜

> 昨年6月くらいから海底がユルユルに・・・
> 東京湾→相模湾へと移ってる
> (網の重りが沈んでしまう)

そう言えば、海からよく目にする富士山の容姿も昨年からだいぶオカシイ。
例えば、雪が降っても、風で吹き飛ばされてしまい、冠雪がなかなかつかないと報道されたり、その冠雪の姿も以前よりいびつな形になっていたり.....。
これは、富士山の永久凍土が縮小していることが関係しているのではないでしょうか? 国立極地研究所や静岡大、筑波大による研究グループによると1976年の永久凍土の下限は3,200メートル付近と推定されていたが、この25年で、山頂まで残すところ200〜300メートルとなり、永久凍土の分布域が大幅に縮小したらしい。

それと、相模湾のしらすが昨年6月頃は不漁でオイラのよく行く浜野水産では、当日の漁で獲れたものだけを釜揚げするので、釜揚げしらすが買えない状況が続いたと記憶している。神奈川県水産技術センターの「漁況予報いわし」
にも5月中旬から来遊水準が落ち始め、下旬から6月一杯は散発的な漁模様と記述されている。これは、水温上昇といわし成魚の動向が関係していると分析している。

海底→大気→山→地表→川→海
no na kau a kau (ノ ナ カウ ア カウ)
−いまも、これからも、永遠に。−

A hui hou (ア フイ ホウ)
−また会いましょう。
 さようならごきげんよう。−

 
市民記者 No.111 サーフライター
 
■コラム2:藤沢の自然と歴史
「江戸時代からの伝統のバリアフリー」
2006年4月15日

<プロローグ>
現在、ようやく根付きはじめた「バリアフリー」というこころみが江戸時代、ここ藤沢・江の島にあった。

<杉山検校>
江の島には、江戸時代の鍼医として、5代将軍綱吉の持病を治療したことでも有名な杉山検校のお墓があります。

杉山検校は、江の島弁財天を詣でた折、管鍼という新しい鍼の技術を発明し、杉山流の鍼術を研鑽・伝承しました。

この管鍼という技術により、目が不自由でも正確にかつ容易に鍼が打てるようになったといわれ、まさにこれは、現在の職業リハビリテーションそのものである。

<江の島道>
江の島道とは、江の島詣での際、藤沢宿から江の島弁財天へ通う道筋のことで、現在の遊行通り、石上通りから石上の渡し(現在の上山本橋付近らしい)で片瀬川を渡り、泉蔵寺、龍口寺へと続く片瀬旧道を経て、州鼻通りから江の島へと向いました。そのほか、いくつかルートがあるらしい........。

この江の島道に藤沢市指定重要文化財の「江の島弁財天道標」がある。これは、目が不自由な人が江の島詣でをする際、道がわかりやすいようにと要所要所に杉山検校により建てられたものです。

交通バリアフリーのお手本のような歴史がここ藤沢・江の島にはあり、それを実際に目にすることができるのです。

<エピローグ>
江戸時代から育まれるバリアフリーの精神を史跡の残る藤沢・江の島の地できちんと継承していきたいものです。

 
市民記者 No.111 サーフライター
 
■コラム1:きらきらのあの日
「研修最後の日」
2006年4月9日

<プロローグ>
 その日は、私が、とある生保に入社し、過 酷な新人研修をなんとか修了した日でした。

<朝>
 新入社員は、全員、研修所で共同生活を強 いられ、二人一組・4〜5組を1チームとした 5チームほどに、男性だけの集団を血液型と 星座といった乙女チックな分け方で区分けし ていました。
 その日の朝、共同洗面所での洗顔・歯磨き ・整髪も、すでに自然な光景になっていまし た。
 また、社歌、朝礼、標語といった朝の行事 もそつなくこなせるようになっていました。
 そして、徒歩、電車、バスにより、いつも の“勤務エリア”へ通勤しました。
 この時間に、私たちは、競い、励まし、和 み、もっとも凝縮した関係を築いたのでした。

<昼>
 “勤務エリア”は、研修所より少し離れた 地域をチーム数で分割されて指定されており、 研修期間のほとんどの時間をここで過ごしま した。
 まず、竹下景子似の若い奥さんが薬剤師を している薬局へ行きました。ここでは、私た ちは、スタミナドリンクを買う客であり、セ ールスマンであり、ご近所の噂話をする善人 でした。
 それから、お花の師匠だが、私たちには、 人生の師匠であった老婦人宅へ行き、お花の 講釈を聞きながら、お茶を飲み、自分達のこ とは、棚上げして、「勧誘には気をつけて」 の言葉をお礼がわりとしました。

<夜>
 研修最終日には、打ち上げが行われ、教官 への無礼講、研修成績の発表、研修後の赴任 先の発表が、カンパイ、ハクシュ、バンザイ のもと、行われました。
 仲間との朝の語らい、“勤務エリア”の人 たちとの交流から、この日の成果が生まれま した。とても有意義な時間を過ごせたと思い ます。
 ちなみに、私たちの研修成績は、記録に残 るほどのものではなく、記憶にとどめておく 程度でした。

<エピローグ>
 翌日、それぞれ、赴任先に向けて旅立ちま した。それは、学生の殻がキラキラと光って いた新入社員からギラギラとした企業戦士へ と変わった姿だったのかもしれません。

 
 

サーフライター


江戸っ子のサーファーが片瀬海岸に流れ着いた。早起きが苦手なためもっぱら夕方に海に入るという。波がない日はウクレレを奏で、日本語訳のハワイアンに目くじらをたてる。好物はタタミイワシで、海釣りの待ち時間が大嫌い。「肌で感じたいろんなことを自分のことばで伝えたい」と意欲満々。

 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。