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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−009
「わたし、テレビのキャスターになっちゃった!?」
2009年8月26日

辻堂にあるケーブルテレビ会社「J:COM湘南」本社の「パソコン教室」で、夏休みの特別企画「親子でスタジオ見学をデジタル絵日記にしよう!」という小学校低学年までを対象にした催しが、8月の初めにあったので、お母さんと一緒に参加しました。
お父さんやお爺さんと一緒の人もいました。

     
   
     
   
  教室風景  

スタジオ見学は、東京の大きなテレビ局のスタジオと違って、小さくこじんまりとしたスタジオでしたが、大きなカメラやたくさんの太い電線が一杯ありました。ミキサー・ルームには、モニター・テレビが、壁にずらりと並んでいて、その前には畳のように大きなスイッチだらけの装置にビックリしました。

     
   
     
   
  スタジオ風景  

J:COM湘南のカメラマンのお兄さんが、カメラを操作してくれて、わたしの姿がモニター画面に映ったとき、ちょっと恥ずかしかったです。そして、江の島にある「お天気カメラ」は、このスタジオにある「リモコン装置で動かせるんだよ」と聞いて、またビックリしました。
リモコンを自分で動かしました。江の島や海岸が大きくなったり、画面を動かしたりして人や車がよく見えました。すっごく面白かったです。

     
   
  ミキサー・ルーム(主・副調整室)  
     
   
  モニターTVがズラリ  
     
   
  ミキサーに触る子供達  
     
   
     
     
   
     
     
   
  お天気カメラのリモコンについて
説明してくれるJ:COMのお兄さんと
操作している女の子
 

スタジオでニュース・キャスターになったつもりで写真を撮って貰い、
2階の教室で、感想文を書いて、すぐ絵日記を作りました。

     
   
     
   
     
   
  わたし、ニュース・キャスターになりました  

難しいところもありましたが、お母さんと一緒に一生懸命作りました。わからないところは、パソコン教室のお手伝いをしている「でじたるクラブ」のおじさん達やJ:COMのお姉さんが、つきっきりで教えてくれたので、上手に出来ました。
印刷に少し時間がかかりましたが、出来上がった絵日記を見たとき、
「ヤッターッ!」「デキターッ!」「ホラッ、見てッ!」と
みんなに自慢したくなりました。

     
   
     
   
  だんだん出来てきました  

印刷した絵日記は、お土産に貰いました。そして原稿は、USBに保存してそれもお土産に貰いました。家に帰ってからもできるので、楽しみだし、とても嬉しかったです。

     
   
     
   
     
   
  完成しました。お披露目です。  

午前中の2時間が、アッというまに過ぎてしまいました。
夏休みの素晴らしい体験をして、とても楽しかったです。そしてすごく勉強になりました。友達も出来たし、またやりたいです!

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−008
「小さな町の大きなお祭り・・辻堂諏訪神社例大祭・・」
2009年8月8日

トントコ!トコトン!トントコトン!・・あちこちから祭囃子の太鼓の
音が聞こえてきます。夏祭りのシーズン到来ですね。

     
   
  辻堂諏訪神社例大祭ポスター  

そんななか、ここ辻堂では「辻堂のお諏訪様」として、昔から信奉され
ている地元の氏神様「辻堂諏訪神社」の例大祭が、7月25日〜26日
の2日間、例年通り盛大に行なわれました。

     
   
  辻堂諏訪神社全景  

今から850年前(1159年・平治年間)、長野県上諏訪・下諏訪の
両大社の分神を祀り、創建されたのが辻堂諏訪神社です。
因みに諏訪神社は全国で約2500社あり、特に北条氏の所領地に多い
のだそうです。
神社周辺に、八幡神社・白山神社・日枝神社・八松稲荷神社など8社程、
末社があるようです。

   
末社のひとつ「白山神社」 末社のひとつ「八幡神社」

この諏訪神社のある辻堂元町を中心として、鎌倉時代、この附近一帯を
「八的ケ原」と呼び、→「八松ケ原」→「八松」と呼称は変化しました。
いまでも「八松地区」と名称が残っています。
また、「辻堂」の地名は「四つ辻の堂」・「辻御堂」・「堂」があった
のでとか?足利時代には正式地名として文書に残されているそうです。

     
   
  神社前の「四つ辻」
(藤沢へは左上を、海岸へは右の道を)
 

古くから、辻堂村の中心であった「諏訪神社・宝泉寺」の前の「四つ辻」
を基点に東西南北の「町」が作られ、東町・西町・南町・北町と四つの
集落がありました。いまでも町内会の名称に残されていますよ。
この「四つ辻」は、現在の住居表示だと辻堂元町3−15あたりです。
また、鎌倉道・大山道・藤沢道・東海道への分岐点でもありました。

     
   
  藤沢道へ(この脇から藤沢に行ったそうです)  

明治6年神仏分離により宝泉寺から分離された諏訪神社は、辻堂村の社
となり辻堂総鎮守となりました。同じ敷地内に並んで建立されています。
まさに、神仏分離の姿が見られる風景が、今に残されています。

     
   
  辻堂諏訪神社と宝泉寺(右手が本堂の一部)  

例大祭の初日に行なわれる「神社神輿渡御」も独特の掛け声で迫力満点
ですよ。また睦会神輿や子供神輿なども各町内ごとに繰り出されます。

   
   
いろんなお神輿

祭りのクライマックスを演出するのは、なんといっても人形山車です。
例大祭に繰り出される「人形山車」も「町」単位にあります。
各町から出た人形山車が、「四つ辻」に集まり太鼓囃子の競演をします。
東西南北から辻に集まり、向かい合った山車の姿に思わず興奮しますよ。

     
   
  四つ辻に集まった山車  
   
宮入りする山車

太鼓囃子ですが、「町」によって太鼓やカネの叩き方、笛の吹き方が
夫々異なります。さながら太鼓囃子のバトル合戦とも言えます。
夜は神社にしつらえた舞台で大競演です。
独特の伝統ある祭り太鼓囃子です。

   
奉納太鼓囃子(夜景)

南町の山車から順次宮入りし、神社境内で山車の上に人形が飾られます。
人形を乗せた人形山車は高さが8mにもなるそうです。
現在は、道中電線などが邪魔になるので、夫々町内を人形を乗せたまま
練り歩きが出来ないので、囃子方だけを乗せた山車が宮入りします。
人形は軽トラックで別途神社に運ばれます。

     
   
  東町の人形山車(源頼朝)  
     
   
  北町の人形山車(神功皇后)  

人形は、藤沢市の有形重要文化財と指定され、等身大の見事なものです。東町は源頼朝、西町は八幡太郎義家、南町は竹内宿禰、北町は神功皇后の4体です。
この人形を山車の上に乗せるのに約20分近く掛かるそうで、その作業を見ているのも楽しいのですが、

     
   
  南町の人形(竹内宿禰)  
     
   
  応神天皇(赤ん坊)を抱いた竹内宿禰  
     
   
  東町の人形(源頼朝)  
     
   
  北町会館で前夜の準備(神功皇后)  
     
   
  前夜北町会館に飾られた神功皇后  

主催者側から「午後から雷と雨との天気予報なので、今年の人形飾りは中止します」とアナウンスがあり、集まった観客はガッカリ! ウーン! ものの10分ほどで突然、ピカッ! ゴロゴロ! と雷が鳴り、ザーッ! と大粒の雨に見舞われました。・・・残念!・・・おまけに傘ナシ・・・それでもブルーシートで覆われた山車の中で、太鼓囃子に一生懸命の
子供達の姿に感動しました。(毎晩遅くまで練習していたものね!)

   
宮入りした山車(2基ずつ向かいあっています)

こうして、小さな地域での「町」の夏祭りは終わるのです。
夜店も大賑わい!狭い道なので押し合いへしあいでした。

先祖伝来、脈々と受け継がれている伝統行事は、決して侮れません。
来年は晴れてくれよッ!最後までだよッ! と祈りつつ祭りを後に。
・・・・・・・・・・小さな町からの大きなお祭りレポートでした。

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−007
「源頼朝が落馬したのは辻堂だった!!」
2009年7月28日

JR辻堂駅の近くでこんな立て看板を見つけました。なんと、源頼朝が落馬したのは辻堂だった!と言うのです。

     
   
  看板「源頼朝落馬の地」(アップ)  

この看板は、JR辻堂駅南口から商店街を茅ケ崎方向へすこし歩き、信用金庫の先を一寸左に入ったところに立てられています。(藤沢市辻堂2丁目17−1)

     
   
  駐車場脇の立て看板  

辻堂在住の郷土史家 大石静雄氏が、幼いころ古老達に聞いた話に興味を持ち、永年の調査研究の結果、源頼朝が落馬した場所は辻堂だった事が事実と判明しました。是非、後世に語り継がれるように記念の看板を立てたいとの願いから、各方面のご協力をいただき、2007年(平成19年)12月27日に設置されたものです。設置日はなんと落馬した12月27日ではありませんか。ウッフ!

さて、今から811年前のお話です。鎌倉幕府創設(1192年・建久3年)から、わずか7年後の
1198年(建久9年)12月27日の出来事でした。

       
   
  郵便切手にみる源頼朝
(神護寺所蔵)
郵便切手にみる源頼朝
(前田青邨画・大倉集古館蔵)
 

今でも語り継がれている有名なお話ですが、
源頼朝が、相模川橋の落成式に出席した帰り道、亡霊に出会い落馬したのが原因で、半月後の1199年(元冶元年)1月13日に死去しました。行年わずか53歳でした。

     
   
  出土した旧相模川の橋脚  
     
   
  史跡の案内図  

さて、死亡の原因はと言うと諸説あり、現在でも確定してないようです。ご本人に聞ければよいのでしょうが・・・・そうもね?
「吾妻鏡」では落馬説、「猪隈関白記」では飲水の病説、「承久記」では水神説、「保暦間記」では亡霊説、等いろいろな説があります。

これらの出来事にまつわるお話を若干しましょうか!?

「相模川橋の落成式に出席・・・・・・・」ですが、これは事実です。この橋は、御家人稲毛重成が亡き妻の追善供養のために造りました。稲毛重成の亡き妻(元子)は、源頼朝の奥さん(北条政子)の妹です。

また、当時の鎌倉ー京都を結ぶ(鎌倉往還)重要な道路に掛けられた橋でもありました。いろんな意味を含めて頼朝も出席したのでしょう。

この橋は、関東大地震による液化現象で、田圃が隆起して出土しました。諸研究・検証の結果、そのときの橋と確認されました。2m間隔の3本一列の橋脚が10mごとに4列あったと推測され、幅約9m、長さ約40mと、当時としてはかなり大きな橋です。10本の橋杭がみつかり、ヒノキ製で造られたことも判明しました。

       
   
       
   
  出土した旧相模川橋の橋杭  

「帰り道の落馬・・・・・・・・」ですが、
「保暦間記」によると、「八的ケ原」で落馬したと記述されています。この「八的ケ原」とは「辻堂」を指します。当時、辻堂附近は、八つの的を持つ弓の練習場があったので「八的ケ原」と呼ばれていました。また海辺に近く、多くの松が植わっていましたので、いつしか「八的ケ原」から「八松ケ原」そして「八松」と、呼び名が変化しました。いまでも辻堂元町附近を「八松地区」と呼んでいますし、「八松小学校」など「八松」の名が残されています。

     
   
  昔の辻堂八松附近(今の八松小学校あたり)
地域新聞「辻堂タイムズ」
2006年12月号「特集辻堂今昔物語」
「大石静雄さんに聞く辻堂の歴史」より。
 

「亡霊に出会い・・・・・・・・」ですが、当時は、亡霊や祟りが深く信じられていました。源頼朝が自ら滅ぼした源義広、源義経、源行家、安徳天皇などの亡霊が現れ落馬したのです。そう簡単に天下の武将が落馬するとは思えないのですが。

「今なら助かった?源頼朝」(宮田新平著)の本によると、落馬の原因は、現代医学で「クモ膜下出血」であろうと書いています。そのほか、「脳卒中」「脳内出血」「糖尿病」などとも言われています。

歴史は面白いですね。いずれにせよ源頼朝が落馬した所は辻堂でした。

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−006
「菊作りの話・・・その2・・・」
2009年6月30日

挿し芽から始め、何回か植え替えを行なってきた菊作り「盆養三本仕立」も、いよいよ、「定植」の時期を迎える頃になりました。「藤沢菊花会」では、第3回目「大鉢への定植と管理」をテーマに6月21日(日)長久保公園で、無料の講習会を開きました。雨模様もなんのその、約80名の愛好家で満席でした。

     
   
  賑わう会場  
     
   
  賑やかな会場  
     
   
  熱心な参加者  

中鉢(5〜6号)に移植された苗の三枝が15cm位に伸びた頃が整枝の適期で、アルミや銅の針金、ビニール紐を使って、1本の幹から3本の枝を形良く曲げ、その枝が真っ直ぐに伸びるようにするのですが、それより短いと柔らかい芽先を折ってしまったり、長いと幹が硬くなり思うような角度に曲げられず作業が難しくなります。

     
   
  上から見た三枝の様子  
     
   
  横から見た三枝の様子  
     
   
  三枝のアップ  

この苗を、いよいよ大鉢(8〜9号)へ定植するのですがその適期は、標準的に7月1日〜10頃と言われているそうです。以後、植え替えることなく、大輪の花が咲く秋までじっくりと育てあげるので、一番大事な時期と言えるでしょう。

     
   
  教壇の大鉢  
     
   
  教壇の三枝  
     
   
  教壇を囲んで語り合う参加者  
     
   
  教室での団欒  

大鉢に定植するには、培養土、肥料(顆粒・液肥)、排水層、などキッチリと決められたとおりに、準備しなければなりません。

     
   
  肥料や消毒液などの即売  
     
   
  推薦する肥料や消毒液  

「盆養三本仕立て」には基準があるそうで、「天」・「地」・「人」と呼び、真ん中の一番高い花が「天位」で、草丈が鉢底から花首まで160cm以下としなければならず、左右の花「地位」「人位」より少し高くする事と決められています。左右の花が、「地位」「人位」で草丈110cm以上であること。「人位」は、「地位」と同じ草丈か、すこし低くするように決められています。

     
   
  盆養三本仕立てのベース  
     
   
  根元のアップ  
     
   
  真上からの三本仕立て  

これらの決め事を守り、苦労を乗り越えて咲かせた菊が、はじめてコンテスト等に出せる作品になるそうです。「ヤッタゼー!!」と感極まり、喜びと楽しさの至福の時でしょう。

なんたって、定植後の日常の管理は、四六時中、目が離せなく、日照時間、雨風、猛暑、台風、ゲリラ豪雨、水遣り、肥料、病虫害、成長具合、開花時期、などなど。自然が相手なので苦労の連続だそうです。よく「愛情を込め丹精に育てたものほど、見事な花を咲かせ期待に応えてくれる」と言われますが、まさにその通りと思います。

     
   
  講師も熱がはいります  
     
   
  熱弁をふるう講師たち  

全日本菊花連盟会長 中村幸男氏は、昨年秋に開催された同連盟主催の第44回全国大会の挨拶で、「菊は古来、日本の文化であるとともに、趣味園芸の原点」であり、「菊の美しさに感動する心」「植物の生命力の凄さと素晴らしさを感じる心」を広く全国に伝え、継承させることが、菊作りの使命です。と話されています。

菊作りの難しさ、奥深さ、楽しさ、咲かせた時の喜び等、いろいろ勉強させて頂いた講習会でした。秋の成果が楽しみです!

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−005
「菊(キク)作りの話を聞く(キク)!?」
2009年5月25日

「藤沢菊花会」(会長 土方勝守氏)主催による、菊作りの講習会(無料)が、5月17日(日)に長久保公園(長久保都市緑化植物園)で、第2回「菊の苗の鉢上げ」をテーマに開催されました。

     
   
  長久保公園入り口  
     
   
  会場入り口附近  

「藤沢菊花会」は、50年以上の歴史を持つ藤沢でも屈指の菊作り愛好会で、約60名の会員が活躍しています。
年3回の菊作り講習会を無料で開催して、市民の皆さんに菊作りの楽しさを呼びかけています。また、藤沢市市民活動推薦センターの登録団体として、菊作りの普及に取り組んでいます。

当日は前夜来の雨の影響もあり、晴・曇り・雨・強風と悪条件にもかかわらず、熱心な愛好家が、会場入り口に設けられた即売場附近に早々と集まり、菊の苗の品定めやら肥料・消毒など、喧喧諤諤、意見交換の場となり、おおいに賑わっていました。

     
   
  真剣に苗の品定めをする参加者  
     
   
  菊の苗を囲み談笑する参加者  
     
   
  菊の苗をじっくり品定め!  
     
   
  有機肥料  
     
   
  相談風景  

定刻には78人の参加者で会場はギッシリ。補助椅子も急遽だされ、和気藹々とした雰囲気のなか、熱気に溢れる参加者達で、おおいに盛り上がっていました。

     
   
  談笑する参加者  
     
   
  満員の会場  

講習は、小鉢への鉢上げ・植え方・管理・消毒の方法・摘心の仕方・中鉢への移植・ダルマ作り・福助作りと、菊作りに欠かせない大事なテーマに参加者の眼差しも真剣そのもの。
より良い菊作りを目指す姿に感動しました。

     
   
  熱弁をふるう講師陣  
     
   
  実演する講師  
     
   
  講師と質疑する参加者  
     
   
  飛び入り講師で熱弁振るう会長  
     
   
  真剣にみつめる参加者  

菊の苗にも様々な名前が付けられていて、「泉郷情熱」「聖光の朝」「富士の輝」「泉郷夢蛍」「清見福神」「月見錦水」「富士新雪」等数え切れないくらい有るようです。
咲いたときの見事さを髣髴とさせるネーミングですね。

     
   
  ネーミングされた菊の苗  
     
   
  ネーミングされた8鉢の苗  

11月初旬には、1年間のご苦労が実を結び、見事な菊花展の開催が予定され、品評会の受賞作品も飾られるそうです。今から楽しみです!

次回の無料講習会は、6月下旬で、第3回「定植の仕方」をテーマに開催予定で、詳細は「藤沢氏の広報」「えのしま・ふじさわポータルサイト」でご案内されるそうです。

あなたもこれを機会に、菊作りにチャレンジしてみませんか!
今からでも遅くはないそうで・・・是非!是非!ご参加を!・・・・
ご自宅へ出張指導してくださる会員の方もいますよ!強力な助っ人!!

会では、会員大募集中で、これから菊作りを始めたい方、初心者の方など、大歓迎ですとの事。

お申し込み、お問い合わせは、下記へどうぞ。
〒252-0804 藤沢市湘南台4−40−8
沖本亘司様 E−mailnokimoto_y@yahoo.co.jp

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:♯♪ ハーモニー ♭♪  M−004
「ボージョレー・ヌーヴォーのシーズンですよ!」
2008年11月14日

BEAUJOLAIS NOUVEAU
フランス・ブルゴーニュ地方の一番南の地区が、ボージョレー地区です。この地区で今年収穫したばかりの葡萄から造られたワインが、ヌーボーと呼ばれる新酒ワインです。そうボージョレー・ヌーボーです。

BEAUJOLAISは、日本語表記で「ボジョレー」「ボージョレ」等色々な呼び方をしていますが、私はボージョレーワイン委員会やフランス食品振興会の統一の「ボージョレー」を言葉に使います。

ガメイ種という葡萄品種(白い果汁で皮が黒い)から造られ、色が鮮やかで口当たりの良いフルーティで、香りも強い赤ワインです。その醸造は普通のワインとは異なり、伝統的な発酵と自然なマセラシオン・セミ・カルボニックが共存する独特なもので、この地域の伝統と近代的技術の組み合わせで造られるそうです。

このガメイ種という葡萄は、世界中で作られていますが、そのうち60%がボージョレー地区で栽培されています。土壌が一番適しているようです。

     
   
     

毎年11月第3木曜日が「ボージョレー・ヌーボー」の解禁日と決められています。今年は、11月20日(木曜日)です。
古くは、11月11日(聖マルタンの日)11月15日(聖アルベールの日)など縁起の良い日が慣習として解禁日となっていましたが、その日が、土日と重なると出荷や売れ行きに影響が出て困るとの要望から、フランス行政府が1984年に11月の第3木曜日を解禁日と決めたのです。

まずは、パリのビストロで人気を呼び、1970年代に輸送手段の飛躍的発展(低温輸送など)に伴ない、そのフレッシュな味わいをフランス以外の国でも味わえるようになり、世界中で知られる事になりました。

又、ジョルジュ・デュブッフのような卓越した醸造家が現れ、世界に通用するほどに品質が向上した事もあり、1970〜80年代にかけて空前のワイン・ブームとなりました。

初物好きな日本人は「特別ワイン列車」を走らせたり、時差の関係で世界で一番早く飲めると、解禁日の午前0時を期して「ドンチャン騒ぎ」をするなどブームに輪をかけました。ご記憶のかたも多いと思います。以前は船便で赤道を通過、気温や波に揉まれ2〜3ヶ月。日本に着く頃は、美味しくないワインとなってしまいましたが、空輸で低温輸送が可能となり、現地と同じように味わえることもブームの一因だったと思います。

     
   
     
   
     

今年は日仏交流150周年だそうで、ボージョレー・ワイン委員会は、仏農水省後援のもと大々的なキャンペーンをするそうです。
「カウントダウンパーティ」「記者会見(フランス大使公邸に2008年に日本に輸入されたヌーヴォーを一同に集め、テイスティングを行なう)」や「メディア活用で消費者へ解禁日のアピール」等など。

今年は、9月中旬から収穫が始まり天候にも恵まれ、生産量は少なめながら大変品質が高く、昨年よりも骨格のしっかりしたワインが出来たそうです。果実香が華やかで外観が美しく、フルーティで赤い果実の香り、ジャムときにはカシスのような芳醇な香り、味わいは、タンニンも柔らかく骨格もはっきりした、心踊るようなワインに仕上がったそうです。

フレッシュさが身上なので、冷蔵庫で一時間程度冷して(10〜12度位)すっきりしたヌーヴォーの味わいを、お料理と共に気軽にお楽しみ下さい。また、旬の味であるヌーヴォーは、年内のお召し上がりをお薦めします。チーズ・ハム・ソーセージ・パスタ・ピザ・焼き鳥・ポーク・チキンが合いますよ。フランスパン(バケット)もご一緒に!

     
   
     
   
     

「ボージョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー」と一寸値段の高いワインが
ありますが、これは、ボージョレー地区の北側の山側に位置する地域で
造られています。この地域の38のコミューンから造られたもののみが、
「ヴィラージュ」と名乗れるそうです。きれいなサクランボ色でカシスやイチゴ等の赤い果実の香りをもっていて、バランスのとれた滑らかな味わいをしています。

あまり喋り過ぎるとエンドレスになってしまいます。
ワインと言うと薀蓄を傾けて悦に・・・、それはさておき、気軽にグラスを傾けましょうよ! 今宵も、4ビートのミラー・サウンドを聴きながら! 楽しいひと時を!!

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:江の島の〈自然に学ぶ〉〈歴史を展く〉
「古代にロマンを! ぐるりと江の島! 裏道散歩!」
2008年10月17日

エーッ!江の島の見方が変わったぞ! 理科(地学)的に散歩か! 観光マップによる散歩を「表の散歩」とすれば、地層という内面からの今回の散歩は「裏の散歩」といえましょう。その散歩ルートは、東浜海岸(砂の道)・モースの碑(シャミセン貝)・聖天島(マグマ)・元禄地震の跡(地盤隆起)・南海岸(海食台、海食崖、葉山層、火山灰)・山二つ・裏参道・市民の家の裏手(逗子層)・標高60m地点・中津宮・児玉神社(狛犬)・タブの木(古木)・ヒマラヤ杉(倒木)・カミヤツデ・海浜植物などです。理科(地学・地質学)の授業か!?と思わせます。

     
   
     

そうなんです。県内の小・中学の戸外学習のルートで毎年各校で実施され、先生方の研修でも日程に含まれているとか聞きました。恐れ入りました?

「表」「裏」ですが、奥村土牛(画家・1990年没。101歳)が、79才の時描いた「門」という作品があります。姫路城の小さな門を内側(裏)から強烈なコントラストで外側(表)を描いたもので、表現方法に特異な印象的な絵画です。今回の散歩と、共通の何かを感じさせる思いがします。

     
   
     

ところで江の島は、北緯35度17分・東経139度28分に位置。周囲4K、標高60.4m、面積0.38kuの陸繋島である。大昔、片瀬山と陸続きの半島だったが、切り離されて島になり、江の島になったそうです。

今から、2500万年前、房総半島から丹沢まで長大な山脈ができました。地殻変動で沈み込み・隆起を重ね、6〜7万年前に陸地が誕生したが、更に浸食・沈降・隆起・地震・噴火・降灰・堆積を繰り返し、揉みに揉まれた挙句、陸地から切り離され、5〜2万年前に島が出来ました。「江の島」誕生です。浮かび上がれず1500mの深さに沈みっぱなしなのが、「相模トラフ」です。島内のあちこちでそれらの痕跡が観察できます。

     
   
     

聖天島に行きましょう。三浦層群と呼ばれる700万年前の地層と海底火山の噴火によるマグマの痕跡が残っています。浮世絵にも描かれていますが、もともと二つの島でした。この形が歓喜天の姿に似ているので聖天島と呼ばれるようになったと言われています。東京オリンピックのヨットハーバー建設のため埋め立てられ、今では上部だけしか残っていません。

     
   
     

また、この附近は、野良猫の天国で「ニャン」とも言わず20匹以上が、悠々自適に暮らしています。「猫の島」ともいわれ、衣食住の不自由はないようで。避妊手術で数を増やさず、餌場を作り、観光資源にも利用したいなぞ、地域猫化推進運動もあるそうです。「ニャン」と言ったらいいのか?

     
   
     

近くに小さな坂道がありますが、元禄地震の隆起の跡です。この地震で島全体が1mも隆起したのです。第5代将軍徳川綱吉治世の頃、元禄16年(1703)12月、M8.1の大地震が発生しました。小田原城天守焼失・城下壊滅、平塚で液化現象、熱海で7mの津波、横浜で3mの津波、三浦半島先端1.7m・房総半島先端で3.4m隆起しました。この年の3月。赤穂浪士46人の切腹があり、その恨みから起こった地震と巷に、噂されたそうです。

     
   
     

その4年後。宝永4年(1707)富士山(宝永山)の噴火がありました。富士山の噴火の歴史を塗り替えるような大噴火でした。江の島のアワビ・サザエ・エビ・海藻類が全滅し、漁民の生活が困窮を極め名主から岩本院にだされた嘆願書が、古文書として現在も岩本楼に残されています。新井白石の日記にも、昼間でも行灯がいる暗さと記されたいます。被害甚大でした。

     
   
     

南の海岸にでてみると、これぞ江の島の真髄かと思わせる景色です。波に削られ平らなテーブルの地形(海食台・波食棚)です。関東大震災で2mも隆起し、波の上に顔を出したのでしょう。迫力ある光景です。この附近は磯が点在しています。磯釣りのメッカです。(余談)
上を見上げると壮大な崖です(海食崖)。1500万年前の葉山層がぐしゃぐしゃになっています。50m位上のところの白い帯は火山灰です。このように境目の区別がつかないくらい、大きな変動が合ったのでしょう。江の島誕生の原点を見た感がします。古代へのロマンが沸々と沸いてきますね!

「磯」がこの附近から岩屋、稚児ヶ淵方向に点在しています。江の島には約40余り、磯場があり、誰がつけたか判りませんが、それぞれ名前があります。地図には載っていませんが、ユニークな名前のいくつかを・・・・・・・島と名の付く磯は9つで、馬鹿島。離鵜島・たこ島・のりへん島・ひょうひょう島・広鵜島・東スズキ島・おおみの島・離馬鹿島です。親不知・竜池岩・おか磯・馬の背・水道口・釜の口・魚板岩・寒鯛場・トビッチョ・ニホンボックリ・灯篭下などなど・・・・これも地層のイタズラでしょうか?

     
   
     
 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:藤沢でがんばる畜産・農業
「この味を! 時を越えて! いつまでも!」
2008年10月17日

プロローグ:
2008年9月6日、若き新進気鋭の農業プロデューサー・宮治勇輔さん(養豚業)と老練な農業技術を持つ農業家・亀井利貞さん(湘南野菜)のお話を聞く機会がありましたので、その内容についてご紹介します。

     
 
亀井利貞さん   宮治勇輔さん

第一幕:「みやじ豚」
斬新な考えの若き養豚業の宮治さんは、「オーケストラの指揮者」「ジェット旅客機のパイロット」のように、理路整然と情熱に溢れた語り口で、観客に感動を与えました。

「バーベキュー」は、脱サラのキーワードでした。「美味しい!」の一言で、養豚は俺が継ぐと決意した大輔さん(弟)。「どこで買えるの?」の一言で、起業を決意した勇輔さん(兄)。「兄弟船」の出発です。お二人が仕事を分担し、協力して「みやじ豚」を世に出した運命の言葉です。

家族経営なので600頭(近々800頭?)が飼育の限度で、これ以上増やすつもりはありませんと宣言されています。「血統」・「えさ」・「育て方」にこだわり、豚の兄弟同士だけを一ヶ所に集め育てるやり方で、少数精鋭主義を守り「みやじ豚」としてブランド化し、差別化を図っている。こうした手法は全国でも稀有であり、ITの活用、メディアを利用して販路拡大と言う発想は、誰にも出来なかったことです。

ちなみに、県内で92400頭、湘南地域で35180頭、藤沢で16400頭の豚が飼育されているようです。(平成17年データ)藤沢でも21800頭(平成12年)をピークに、年々減少傾向にあるようです。

また、銘柄豚として全国に91銘柄が登録されているそうですが、それには固辞せず、自分が作り、最後まで責任を持つ信念で、自身の名を冠せ「みやじ豚」と銘を打ち、生産者から消費者へ直接顔の見える手法で差別化を図っています。

余談ですが、私もこんな経験があります。伝統ある農産加工品が、メディアに紹介され注文殺到! 私も注文したが品切れでした。

店主曰く、「家族経営で先祖伝来の手作りなので、半年位お待ち頂きたい」との事でした。

待つほどに、ようやくできたので予約順に発送すると詫び状と共に届きました。待った甲斐のある美味でした。さすが先祖伝来の味を残そうとする姿に感動もしました。

宮治さんの思いと、どこか共通点があると感じました。この味をいつまでも! です。

閑話休題。宮治さんの「農業プロデューサー」・「マイナス6Kをプラス3Kにしたい」・ 「地元湘南で農業と地域活性化を目指す」との目標に全力を傾ける姿に、私自身も身内になったような気がして、理解と愛着が増した感じです。

     
   
     
     
   
     


第二幕:「湘南野菜」
老練な農業技術を持つ農家三代目の亀井さんは、「バロック音楽の演奏者」・「ヘリコプターの操縦士」のように、伝統と新技術を自由自在に話題を展開させ、宮治さんとは違う語り口で、観客に刺激と感動を与えました。

藤沢で農業を守って三代目の亀井さん。祖先の土地を守り野菜作りに就農したのは、昭和46年。伝統的な技法をべ−スに「よりよい野菜を!」とトマト・キューリを中心に改良に改良を重ね、湘南野菜の今日の地位を確立しました。

後継者の育成に「農業研修生」の受け入れや、「後継者は子供の頃から」と子供達を、稲作実習に体験させています。田作り・田植え・雑草取り・稲刈り・脱穀・収穫物の料理・食事まで一貫して、子供達に経験させ、農業のつらさ・喜び・感動を与えて、一人でも多く、「おれも家を継ぐ!」と思わせ、実現させたいと力をそそいでいます。

ちなみに、藤沢の農業従事者は2064人、農家は811戸だそうです。また、収穫量ベスト3は、トマト3180トン・キューリ2270トン・キャベツ2660トンだそうです。(藤沢・平成17年データ) やはり人・物とも、年々減少傾向にあるようです。

余談ですが、わたしもこんな経験をしました。ある地方の朝市です。農家のお婆さんが、「朝もぎたてのキューリだよ。曲っているだけで農協に出荷できないだけで、作り方も味も同じだよ。わしらが丹精こめて作ったものだよ。

箱に入らないから規格外さ。都会人は曲っているとキューリじゃないと思っているのかねー」(苦笑)。「野菜も生き物。朝から晩まで直立不動なんてありゃしないよ」「新鮮だよ」「みずみずしいよ」「美味しいよ」と自慢げに「買わんかねー!」でした。

閑話休題。農業をいかに守り・育て・受け継がせるか・魅力を感じさせるか・時代の急ピッチな変化にどう対応し乗り越えるか、大きな課題を憂慮しつつ日夜活動を続ける亀井さんの姿に感動を覚えました。

エピローグ:
お二人共、畜産・農業に対する危機感を共通の認識として持ちながら、それぞれ独自の手法で藤沢・湘南・全国に「みやじ豚」「湘南野菜」を残すべく頑張る姿に頭が下がります。「この味を」「時を越えて」「いつまでも」守りましょう。次の世代から次へと永遠に!

 
市民記者 No.310 ミラー・サウンド
 
■コラム:きらきらのあの日
「今日は、カワハギに、エサをやりに来ました!!」
2008年10月17日

「あれっ!」「エサが!」秋の陽を浴びてキラッと光ったハリ先がやけに皮肉っぽく見えます。釣れないもどかしさ・ストレスを感じさせる媚薬が、毎年「カワハギ症候群」として、秋から冬にかけて発症します。「エサ取り名人」と名を馳せるカワハギ釣りのシーズン到来です。きょうも、船宿へ急ぐのです!

ところで、この魚はフグ目カワハギ科です。鱗が変化し、ザラザラで厚くて硬い表皮。剃刀のような硬歯。おちょぼ口で、好物のアサリの剥き身を、ワタから食べ、嫌いな部分は残し、一気に呑み込まず、かじったり、啄ばんだり、吐き出したりと、頭が良すぎます。(見た事?ありません)おまけに「ヘリコプター泳法」で、上下前後左右と自由自在に泳ぎまわり、ときには、エサを前に、フォバリングもするヤッカイな魚です。全くもう!

「面白い度」「ハマリ度」「食べたい度」「要技術度」ぜんぶ五つ星です。キラキラ度が、ギガギラ度になった2007年11月の出来事です。久里浜・久比里の馴染みの船宿「山下丸」から9人で出船しました。今日は、内房の竹岡沖・金谷沖、三浦半島の剣崎沖・久里浜沖を探ります。天気快晴・北風強し・波高くうねり有・釣り難い予感がビンビンします。

道中は、東京湾でも屈指の混雑航路です。潜水艦やイージス艦、コンテナ船、カーフェリー、などが激しく往来します。「でかいなー!」「すげーな!」と。その間を縫うように、釣り場を目指します。船は揺れ、房総半島も三浦半島も波間に見え隠れするする始末。ジャッポン、ジャッポンと波を掻き分け、ようやく釣り場に到着したのです。

1球目ググッ! ベラでした、2球目はトラギス。3球目は音信不通。見事に3本針はキラキラ。アサリは、全部カワハギがゲット! やられました。船中あちこちで、「とられた!」「とられた!」の悲鳴が、波にこだまします。やっと本命を釣り上げたら、ワッペンサイズでガックリ! でも7枚は釣ったぞ。(大物もいれて)。小さな弁当箱に一杯詰め込んだアサリの剥き身は、ぜんぶカワハギに差し上げた次第です。ヤレヤレ。翻弄されっぱなしでした。 
               
納竿のころから、風はやみ、波も凪ぎ、キラキラ陽が輝き、なんとも皮肉な! 家に帰り、さあっ! 料理開始!口を切り落とし、ベロッと皮を剥ぎましょう。一気にカワハギは丸裸です。この面白さは、たまりませんなー! 快感ですよ。淡白で上品な白身、「海のフォアグラ」といわれる甘いキモ。チョウ美味です。マグロやアンキモより、一枚上を行く存在です。鍋物・唐揚・甘辛煮・天麩羅・ルイベ・ドリア・フライと料理法は豊富で、どれもこれも、美味!美味!。実に美味いのである。とくにおすすめは、。コリコリと淡白な刺身をキモ和え・キモ醤油ときたら、この世は天国!

散々な、でも、キラキラした一日が思い出されます。
今年も行こうっと!

     
   
     
 
 

ミラー・サウンド


辻堂に居を構えて約50年。損害保険一筋の人生48年。22歳で始めたクラシックギターはプロ級の腕前、昭和11年生まれのモダンボーイ。多彩な趣味を背景に、「軽快な4ビートで、心を弾ませ、心を癒すような美しいハーモニー」を目指すというコラムは、まさに流れる言葉が次々と溢れるよう。



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。