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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.312 落雁亭
 
■コラム:江の島の〈自然に学ぶ〉〈歴史を展く〉
「江の島は自然と歴史の宝の山だ!」
2008年10月17日

今回、市民記者養成講座「江の島フィールドワーク」で島の中を歩き、普段全く意識していなかった江ノ島の歴史と自然の姿に触れることができた。その最初は歌川広重「相州江之嶋之図」の浮世絵から始まる。その絵には天保11年から13年頃の江の島が描かれており、現在島の中にある聖天島が小さな別な島として描かれている。さらに江の島を描いた浮世絵を探していると「電子博物館みゆネットふじさわ」に行き当った。「藤沢市教育委員会」がネット上で公開している博物館だ。
電子博物館はこちら [ http://www.mus.city.fujisawa.kanagawa.jp/ ]

話は戻り、島の伝説に話が進み「江嶋縁起絵巻」の登場、電子博物館の説明によれば「江の島の伝説をまとめた紙本著色全5巻の絵巻物。詞書は仮名交じり文、絵は伝統的なやまと絵の画風に水墨画の描法、作者は不明、作風から室町後期の作と推定される。江嶋縁起の原本は現存しないが、数種類の写本が伝えられている。この縁起絵巻は江戸時代の江の島総別当岩本院の宝物として伝来した。」とのこと。この伝説には天女が現れ造られた江ノ島、美しい天女を見染め、今までの悪行から心を入れ替え、人々に尽くし天女と結婚した龍、龍は死んでも島と里人を守るため山になったそうだ。その山は今の「片瀬の龍口山」あたり、里人はそこに龍口明神社を建て、本殿に五頭龍の木彫りのご神体を祭った。

次は島の自然に目を向け、元禄16年の大地震で1mも隆起した跡、浮世絵「相州江之嶋之図」でも確認できるように、現在島の中にある聖天島は海底火山の爆発で海底に噴出したマグマのしぶきが積もった地層とか、島と陸続きになっているのも驚きだ。昔あった南の磯の海食台はどうなったのか、今考えると東京オリンピックの時に造られたヨットハーバーは作るべきだったのか、ふと疑問が頭を過ぎった。

さらに島の地層の分析、1500万年前に深海底で積もった地層が固くかたまった岩石となり隆起に隆起を繰り返し、その上に箱根や富士山が噴火して積もった灰で出来た関東ローム層、江ノ島の年齢は5〜6万年前になると言われている。因みに江ノ島の標高は60mまでになっている。藤沢で2番目に高い場所だそうだ。長い年月をかけてつくられる自然の姿、短い人の一生では測り知ることができない。だから自然に対して手を加えてはいけないとつくづく思う。

島のエスカー乗り場あたりにある児玉神社へ初めて足を踏み入れた。「狛犬の口の中の丸い石はどうやって入れたのかな?並んだ二四の狛犬には雄雌の区別ある。台湾独特の慣わしかもしれない」との説明、大正7年に建立された明治の陸軍大将児玉源太郎の霊を祭る神社、児玉源太郎と台湾の関係は明治31年から39年の台湾総督時代の関係であろう。児玉源太郎と言えば司馬遼太郎の「坂ノ上の雲」が思い出される。昔読んだ本なので記憶に残っていることは少ないが、旅順攻撃の話が幾分か思い出される。

知識を持って見聞する、持たずに見聞する、この違いでこれほど見どころが、楽しさが違ってくるのか、とてもいい勉強になった。江の島は自然と歴史の宝の山!まだまだ尽きない自然と歴史の探索コースがあるようだ。二時間半の歩きで汗もびっしょり、今夜のビールはきっとうまい!

 
市民記者 No.312 落雁亭
 
■コラム: 藤沢でがんばる畜産・農業
「装いを新たに、輝く農業への第一歩」
2008年10月17日

藤沢市の農業を語る前に藤沢の地勢について、市の資料によると「関東平野の西南部に拡がる相模台地の南端、三浦丘陵地帯の西端、湘南砂丘地帯の東部が互いに交差した地域、西南部は砂質土壌、中・北部は火山灰土壌、概ね平坦で耕地は全市域面積の12%(畑8%、水田2%、樹園地2%)。水田は引地川、境川など河川の沿岸に開拓されている。気候は平成18年の年平均気温は最低12.8度、最高20.6度と温暖、月間雨量は最低70mm(1月)、最高180.5mm(10月)」とのこと。

素人目に見ると、見近かに大きな消費地があり、平坦な土地、良い土壌、気候も温暖、都市近郊型農業が発展する条件が揃っているように見える。都市化により専業農家が減少し兼業農家に移行したとのこと。平成17年の統計によると平成12年度との比較で、農家戸数は13%の減少、ところが、その内訳は専業戸数は13.9%の増加、兼業戸数は22.5%減少となっている。兼業農家が減少の一途をたどり、農業戸数全体の減少につながっている。藤沢では専業農家でないと生き残れないのか!この背景は何か!興味を引かれた。

まず「みやじ豚」のブランドで畜産を営んでいる宮治さんから話を聞いた。年齢も若く、課題認識能力に優れており、課題が認識できるから現在抱える問題を解決できる方。インターネットを利用した販売方法など新しい考え方で畜産の運営に新風を吹き込む意気込みが感じられ、とても新鮮だった。この藤沢の地で新しい一次産業の新しい農業のモデルを作り、老若男女が気軽に参加できる藤沢市の「頑張る畜産・農業」が期待出来そう。

もう一つ、野菜を中心に農業を営んでいる亀井さんの話では、現在置かれている状況を淡々と話され、例えば天候の不順による出来高の調整、輸送コストの上昇、燃料費の高騰、農機具調達費用の高負担・消費者の指向、後継者など積年の問題が積もり積もっており、厳しい状況から死活問題に変わっていることを説明された。これも現実であり、畜産の話とは対照的だ。すでに活動されている、後継者の育成、消費者との交流、稲作実習指導など、行政への提言を通じて変化を起こして欲しいと思う。老若男女が気軽に参加する農業として、藤沢にもふるさと回帰を目指す方々がいるはず、農業に興味をお持ちの方々に開放して、土にまみれ、額に汗して、農業を楽しんでいただくことも考えてはいかがか、一つの方策だと思う。

一番大切な農業が衰退する、何故このような状態になるのだろうか、素人なりに考えると、一次産業から三次産業まで、すべての産業が共生する社会構造を築いてこなかったからだ。社会構造を変える中で、農業も変わることが必要、「自ら新しい農業のモデルを作って進む農家、それを支える行政」のような関係へと転換するのも一つの方法。「言うは易し、行うは難し」だと非難されそうだが、「頑張る畜産・農業」を育てるために先頭を切る藤沢の農業であって欲しいと思う。近い将来総選挙が行われる。農業を変えるために、まずははっきりと意思を示そう!

 
市民記者 No.312 落雁亭
 
■コラム: きらきらのあの日
「中山道、歩く旅の醍醐味」
2008年10月17日

それこそ「毎日が仕事」のような日々から「毎日が日曜日」になり、この変化を埋めるため街道歩き始め、毎月一回旧中山道を日本橋から京都に向かって歩いています。「何故中山道」と問われれば、山間部を通っていること、江戸時代の面影が町並みに残こされていること、五街道の中で一番距離が長く、歩きながら楽しめるポイントが多いことが決め手です。

まずは足慣らし、日本橋から蕨宿まで夏の曇り空の日に歩き始め、夕方無事に到着、足には豆ができ、爪はやられ、最後は足を引きずる始末です。そんなこんなで歩く回数を重ね、安中の松井田宿まで到達しました。このあたりから茶屋跡も在り、旧中山道の味わいが出てきました。小雨ぱらつく横川の坂本宿から難所碓氷峠を越え、「皇女和宮の一行はどうやってこの険しい峠を下りたのだろうか」、当時の状況に思いを馳せるのも楽しみの一つです。

さらに、信州佐久から長和町を歩き、最大の難所和田峠を越え下諏訪宿に下りました。和田宿では江戸時代後期からそのまま残っている元庄屋で、現在旅館に泊まり、その古さに感激し、部屋の襖絵を見てまた感激です。当時の生活振りを思い出させるものが残っています。その中で綿々と生活が続いています。「百聞は一見に如かず」、このような生活があることを改めて認識しました。

今は木曽路から美濃路に入り、木曽路では島崎藤村「夜明け前」の書き出しで「木曽路はすべて山の中である。」を味わい、「あの山の向こうが中津川だよ。美濃はいい国だね。」との意味を中津川を一望できる旭ヶ丘公園で実感しました。道すがら町の人と語らい、過疎化が進んでいることを感じ、子供たちの元気な声を聞いてほっとしたり、中山道、歩く旅の醍醐味を満喫しています。

 
 

落雁亭


藤沢は六会に居を構えて30年。定年をむかえ地域とのつながりを求めて右往左往。ボルブドゥール遺跡から見た朝夕の景色が忘れられず、気がつけば世界遺産を巡り、地中海の国々を巡り。街道歩きにも夢中で、中山道踏破にも挑む。冬は東南アジアで、暖かくなったら日本での自給自足が夢。



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。