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☆お知らせ☆
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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
「金子みすず記念館」
2007年8月20日

「山口県長門市仙崎」 と聞いても地図で場所を指せる人は山口県出身者以外には少ないと思います。観光地「萩市」の左の方角と言えばかなりの人は大体の位置が推定できると思います。

現在では、青海島観光と仙崎かまぼこで有名な観光地です。ところがこの地は、童謡詩人「金子みすず」の生まれ故郷でもあります。現在、彼女が幼少期を過ごした金子文英堂書店跡地に記念館が建てられ静かなブームになっています。
金子みすずは明治36年に仙崎で生まれ、昭和5年26歳の若さで一人娘を残しこの世を去りいつしか「幻の童謡詩人」と語り継がれてきました。20歳の時には、詩人西篠八十氏から「若き童謡詩人の中の巨星」と称賛されたほどの人でした。この世のすべてにあたたかいまなざしを向けた彼女の詩は多くの人の心に深い感銘を呼んでいます。仙崎の静かな「みすず通り」の家々の軒下には、彼女の詩が何気なく展示されてました。


   大漁

   朝焼  小焼だ  大漁だ
   大羽鰮(おおばいわし)の  大漁だ
   濱はまつりの  やうだけど
   海のなかでは  何萬の
   鰮のとむらひ  するだろう


下関から山陰線、2両編成の観光ディーゼルカー(各駅停車)で2時間ののんびり旅で仙崎へ、途中2回ほど響灘の景勝地に臨時停車し観光ガイドをしてくれました。帰りは、美祢線、1両のワンマンディーゼルカー(写真)、無人駅ばかりのローカル線、ワンマンバスと同じで降り口で運転者が料金の回収してました。のんびりとしたローカル線の旅はお勧めものです。

     
   
  金子みすず記念館  
   
  みすず観光列車 ポスター  
   
  みすずの詩 「大漁」  
   
  ローカル列車 車内  
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
「北九州の夏(1)」
2007年8月11日

 梅雨明け前の7月23日、23:10久里浜港を11,000トンのフェリー「シャトル・大分」が出航した。5歳、8歳の腕白坊主と、記者の3人が乗り込んだ。夜明けは尾鷲沖、10時潮岬沖、14時室戸岬沖、17時足摺岬沖を通過し21:10大分港に入港。
 水平線が丸く見える太平洋、15メート近くを飛ぶトビウオや海面を漂う海がめとめぐり合いながらの22時間の船旅はバイクツーリング以来3年ぶり。九州はすでに梅雨明けしており、朝からクマゼミのワシワシワシで目が覚める。並みのうるささではないがまさに九州の夏を一番感じさせてくれる。 それに夏の活き魚がなんともいえず美味い。
 九州といえば阿蘇山。火口を覗いてきました。前日までは有毒ガスがかかり火口は見学できなかったそうですが当日は幸いにも、火口まで登れました。火口底はエメラルドグリーンの高温の池で白い湯気とガスで自然の雄大さを感じさせてくれました。それにしても中国、韓国からの観光客の多いこと。 
 関門海峡では13日、九州の門司側と対岸の下関側から打ち上げる花火大会が開催されNHKで中継されるようです。今年は、1ケ月の耐暑生活を当地で体験する予定です。

     
   
  阿蘇の火口  
   
  関門海峡  
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
藤沢駅南口が美しくなります
2007年7月2日

6/30土曜日早朝から藤沢南口周辺は150名のボランティアであふれました。駅周辺の環境美化目的で市主催のバリューアップキャンペーンが開催されました。記者も所属する「江ノ島みちルネッサンス」のメンバーは19名、活動に賛同する東京三菱UFJの方が17名総勢36名でキャンペーンに参加しました。もともと、「江ノ島みちルネッサンス」なる団体は藤沢の景観を美しくする目的で活動を続けていますが、駅周辺の景観の悪さをどうにかしなければと調査した結果を元に、関係行政、JR、小田急に提案を持ちかけ幾度となく3者の意見交換を重ね6/30の開催にこぎつけたことが出来ました。今回「江ノ島みちルネッサンス」(略称:みちルネ)が担当したところは、
 ・違法看板の撤去(見苦しい汚い看板)
 ・古く汚いベンチの撤去、代わりに4台の新品ベンチの作成と設置
 ・タバコポイ捨て禁止ならびに自転車降車の案内板の製作と設置
 ・2ケ所に新規花壇を設置
今回は初めの第一歩ですが、駅周辺の企業、地権者、行政、警察等と協力
しながら美しい藤沢をめざし新規会員の参加呼びかけています。

     
   
     
   
     
   
     
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
「湘南/波乗り板/職人技」
2007年4月2日

 古めかしい題名は記者の年齢によるところ、現在風には、湘南の風/カスタムサーフボード/シェイパーですよね。

 藤沢市の生涯学習大学かわせみ学園、市民教養学科では現在藤沢学の第4期が開講中であります。今回のテーマである「藤沢の海」にちなんでサーフボード作りの職人技を市内の仕事場で見学する機会に恵まれました。
めったに公開する事のない仕事場を見せてもらいましたので製作現場からレポートします。

 量産品ではなく、ユーザの要望に応じて手つくりでカスタムボードを作っていました。ボードの素材はブランクスと呼ばれ、ウレタンフォームで出来ておりメキシコやオーストラリアから供給されているそうです。ボードの真ん中縦方向全長にわたりストリンガーと称する幅5〜8ミリ程度の合板が補強材としてサンドウィッチ状に張り合わされています。
 まずこのブランクスに紙ヤスリをかけてユーザの希望する形状を見事な曲面に削り出すのは経験豊かな職人の技で、この段階でボードの機能的且つ美的曲面形状が決まります。

 次の工程は、ボードの強化と表面の模様入れが同時に進行します。ボードを強化するためには、グラスファイバーを布状に織った「ファイバークロス」をポリエステルレジンと称する糊を使用してボードの表面に貼り付けます。この糊の中に赤、ベージュ、白、青などの塗料を流し込むのですが、不思議に各色が混ざり合わずに分離しており、これをボード表面に絵を描くように流し込みます。糊は15分くらいで固まりますので短時間で芸術と糊つけの両方の職人技が見られました。
面白いことに糊の半分以上はコテでしごかれて作業台下の床にたれ落ちるので、床は長年の糊がコンクリートのように固まり、色つきの舟形状に10cm以上に盛り上っておりこの作業場の30年近い経歴を感じさせられました。乾いた後は、表面に研磨を重ねピカピカに仕上げ、最後にフィンを付けて完成です。

 軽くて、安全で、波を的確に捕まえるサーフボードがまさかこんなに海から離れた線路脇の小さな作業場で職人技によって作られていたことには驚きましたが、さらに職人達は作る以上に湘南の海が大好きでいつも湘南の風を気にしているサーファーでした。

     
   
  表面硬化  
     
   
  研磨作業  
     
   
  完成品  
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
藤沢の街路樹ーその1 「ハクモクレン」
2007年3月8日

暖冬の話題で終った2007年の冬、啓蟄が過ぎた頃に全国のどこかで
寒波の呼び戻しが聞こえてくるのは例年通りのようで自然の時計は狂っていないようです。

藤沢市の街路樹も芽を膨らませはじめましたが、今盛りの華やかさを演出しているのが「ハクモクレン」の木で、荏原製作所前の街路樹は写真の通り今が満開です。名前のとおり、灰褐色の枝先に大きくて真っ白な花を咲かせていますが、緑の葉はまだ芽吹いていないので遠くからでもよく目立ちます。

ハクモクレンの花は10〜15cmと大きく、おしゃれな照明器具の傘を逆さにしたように見えます。
大きな花びらは9枚に見えますが、外側の3枚ががく片で花片の6枚とほぼ同型で見分けがつきません。芳香も強く、中国では玉蘭(ぎょくらん)の名で蘭に扱われるくらいです。
落葉高木で10mくらいにはなりますが、街路樹は毎年剪定されていますので5〜6mくらいです。原産地は中国、葉は倒卵形で厚い葉質をしています。
同じ時期に咲くよく似た花として「シデコブシ」(幣拳)がありますがこの種は花弁が細長く、花弁の数が12〜18枚くらいあります。

観察して気づいた事は陽光に対する敏感さで、民家の陰に当たるところはまだ写真のごとく蕾で、人間様のように周辺に惑わされずに自然に正直に生きているようです。今から、いろいろな街路樹が活動し始めますので、散歩や買い物のときにはちょっと立ち止まると街中で自然を感じる事が出来ます。 

     
   
  満開のハクモクレン  
     
   
  街路樹のハクモクレン  
     
   
  ハクモクレンの花  
     
   
  日陰のハクモクレン  
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:小さなスケッチブック
「各駅停車 藤沢の里地里山〜その1」
2007年2月26日

最近、よく里地里山って聞くがこれって何だよ。もっとも里って何だよ。
「春が来た、春が来た、どこに来た。山に来た、里に来た、野にも来た」の里だよ。人が集まり集落を作って暮らしている低山地帯の総称のことです。
そこには雑木林、竹林、田んぼ、畑などが点在しています。
藤沢市内にもこんな風景があるのだが、雑木林は手入れされなくて荒れ放題でゴミの捨て場になっているところもあります。

藤沢市が5年がかりで里山保全ボランティアを養成し、現在会員70名近くのボランティア団体が結成されており、地域、行政、市民と協働で市内8ケ所の里地里山保全活動を楽しんでいます。
以降活動内容や市内の樹木紹介、環境保全活動等を掲載し、市民の理解を得ながら活動の参加を呼びかけたいと考えてます。

     
   
  稲荷の森の活動  
 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム3:漁業から見た藤沢
「相模湾漁師から学ぶ湘南の海」
2006年4月16日

 今や藤沢名物になった「シラス漁」「地曳網漁」を運営している葉山氏の話を聞く機会を得た。 延々3時間話し続けても話題が泉のように湧き出し話す声の大きさもまったく減衰しない。さすが50年近くも荒海で鍛えた人間はサラーリーマンを経験した自分とは格段の差があると敬服した。

 以前葉山のしおさい博物館の館員の方に聞いた事があるが、「SAGAMIWAN」と聞けば世界の生物学者の中では知らぬ人がいないほど有名な地名らしい。それほどにここは多種多彩な「生物の宝庫」らしい。 葉山氏の話でも、黒潮は南から北上し三宅島付近で急に北東に方向転換している。この方向転換する延長線上に相模湾が大きく口を開けているのである。 さらに駿河湾、富山湾と並ぶ水深が1000m〜1500mもある三大深度湾であるだけに、まさにまさに魚、生物の大きな溜まり場である。 カタクチイワシの稚魚であるシラスはこの方向転換する近くで生まれるので相模湾は良い漁場になるらしい。

 葉山氏が若かりし頃の湘南海岸では、海に入ると足元に魚がうようよと泳いでいるのが見られたらしい。 網に入った大量の魚は浜辺で干され、干上がった魚は麻袋に入れて醗酵させて「ほしか」と呼ぶ肥料に加工された。この良質の肥料を使って鵠沼、辻堂付近ではスイカ、モモ、サツマイモなどが作られ、サツマイモから澱粉を取るための澱粉工場もあったそうです。しかし今では在りし日の面影はなく漁師では生活が出来なくシラス加工や干物加工などの加工漁業または地曳網などの観光漁業に変化しています。

 シラス加工や地曳網等で成功されている葉山氏であるが、藤沢全体の漁業から見ると勝ち残りの最後の漁師の印象を受けました。相模湾に流れ込む引地川、境川、相模川等の大河川は川底、川辺ともにコンクリートで固められ、川の生物や植物の繁殖を妨げ自然界による水質の浄化機能はなくなりこれらが海の汚染をジワジワと進めて漁業産業の後退をきたしたように感じました。工場のダイオキシンの垂れ流しのような環境問題も拍車をかけたようで葉山氏は環境問題でもご苦労されているようです。。

 最後に心配事は?との質問で、2005年の東京湾で起こった地震の数日前に漁場の海底で起こった泥の変化が大変気になると言っておられましたが、漁師の感が的中しないように願いたいものです。相模湾は地形上、黒潮のお陰で生物の宝庫と言う恩恵を受けている反面、相模トラフと言う4つのプレートが重なり合う地震の巣窟でもあるからです。

 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム2:藤沢の自然と歴史
「藤沢のいにしえを知る 〜面・線・点の痕跡〜」
2006年4月8日

 面の時代、太古の地形創成期、6000年前の藤沢は境川及び引地川の奥まで海がありました。現在、遠藤地区に貝塚の跡があることはこの近くまで海があった証拠です。当時の海岸線は、現在国道1号線が通っている相模野台地のふもと辺りであって、そこから現在の海岸線までは海が後退したことになります。そのため相模野台地から現在の海岸線までは広大な砂丘地帯が残っていたそうです。藤沢が今のように開発される前を知っておられる60歳以上の方は6000年前の痕跡を少しは覚えていると思われます。

 線の時代、400年前の江戸時代に入ると藤沢は門前町から宿場町に変遷していき東海道の宿場町として発展していきます。 東西に伸びる東海道、南北に伸びる八王子街道、江ノ島道、北西に伸びる大山道 他に鎌倉道、京鎌倉往還道など線で結ばれる交通の要所となりました。 江戸時代中期には庶民の旅が盛んになり江ノ島詣り、大山詣りが盛んになり藤沢宿は賑わいを見せました。

 点の時代、江ノ島、遊行寺、大庭など点であらわせる由緒ある地名が多々ありますが「大鋸」もそのひとつです。 藤沢在住以外の人は「だいぎり」とは読めませんね。
 同じ漢字の地名は藤沢以外にもあるそうですが多くが「おが」と呼んでいます。おがくずの「おが」です。 おが「大鋸」とは大木を立てに挽くこと出来て、板を作るために作られた特殊な大ノコのことです。 こんな特殊なノコと技術を持った職人や棟梁さらに町の支配力を持った人が住んでいたところが今の大鋸町で藤沢発展の原動力になった由緒ある地名です。


 
市民記者 No.102 板倉慶隆
 
■コラム1:きらきらのあの日
「鉄馬での九州秘境の旅スタート」
2006年4月1日

 やばい!、これでは最初から予定が狂う!!
昨夜川崎フェリーターミナルを出港する時から既に1時間遅れだったが、なーに挽回するさとたかを食っていたが見込み違いであった。
16時に着けば日向から高千穂まで2時間、まだ陽がある内にキャンプ地に着いてテントを張れるのだが、今の時間では高千穂着は19:30分。
もう陽は落ちている。

 案の定、高千穂着は辺り真っ暗、谷間のキャンプ地、五ヶ瀬川河原の降り口が分らない。付近の民家で尋ねてみたが、急坂で夜は危いからやめたほうが良いとのこと。仕方なくテントを張る場所を探したが、町中では見つからず、腹はぐうぐう泣いている。やっと町外れのT字路の傍らに明かりの付いた草地を見つけた。 今夜はここに決めた!警察に見つかるとやばいので植え込みの影にテントを張った。

 朝4時、あたりはまだ暗いがテントをたたみ、朝飯を済ませた頃、周辺の山の冷気を裂いてまぶしいくらいの陽光がキラキラさし始めた。さー、今から九州の秘境、椎葉村、五木村をめぐる出立だ。 気持ちはキラキラ、650cc単気筒のエンジンはうなりを上げた。

 
 

板倉慶隆


会社時代は、300トントレーラ、水陸両用自動車などの設計から、CADソフト、生産システム等に携わる。退職後は、里山活動ボランティア、バイクツーリング、油絵クラブ、自然観察クラブ、ミニSLクラブ、高齢者支援など、趣味を生かした地域での社会貢献にチャレンジ中。九州は門司生まれ。

 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
→ PDFデータを見る
 
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。