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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.302 ichipooh
 
■コラム:ごっつおもしろいんや、藤沢
「境川下り ーウォーキング例会に参加してー」
2008年12月2日

先日11月24日に境川沿いを歩いて下る湘南ふじさわウォーキング協会の例会に一般参加してきた。

今回のウォーキング例会は、中央林間駅をスタートして、藤沢の遊行寺橋までの最大30Kmを歩くというものであり、途中コースとしては、瀬谷本郷公園までの11Km、湘南台公園までの21Kmの短いものも用意されていた。スタートは、午前8時30分から午前9時の間に受付を済ませて、コース説明の地図を受け取り、すぐに「自由歩行」という形で開始するものであった。

大まかなコースとしては、中央林間駅前→つるま自然の森→上鶴間ふれあいの森→さくらの散歩道→鶴間公園(チェックポイント1)→鶴間橋→深見歴史の森→東名高速下→境川沿い→深瀬橋(この辺りで10Km)→大和相鉄ガード下→境橋→浄化センター(チェックポイント2)→境川沿い→相鉄線ガード下(この辺りで20Km)→境川遊水地公園→遊水地橋→境川沿い→国道1号下→遊行寺橋(30Km)となる。

当日、筆者は、小田急江ノ島線で中央林間駅に午前8時20分頃に到着した。まず、驚いたのは、ウォーキングのための服装をしてリュックをしている中高年が列車から沢山下車してくることだった。
実は、そんなに沢山の人が参加するとは思っていなかったのである。天気予報では、午後から雨で午前中も曇りで天気がよくないとのことであったので、受付するために並んでいる人を見て、また、驚いたわけである。

筆者も受付後直ぐに地図を見てウォーキングを開始した。前方には既にスタートしている人たちが沢山歩いているのが見えていたために、道に迷わずにスタートすることができた。
最初は、どのくらいのスピードで歩くかが掴めなかったが、上鶴間ふれあいの森辺りでは、道も狭く、前の人を追い抜くにもスペースがなかったために、前を歩いている人に追従する形で歩いていた。

さくらの散歩道に入った辺りから道の幅もある程度あるので、比較的自分のスピードで歩くことが可能となった。

     
   
 

さくらの散歩道

 
暫く歩くと、境川に出た。
     
   
 

最初の境川との出会い

 
このまま暫く川沿いを歩き、途中で一旦川から離れ鶴間公園へ。ここでチェックポイントということで、スタンプを頂く。
     
   
 

鶴間公園

 
再び、境川に戻るが、途中川沿いの道から再び外れて、東名高速下のガードをくぐった。
     
   
 

東名高速下

 
ここから再び、境川沿いに戻った。境川沿いには、歩行者と自転車のための歩道が大和市の国道246号線から藤沢市の国道1号線まで一部を除いて整備されている。そのために歩道沿いには、国道1号線からの距離が書かれている標識が500m間隔で設置されている。下の画像は、境川沿いに戻った時に最初に現れた国道1号線まで17Kmの標識である。
     
   
 

17Km標識

 
この後は、ひたすら川沿いを歩道に沿って歩くことになった。途中、大和市の一部の区間で歩道が整備されていない部分があり、ここでは一旦、川沿いを外れて車道沿いを歩くことになっている。
     
   
 

車道沿いを歩いているところ

 

再び川沿いの歩道が現れるのが、ちょうど12.5Km標識が現れる少し手前である。

     
   
 

12.5Km標識

 

この辺りからはもうゴール手前の国道1号線までは、歩道がしっかり川沿いにあるので安全に歩くことができる。但し、サイクリング道でもあるので、自転車には注意する必要がある。歩いていると時々急に後ろから現れて、横を抜いていく自転車が多かった。
今回のコースではチェックポイントのために境川遊水地公園に少し寄り道をすることになっている。

     
   
 

境川遊水地公園

 

筆者は、この建物には寄り道せずに直ぐにこの脇にあったチェックポイントでスタンプをもらって、ひたすら南下を続けた。
実は、この後は写真を撮っていないのである。当初20Kmでやめる予定にしていたのであるが、まだいけると思って、結局30Kmを目指すことになったために、20Kmを超えた辺りであるこの遊水地公園から歩くことに専念して、写真を撮るゆとりがなかったのである。

最終的に30Kmのゴールである遊行寺橋には、スタートしてから約4時間で到着した。後ほど教えてもらったところによると、参加者が250名のうち11Km完歩が50名、21Km完歩が50名、30Km完歩が120名、スタッフの方が30名であり、最高のスピードで歩いた方は、平均時速8Kmであったそうだ(驚き!)
そういえば、筆者も比較的早いスピードで歩いていたが、その横をさっと抜いていく人が数名いて、いったいどんな歩き方をしているのかというのを後ろからしばし眺めていた。スピードの早い人は、一歩一歩の足の出す回転が早いというのが見てわかったが、見ているだけで驚異的であった。

最近、メタボと世間では騒がれているが、ウォーキングに参加されている方は、メタボと程遠い人々であるのが今回よくわかった。ウォーキングは、手軽で簡単などこでも行える運動であり自分のペースで行え、場所を選べば、季節の移り変わりを楽しみながら運動ができるという一石二鳥のメタボ対策である。
このコラムをご覧になって、是非ウォーキングを行ってみたいという方は、まずは、境川沿いや、引地川沿いに整備されている遊歩道を歩いてみたらいかがであろうか?
また、下記の「湘南ふじさわウォーキング協会が開催している例会に一般参加されてみるのも手である。
http://shonan-fujisawa.jp/
是非とも、ウォーキングを通してメタボと戦いましょう!

 
市民記者 No.302 ichipooh
 
■コラム:藤沢でがんばる畜産・農業
「地震を糧に成長する島、江の島」
2008年10月17日

今回は、神奈川県総合教育センターの川地さんを講師として、江の島の自然や歴史を学ぶ短時間の散策を行った。川地さんはもともと中学校の理科の教師をされていたが、生徒とともに同様の短時間の散策を実施し、生徒に江の島について調査、学習させることを行われていた。

さて、「江の島」と聞いて思いつくのはなんだろうか?
海、湘南海岸、弁天様、灯台、水族館などが思い浮かぶかもしれないが、今回は、川地さんからお聞きしたことを元に、江の島はどのようにしてあの島になったのか? に焦点を当てたい。

川地さんによると、江の島は大きく2つの上下の層に分かれる。

     
   
     

これは、江の島の南斜面を見上げるとわかるのであるが、下の部分は、葉山層と呼ばる固い岩盤であり、その上に赤土で有名な関東ローム層が乗っている形になっている。

まず、葉山層について調べてみたところ、約2000-3000万年前は、神奈川県は海の中であり、その頃海底に厚く積もった砂や泥が年月を経て硬くなったものが葉山層である。現代では、三浦半島からこの江の島を通って、なんと驚いたことにあの茅ヶ崎のえぼし岩も葉山層でできており、つながっているとのことだ。

一方、関東ローム層は、富士山や箱根が噴火した頃の火山灰が、関東一円に積もったもので、東京あたりでも5m、御殿場になると100mもの層になっている。色は赤く、透水性・保水能力に優れるが土の粒の間の力が強く、普通の一戸建てを建てる分には問題ない層であるとのことだ。

このような2つの層からできている江の島だが、今から5−6万年前に下層部分である葉山層が隆起をはじめ、海からその頭の部分が現れ、ちょうどその頃、噴火していた富士山や箱根の火山灰が積もり上層部分を形成して、地震のたびにどんどん隆起していって現在の高さ約60mまで高くなったのである。

地震といえば、関東で起きる地震だが、これは関東南部沖の「相模トラフ」と呼ばれる地域が震源になることが知られており、近年では1923年の関東大震災(M7.9)と1703年の元禄地震(M8.1)を発生させた。江の島の中には、元禄地震で1mも隆起した証拠としての坂が残っている。

     
   
     

また、関東大震災にも隆起し、江の島の南側に海食台と呼ばれるテラスができた。

     
   
     

江の島周辺は、夏になると海水浴、一年を通して江の島水族館、また島の中では、江の島神社、サムエル・コッキング苑、江の島展望台など有名なスポットに沢山の観光客が訪れているが、観光客が通常訪れないような場所に、江の島の地震を糧として成長する記録が隠されている。

是非とも次回江の島を訪れる際には、通常の観光ルートではなく、このような荒々しい一面を見せる南側の崖や海食台のような海のテラスなどをご覧頂き、自然がもつ力を感じていただければと考える。

 
市民記者 No.302 ichipooh
 
■コラム:藤沢でがんばる畜産・農業
「憂国の農業家」
2008年10月17日

先日、慶応大学SFC(湘南藤沢キャンパス)で、「みやじ豚」CEOの宮治勇輔さんとJAさがみの亀井利貞さんのお二人からそれぞれ畜産と野菜・米など藤沢市の農業に関連したお話を聞く機会を得た。

今回のお二人のお話に共通していることは、「日本の食が危機的である」ということである。いかに日本の農業が衰退しているかだ。総務省統計局のWebサイトなどの情報によると、平成になってから現在までの約20年間で農業に従事する人口が約40%減になっている。

ただ、日本の農家は、その耕地面積に比べて農業従事者の人口が先進諸国の中でも高いことがあげられており、単純に人口が減ったことが問題ではないことだ。問題なのは、耕地面積が減ってきている上に、60歳以上の占める割合が平成2年の50%程度から現在は70%近くまで上昇していることだ。

これは、どういうことか?
要するに宮治さんが話されていたが「農業は若者に人気のない職業」なのである。重労働、時間に制約がある、儲からないなどなど今の若者が嫌うようなことがこの農業という仕事には存在する。特に今の若者に強い「楽して儲ける」ということから考えると、その対極にいる職業だ。

特に儲からないということには、その価格決定権が農家にないことが原因である。農協や卸、小売業者を通して、「顔が見えない」農家が「顔が見えない」消費者にその物を売っている構図となり、流通での流通しやすい物=価値のある物ということで、品質のよいもの≠価値のある物となっていることもお二人の共通項である。

これに対してお二人の「消費者の顔が見える農業」にするためのアプローチは違っていた。

宮治さんは、メール、口コミ、Webサイトなど利用して、「みやじ豚」をご自身が名づけられている「バーベキューマーケティング」手法により、おいしい豚肉としての「みやじ豚」のブランドを確立させ、より農家と消費者の距離を近づけようとしている。

一方、亀井さんは、野菜や米を作っている実際の農家の顔を持ちながら、ご自身が会長を務められている藤沢市農業経営士協議会を通して、農業後継者の育成、学校での稲作実習指導、体験学習のような農業の啓蒙、行政、農協への提言などの活動により、消費者に農業をより身近なものにしようとされている。

お二人とも今の農業を憂い、日本の食を憂っている「憂国の農業家」であることは間違いない。お二人の話を聞けたことは私にとっては貴重な体験であったが、消費者である私たちも、今一度自分の「食」について考えなおす必要を考え直す必要があるに違いない。

 
市民記者 No.302 ichipooh
 
■コラム:きらきらのあの日
「オリンピックに碁石拾いを!」
2008年10月17日

「碁石拾い」というのをご存知だろうか?

「碁石拾い」は、非常に単純な競技である。
競技の開始前に、プール一面に碁石をまき、撒かれた碁石は、その重さでプールの底に沈んでしまう。その沈んでいる碁石を制限時間内(大抵5-10分くらい)にいくつ拾うことができるかを争う競技だ。

今からもう35年も前の夏の頃の話である。その頃、中学生だった私は夏が嫌いだった。 なぜ夏が嫌いだったか? それは「水泳大会」の季節だったからだ。その頃の私はクラスで唯一の泳ぎで息継ぎができない人間だった。息継ぎができないので、短い距離しか泳げないまったく水泳大会では役ただずの人間だったのだ。そんな私にも参加できる競技、それが「碁石拾い」だった。

実は「碁石拾い」は碁石が撒かれるところから始まっている。撒かれる瞬間を見て、どこにどの程度の碁石が沈んでいるかを見極める必要がある。碁石は均一に撒かれるわけではない。撒き方によって、ある程度の塊で碁石が集まるそんな場所がいくつも存在する。その塊があるところを頭にインプットしておき、競技開始までに自分の位置から効率的に塊の間を移動することをシュミレーションしておく必要がある。もちろん、他にも競技する人がいるので、その人たちが先に拾うことも考慮して、幾つかのバックアッププランも考えおくことも大事だ。

あの夏の日、水泳大会当日人気のない地味な「碁石拾い」は、一番最後の競技であった。碁石が撒かれた瞬間、私の目は碁石の軌跡を追い、ある程度塊で落ちたところを頭に入れ、すばやく、どのルートで移動するかを考えた。開始の合図が鳴り、すばやく飛び込み、すぐに潜水を開始した私は、最初の塊に向かって、一目散に移動し、最初の獲物をゲットした。その後、一旦立ち上がり、息を整えるのと自分の位置を確認し、他の競技者の動きを見て、次の位置まで移動して、再びゲット。これを数回繰り返しているうちに終了の合図がなりプールサイドまで戻った。

ゲットした碁石の数を数えて、係員に報告した。クラスごとの碁石の数の発表が始まり、私のクラスはダントツで一位であった。しかしながら、盛り上がりはいまいち。やはり、「碁石拾い」は人気のない競技であったが、私はものすごい満足感を覚えた。

この夏にオリンピックでは、たくさんのメダルの獲得や世界新記録などの樹立もあったが、いつもオリンピックの水泳競技を見ていて、残念に思うのは、「碁石拾い」が競技にないことだ。もし、昔からこの競技がオリンピックに入っていたらなら、私はきっと世界を目指して、オリンピックにも参加して北島になっていたかもしれない。
オリンピックに「碁石拾い」を!

 
 

ichipooh


ペンネームの「いちぷー」は娘さんの命名。生まれも育ちも大阪。外資系コンピュータ会社で勤続25年を迎え、結婚時の米国をはじめ、各地を転々、藤沢に落ち着いてはや15年(うち大阪に単身赴任8年)。SFから韓国ドラマ、ウォーキングと趣味も転々、往年のアキバ系でもあるらしい。



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。