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市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅 - 77
「沈 柏青 教授」
2007年08月06日

江の島から大和へ向かうバスで、私はとてもうれしい出逢いに恵まれた。

私の隣はがっちりした体つきの紳士だった。
「どんなお仕事をされているのですか?」と聞くと「医師です」と
いわれた。名刺を頂戴した。
  高雄医学大学名誉教授  沈柏青 

私はほのかに司馬遼太郎の「台湾紀行」を思い出していた。
台南の新営地区はむかし 製糖工場があって、多くの日本人が住んでいた。
この町に「沈内科」があって沈乃霖(しんないりん)先生は、司馬の
台湾取材に同行していた産経記者の少年時代の主治医だった。「魂魄」の
章は私が「台湾紀行」を読むたびに、いつも滂沱と涙するところである。

     
   
  沈 柏青教授 ・児玉神社にて
(右奥から2人目ワイシャツの人)

 

「沈姓の英語表記はSHENですか?」と聞いた。そんなことが
「台湾紀行」に書かれているのを思い出したのだ。
教授は「そうです」と答え、さらに「鹿児島にも沈姓があります。
豊臣時代に朝鮮半島から来た陶工が先祖で・・」といわれた。
「そうですね。沈寿官(ちんすーがん)さん・・。今もご健在です」
司馬ファンならすぐ気づくが、沈寿官さんは「故郷忘じがたく候」の
主人公である。この小説は司馬の短編の中でも秀逸といわれるものだ。

そんな話が続いても、私は沈教授に「台湾紀行」とか司馬遼太郎の
名前を出すことが、なぜか口重く、ついにしなかった。これが大失敗と
なった。沈教授が新営の沈乃霖先生の御次男だと知ったのは
帰国された後のことである。

私達は東京へ向かう台湾の人々と台湾亭で別れた。私は沈教授に挨拶し
写真をCDにおとして送りますと言った。
沈教授にCDを送るとき、便箋の余白につまらないジョークを書いた。
「バスの中でお話を伺いながら、司馬遼太郎『台湾紀行』の沈乃霖先生を
思い出していました。台湾のドクターは沈姓が多いのだな・・と」

数日後の夜、高雄の沈教授から電話をいただいた。写真の礼を聞いた後
私は新営の沈の次男です。だから今でも司馬夫人 みどりさんらとも
おつきあいが有りますといわれた。私は驚いてエ!といって言葉を失った。
教授は台湾に戻ってすぐに、交流協会・台北代表(大使)の池田さんと
二人で黄崑虎会長宅を訪問、招待された鳥山頭ダム湖では八田與一夫妻の
お墓に参拝したといわれた。私も2年前李登輝学校に、参加したとき
黄会長のお世話で同じコースを行ったことを話した。
10分ほど話して、教授は高雄へ来たら寄ってくれといって電話が切れた。

私は驚きのまま「台湾紀行」の「沈乃霖先生」の章を広げた。
アンバサダーホテルに次男の柏青氏が産経記者を訪ねて来られた。名刺の
裏に、ローマ字で「SHEEN」と表記されていた。・・と書かれている。
私も沈教授の名刺の裏を見た。Pai-Ching Sheenと美しい綴りがあった。
私は興奮冷めやらぬまヽ、石川さんに電話していきさつを話した。
石川さんも驚かれていたが、来年の台湾高座会は高雄だから一緒に行こう
そして沈教授を招待しようといわれた。

この春から蔡焜燦さん、李登輝さん、そして黄崑虎会長や沈柏青教授ら
すばらしく、懐かしい人々との出逢いがあって 私はあらためて、その
幸運に感謝している。

<< 2007年 8月  
 

湘太


藤沢在住30年、2005年の定年から「アカ落とし」に精を出す日々とか。司馬遼太郎を片手に大和路を歩き、修二会では念願の老師との対話を実現、その行動力には脱帽。日々、好奇心のアンテナを張り、出会いを求め歩く…「人に、風に、ことばにであう旅にでる 出逢いが別れであるとしても・・」



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。