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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー230

「初秋の三崎」
2009年9月16日
     
   
 

三崎港岸壁

 

昨秋,引地川で遊んでいますと、川底で地元の釣り人と懇意になりました。数年前に六会地区に越してきて、釣り場を探しているうちに友人が増えたそうです。水の中は得意ということで、鯉ながしのお祭りではその「江の島釣友会(ちょうゆうかい)」の人達と川でご一緒しました。川底に降り、杭を打ち、紐を張り、鯉幟を結ぶ・・この作業に無駄がありません。会長さんなどは、あまりに口を聞かずに黙々と作業をなされるので、記者は初めて少しまとまった話を聞いたときには、それは驚いたものです。

時々釣りでご一緒するうちに、昔一年中野球と釣りに明け暮れた頃が甦り、知らない間に入会していました。左官屋さんの現役、鉄道会社OB,中学校の元校長先生、保険会社OBなど多士済々で、「さかなが掛かったときの気持ち・・これですね」と口々におっしゃいます。静かに熱いです。

8月も押し詰まった頃、早朝4時前、夏とはいえまだ暗いなか、ご近所さんが迎えに来られました。天神⇒石川⇒辻堂⇒鵠沼⇒片瀬山とどんどん人が増えて二台の車に分乗して三崎港の岸壁に6時頃到着です。すでに10名以上岸壁に並びイワシを釣っているので、仕方なく我々はポイントを少しずらし、オキアミのまき餌でイワシの群れをおびき寄せ、仕掛けバリで引っ掛けます。最初のまき餌で海面が盛り上がるくらいにイワシが押し寄せました。中には一度に4〜5匹も釣り上げる猛者もいて、全員一挙に熱くなります。

8時過ぎ、魚影も薄くなり、大漁の中家路に着きました。空にはイワシ雲(高積雲)も現れて、心なしか空気も軽い初秋となっていました。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー229

「青春18切符」
2009年9月11日
     
   
 

車窓の青春18切符(吾妻線)

 

どこかへ行きたい。鉄道に乗りたい。お金をできるだけ使いたくない。時間があるようでない・・ これってJRのやっている青春18切符にぴったりです。曰く、一日2300円で乗り放題!(普通車です)、どなたでも利用OK!、一枚11,500円で5回(人)分使える・・
JRの説明「青春18切符名には二説あります。国鉄時代から年齢制限はないのですが、
〈1〉学生などの若者を主力客とし、中高年の方々にも18歳頃のことを思い出してほしいから名づけたという説と
〈2〉 国鉄出身の歌手が『青春18』を歌っていたので、そこから採ったという説です」記者「この二説は両立するように思えますが・・」そういうことらしいです。

記者は青春18切符を愛好する者ですが、この夏は房総半島棚田と岩牡蠣の旅(昼頃安房鴨川駅に到着しますと、大山千枚田へのバスは3時間後とのことで断念、しかたなく駅近くの鮨屋に入りますと、今日は岩牡蠣入荷していないとのこと・・)で、目的を喪失しつつ、行く先々で生ビールを頼りにうろつき、「出たとこ勝負こそ青春(18)の真髄」とつぶやいたのでした。

今回は湘南電車で一挙に高崎に向かい、吾妻線経由草津温泉に行きます、「草津温泉で生ビールを研究する旅」でした。「アノー、生ビール飲める、日帰り温泉は」と草津で尋ねますと、案内嬢は3秒で電話していました。「おたく生あります?」800円で入浴、きれいで、お湯も豊富、大勢の日帰り客で溢れる大滝乃湯でした。生とつまみも安くて、ナットク、納得、嬉しくてウルウルです。

帰りは籠原でビール500CCを買い、草津のバス停の味噌カツ弁当を楽しみました。炊きたての米と味噌カツがとてもいい塩梅。
「思わぬ出会いこそ青春(18)の真髄」

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー228

「戦争を語る3−3」
2009年9月7日
     
   
 

横須賀海兵団(後列真ん中が須田さん)

 

記者:救助されて家に帰りたいと思わなかったのですか。

須田:そんなことは思わなかったですね。生死は超越していますから。
   兵隊ですからね。助けられた皆で横須賀鎮守府に嘆願書を出した
   のです。いい艦にまた乗せてくれ、我々は優秀な軍人なので、
   また戦をするからと。フィリピンや台湾に寄りながら7月半ばに
   横須賀に戻りました。

   その後「教師はお手のものだから、新兵教育をやれ」と言われて、
   海兵団で教育を担当しました。生徒は皆35歳から40歳くらいの
   召集兵でした。
   一般人で、子供もみな小さかったですね。小銃の撃ち方、陸戦隊
   での闘い方を教えました。海軍辻堂演習場へは卒業の時連れて
   行きました。一組16名位で(ボートを漕ぐので偶数)、
   一回3ヶ月で3〜4回やったでしょうか。

   たいていは硫黄島に送りましたので、誰からも便りはなかった
   ですね。全滅させたので・・、とても残念ですね・・。
   9月に除隊となり、藤沢に戻ってきたのです。

記者:どうして農業を始めたのですか。

須田:帰ってきたら、横浜国立大学から「君達の師範免状は中学だぞ。
   一生ひどい目にあうから講習を受けろ」と言われて、卒業証書を
   いただいたのが昭和21年3月で、4月から村岡小学校に復職した
   わけです。ところが兄が昭和19年6月に召集されて、フィリピン
   に行ったのですが、米軍がマニラ湾に上陸して(昭和20年1月)
   それ以来行方不明になったのです。父から農業を継げと言われ、
   村岡小学校から
   「お兄さんが復員するまで勤めてください」とも言われましたが、
   「先生なんかやってられない」状況なので、7月に教師を辞めた
   のです。
   父は病気で9月に亡くなり,兄は結局戻って来ませんでした。

記者:牧場はいつから始めたのですか。

須田:昭和28年(1953)からです。肥やしがないので、乳牛で肥や
   しを賄おうと考えたのです。ほうぼう歩いて乳牛を見ました。
   結局茅ヶ崎で買い、それからですね何度も県や市で乳牛の賞を
   いただくようになったのは。

記者:無農薬米を作り始めたのは。

須田:合鴨米は平成9年(1997)からです。仲間達と安全な米を
   作ろうと始めました。

記者:戦争について何か言いたいことがありますか。

須田:日本の海軍と米国の海軍は勝ったり負けたりだったのです。
   駆逐艦秋雲はB25でアメリカが日本を初めて空爆した際の
   艦載空母、ホーネットを撃沈させ、仇を討っています。
   広島や長崎があり、日本は負けましたが、海軍は今でも
   負けていません。

谷戸の湧水を使い、小学生の子供たちが田植えして、合鴨が雑草を食べる。小学生が谷戸で稲刈りして、給食で食べる。戦争さえなければ教師を続けた須田さんは、教師を辞めてもいつも何かを教えてくれる。

     
   
 

須田牧場にて

 


許可:『世界の艦船』掲載「ある日本軍艦の履歴書 駆逐艦「秋雲」の
   一生(執筆者;岡田幸和) (株)海人社

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー227

「戦争を語る3−2」
2009年8月31日
     
   
 

秋雲航行図(手書きは記者) です。

 

記者:キスカ撤退作戦の後はどうなりましたか。

須田:すぐにラバウルから南方に向かいました。ガダルカナルが危ない
   というので。物資の輸送や航空母艦の護衛でした。しかしすでに
   主力空母は無くなっていました。(昭和17年6月ミッドウェー
   海戦で主力空母4隻を喪失:加賀、蒼龍、赤城、飛龍)空母瑞鶴や
   商船を改造した聖川丸 (きよかわまる)特設水上機母艦:川崎汽船
   の護衛などでした。
   空母からの戦闘機の発着の訓練は大阪湾から別府湾まで瀬戸内海を
   使ってやりました。空母の上甲板が上がった時に、飛べばよいの
   ですが、丁度下がった時には戦闘機は海に墜落するので、落ちた
   兵隊さんを助ける役目です。戦闘機乗りが仕上がると我々もラバウ
   ルに向かったのです。

   昭和19年(1944)4月11日フィリピンのミンダナオ島沖で米軍
   の潜水艦にやられました。同じところを三回も四回も通ったので、
   米潜水艦レッドフィンの待ち伏せ攻撃を受けたのです。
   丁度夕方17時頃でした。このときは単艦行動でした。頭を負傷
   しましたが、仲間達と丸太につかまり、フンドシで丸太を繋いで
   筏を組み負傷者をその上に乗せようとしたのです。海は荒れていま
   せんでしたが、波が来ると布ですから切れてしまうのです。
   たいした波ではなかったのですが、怪我人を乗せることは出来ま
   せんでした。水の中では怪我による出血は止まりませんので、
   出血多量で死にます。丁度一昼夜経った12日の夕方、日本の駆逐
   艦に助けられました。入戸野焉生(にっとのすずお)艦長は
   「総員退避」の号令をかけた後、司令官室に入り内から鍵を
   かけられました。
   艦長以下135名が戦死し、70名くらいが助かったのです。

記者:漂流しているとき、どんなことを考えましたか。

須田:ここで死んだら家の者に分かるわけないとね。

記者:助かりたいという気持ちは。

須田:そんな気持ちはないのです。戦争で死ぬのはあたりまえですから、
   これで死んだらしょうあんめー、と。仲間同士で傷ついた人達を
   助けるので精一杯でした。周りに仲間が40人から50人位いた
   ので、皆で軍歌を歌ったりしました。寝ちゃだめだとかね。
   一昼夜飲まず食わずでね。塩水は飲めないのです。

記者:助かったときの気持ちは。

須田:体が楽になったなーと。体がふやけちゃうからね。
   重湯一杯ですよ。たくさん食べたらよくないのです。それで元気
   になりました。やはり嬉しかったですね。

     
   
 

海軍履歴表 昭和19年6月17日欄に、
履歴原表ニ依リ作成ス(亡失ニ付)とあり、
須田さんの手で「比島ザンボアンダ沖
米潜ニヨリ沈没」と加えられている

 


許可:『世界の艦船』掲載「ある日本軍艦の履歴書 駆逐艦「秋雲」の
   一生(執筆者;岡田幸和) (株)海人社

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー226

「戦争を語る3−1」
2009年8月21日
     
   
 

須田直吉さん(六会の須田牧場で)

 

須田直吉さんは大正11年(1922)10月生まれの86歳で酪農や稲作をやっておられる。合鴨農法による無農薬米栽培や天神小学校との共同による稲作、石川レンゲの里まつり、石川堰用水路管理など教えられることは数多い。

記者:戦争との関わりは。

須田:昭和18年(1943)4月1日20歳の時入隊しました。そして
   駆逐艦といって航空母艦の護衛艦に乗ったのです。昭和16年
   (1941)9月に竣工した「秋雲」という一等駆逐艦です。
   配置は砲戦指揮中継所、艦の中央部にありました。大砲を撃つ
   とき必ず当たるようにする機械があって、そこに各観測員達から
   の情報である、相手や自分のスピード、距離、艦の揺れなどを
   入力するのです。

記者:入隊までは何をしておられたのですか。

須田:鎌倉にあった神奈川師範を出て、村岡小学校で教えていました。
   4月は受け持っていた生徒達が5年生から6年生になる時ですね。
   それから横須賀の海兵師団で海軍軍人としての一揃いのことを
   学んだわけです。

記者:そういえば須田さんは先生そのものですね。

須田:海兵団では大勢兵隊を採ったのですが、リーダーがいないのです。
   先生上がりの人達は人扱いに慣れており、事務がとれて、暗号の
   解読も上手い、それに教育もできるというので、大量に徴兵され
   ました。

記者:「秋雲」にはいつ乗りましたか。

須田:昭和18年7月です。まずアリューシャン列島のキスカ撤退作戦
   でした。それまでは潜水艦で撤退していたのですが、犠牲が大き
   いので、駆逐艦を集めたのです。そうでなければキスカは全滅す
   ると。すでに隣のアッツ島は玉砕していました。(5月)この
   作戦は奇跡的に上手くいきました。キスカは真夏でも雪が降って
   いました。敵軍とも遭遇しなかったのです。7月に我々は撤退し
   ましたが、米軍は9月まで盛んにキスカ島を爆撃したのです。
   一つの艦に500名ずつ、合計5000名が全員撤退しました。

 
市民記者 No.106 東善治 郡司薫
 

■コラム:逍遥ー17 共生 引地川ー225

「講座合鴨農法」
2009年8月12日
     
   
 

浅野先生の講義(日本大学生物資源科学部)

 

石川丸山谷戸の湧水を使い谷戸で合鴨米を作っておられる須田直吉さん。合鴨農法を研究しておられる日本大学の浅野紘臣教授。この際教授から合鴨農法を学び、藤沢自然懇話会の石田聡さんに谷戸の生物を現場で語っていただき、谷戸について深く知りたいと、8月4日に講座「合鴨農法を学ぶ」を開きました。参加者は約20名でした。

教室で:『農業人口360万人(60歳以上67%)、 農家数175
    万戸、年収42万円(!)、穀物自給率28%・・』の数字を
    まず見せられ、過酷な日本の農業環境と不安定な食料安保を
    知りました。

    この過酷な農業環境と合鴨農法の関係は。

・合鴨農法農家:1万戸、合鴨は全国で40〜50万羽
・合鴨農法良い点:合鴨は雑草を食べる(無農薬米)
・合鴨農法悪い点:生産性が悪い(自主流通米:10キロ5000円位)、
         寄生虫や大腸菌などの衛生面の問題。
・合鴨米の味:合鴨米が味の点で特に普通米より優れているわけでは
       ないのですが、無農薬米という先入観が強くあれば、
       特に美味しいと感じるようです。
・浅野先生の疑問:合鴨農法はいわば1940年代以前の非効率な
         農法です。果たして日本の食糧確保に繋がるの
         でしょうか。
・合鴨農法の未来:生産者の思い入れと支持者の存在にかかっています。
・記者の感想:合鴨農法は農家の窮状を救いはしませんが、農業に灯りを
       点しているように思います。

     
   
 

石田さんに引率されて谷戸に入る

 

谷戸で:石田さんの引率で谷戸の観察をしました。藤沢の他の二つの
    谷戸に比べて谷の高低差があり、水量も多く、水温も低いそう
    です。ヒグラシやウグイスが鳴きオニヤンマが飛び交い、
    今では珍しいツチガエルを見て、この谷戸に懐かしさを抱き
    ました。参加者のみなさんも圧倒的な自然と絶妙な解説に少々
    興奮気味です。

    須田さんの田んぼでは南沢先生の説明や柵に入った合鴨の観察
    です。野生動物に襲われた跡を見ると、谷戸の領域を人と
    野生動物がせめぎ合っているのが分かります。

    合鴨農法には光と影がありました。豊かな谷戸とこの農法が
    共存できることを願います。

     
   
 

合鴨

 

提供:合鴨米2合(須田直吉さん)
   メジャーとエコバッグ(県藤沢土木事務所)

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー224

「三人の客」
2009年8月8日
     
   
 

平成21年7月25日朝日新聞朝刊「ひと」の欄

 

確か1980年代初め頃のこと。記者の勤めていた船会社の小さな応接室に財閥系の重機械工業の造船営業の方が三名よく来られた。新造船契約の話しなのだが、記者にとってはいつも楽しい打ち合わせ会であった。

源ちゃん :田舎訛りが強く、朴訥な性格。いつも何か気の利いたこと
(部長)  を言うので我々はインテリ源ちゃんと親しみを込めて呼ん
      でいた。

樫本さん :ロンドン駐在帰りのエリート。端正な容姿が鋭いナイフを
(課長)  想わせ、その細い目と唇から微笑を絶やすことはなかった。
      その後お会いしたら、息子さんが西ドイツへバイオリン
      留学し、奥様もご一緒と、大変なことをタンタンとおっし
      ゃられた。

岡田さん  :
いつも赤い顔で、おでこが光っていた。源ちゃんや樫本さ
(ひら 仮名)んの話を大きな目をかっと開いて静かに聞いておられた。
       そして時折はにかんだように、下を向いて笑った。

造船業界や船舶業界は長い不況と短い好景気を繰り返していた。記者の勤務先もその後数年で倒産し、多くの造船、船舶会社も果てることのない合併や合理化の生き残りの闘いを繰り返すことになった。

記者は倒産後船舶業界からは離れた。源ちゃんは役員になり、その後亡くなったと噂で聞いた。樫本さんは造船会社の社長になり活躍中と新聞で読んだ。そして岡田さんは“蒸発”して、その所在は分からなくなってしまった。今朝の朝日新聞朝刊の“ひと”欄で樫本大進さんがベルリン・フィルのコンサートマスターに内定したとの記事が出ていた。あの楽しかった会議からもう30年近くが経っている。

許可:朝日新聞

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー223

「ハイボール」
2009年8月3日
     
   
 

角のハイボール

 

テレビでサントリー角の宣伝を見ていて思わず笑った。夜景の見えるビルの高層階のバー、電車が闇の中を抜けて行くのが見える。会社帰りらしい客は4名で、バーの主人はあこがれの小雪さん。(ありえない!)
袴田吉彦さんはアジフライ、山崎樹範さんはポテトサラダ、矢作兼さんはオムレツ・・どうもいつも頼むものは同じらしい。ところが小木博明さんは早く飲みたいので、定番ではない「ラッキョ」と言ってしまう。・・ラッキョは料理なのだろうか・・小雪さんは、なんだか少し困ってしまうが、料理を作り始める。暑い、暑い、小雪さんが暑い・・そしておそらく小木さんが「アノー、のど」と訴えると、小雪さんが続けて「かわきました」と言ってハイボールを飲む。それで4人もなんだか、ホットしてハイボールを飲む。

http://www.suntory.co.jp/whisky/kakubin/cm/index.html

テレビの宣伝を見ていると古い記憶が甦る。新宿のトリスバー、1960年代終わり、学生の頃である。一人で店に入り、氷の入ったグラスにトリスを注ぎ、そこにソーダ水を入れたものを飲んだ。ハイボールだという。ピーナッツかなにかのつまみで2〜3杯飲むと、頭がクラクラした。(俺もきっと大人だよな、それにしても、大人はハイボールたくさん飲んで大変だな・・)新宿は催涙ガスが漂い、ピットインや風月堂に前のめりで座る。角やオールドは高くて飲めなかった。リザーブや山崎はその当時あったのだろうか。

今夜は久しぶりでハイボール飲もう。背の高いグラスに氷を沢山入れて角を注ぐ。氷に当たらないように小雪さんみたいにソーダ水を加える。泡がこわれないように。新宿に高層ビルが建ち並び、小便横丁がいつのまにか思い出横丁に名前を変えた。
・・それでいいじゃないか、夏だから。

CM提供:サントリー

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー222

「日本行列考」
2009年7月23日
     
   
 

「好きですふじさわ商品券完売」のお知らせ

 

6月20日(土)昼頃「好きですふじさわ商品券」を近所の薬屋さんに買いに行く。「朝から長い行列ができて1持間くらいで、800冊総て売り切れました」とのこと。他の店に回ってようやく手に入れることができた。散髪して、パン買って、スーパー行ってと、地元で使いきった。

7月11日(土)朝10時丁度にウエッブサイト、ピア・野田秀樹”ダイバー“のチケット申し込みにアクセスする。繋がらない。すでに回線は一杯である。野田さんの回線販売はおおよそ20分で売り切れると聞いたことがある。焦りと諦めが交錯しながら、クリックを続ける、 トン、トン、トン・・

母は戦後食料の少ない頃、肉屋に長い列ができていたので、とりあえず並び、前の人に何が買えるかと尋ねたけれど、「分かりません」との答えだったと言う。行列はトイレや銀行ATMなどフォーク型が定着して「行列民主主義」を実感するこの頃。PCでの送金、株、競馬など「行列ゼロ主義」が定着する時代に、ゲームソフトやお正月福袋行列が目立つようになった。築地の有名寿司店でも外国人の長い行列ができるようになった。みなさん失礼ながら並ぶことを楽しんでいるように思えてならない。「行列原理主義」とでもいえようか。

クリックを続けること30分でやっと繋がる。やれやれと思うと・・既に売り切れであった。野田秀樹と大竹しのぶの笑顔が消えていく・・”並ばせてもらえない”、いわば「行列拒絶主義」 を実感すると、記者もなんだか「行列」が懐かしい。

     
   
 

湘南地域振興会大久保会長
「一枚500円の券の3%くらいは店の負担です。一昔前は、店側から反発がでたものですが、今回は出ませんでした。そんな時代になったのでしょう。毎年やってもよいと思います」

 
 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー221

「ビッグ錠語る6−6」
2009年7月16日
○ 第六回 6−6 〜藤沢、ニューヨーク 尽きせぬマンガごころ〜
     
   
 

個展ポスター

 

記者:藤沢に住むきっかけは。

  錠:家内が元々岸和田で海の側なのです。岸和田に住んだこともあり、
   東京に出てきても海の近くに住みたくなった。それで横浜駅に行
   ったたけれど海が横にないのですね。藤沢駅から江の島に行き、
   岩本楼に泊り、このあたりと思い、本鵠沼に2年、そして当時田舎
   だった湘南台に住むようになったのです。40年位前駅前にビルは
   なかったのです。

記者:この辺りは今でも田舎でいいですね。ところでジャズのポスターが
   ありますね。

 錠:10年位前、還暦の前ですが頚椎ヘルニアになって仕事ができない
   ようになったのです。このまま寝たきり老人になるのかと。
   それまでも仕事に飽きて、しがらみで画いているところもあり、
   思い切ってニューヨークに行きました。還暦はゼロ歳に戻ると誰か
   に言われたことがあります。もう一度好きな絵を画いていた子供
   時代に戻ろうとね。好きなジャズやミュージカルを毎日楽しんで。
   結局一年くらいハーレムに住みました。長く同じことをやると、
   面白くないのですよ。

記者:他人は面白いのに、当人はつまらない・・

 錠:随分昔からね。物つくる人は誰にでも必ずあると思います。贅沢な
   悩みですが。

記者:画風に変化は起きましたか。

 錠:ある程度ね。新しいスタイルを持てたのです。しかしですね・・
   新しいスタイルのマンガは総てこけました。

記者:さすが文春の漫画読本愛好家ですね。しっかりアメリカンジョーク
   で決めていただきました。隣街におりますのでまた遊びに来させて
   ください。

 錠:早朝仕事が終わりますから、焼酎もって境川で一杯やりましょう。
   サブやんと一緒に待ってますから。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー220

「ビッグ錠語る6−5」
2009年7月14日
○ 第5回 6−5 〜錠マンガと職人、パチンコその後〜
     
   
 

Art Blakey's daughter

 

記者:錠さんは大棟梁で大工さん、味平で料理人、サブやんで釘師と職人
   のマンガが多いです。怒漢ちゃんだって車のセールスですが、職人
   みたいです。コツコツ地道に仕事をします。そしていつも底の方に
   暖かなものが流れています。

 錠:ボクは小中高といつも遅刻王でした。大工さんが鉋で材木を削って
   いるのを見たり、時計屋さんが分解掃除するのを見たりとか・・
   それで職人が好きで、これはマンガ家にも通じるところがあるので
   すね。マンガ家もアーティスト(芸術家)みたいなところと職人の
   ところとがありますから。

記者:なぜ面白いのでしょうか。

 錠:基本的には西部劇です。私は西部劇の映画が大好きだったのです。
   決闘ですね。それからサブやんは格好がよくない。その後松本零士
   さんが男おいどんや銀河鉄道999で格好よくない主人公を画いて
   います。

記者:格好よくない格好よさ・・ですか。・・話からそれますが、忍ぶ
   竜が組織のためにサブやんを裏切る・・その時良心の呵責に耐え
   かねて苦悩する絵柄・・よかったですね。

 錠:ありがとうございます。

記者:パチンコの思い出は。

 錠:よく藤沢駅前のパチンコ屋で勉強のためと称してパチンコをしてい
   ました。マガジンでサブやん画いていたころです。本鵠沼に2年く
   らい借家に住んでいたのですがそのころです。砂糖とかインスタン
   トコーヒーとかよく稼ぎました。

記者:私もあのあたりはよく通いました。どうも隣で打っていたようで
   すね。釘師やパチプロはその後どうなったのでしょうか。

 錠:釘師はハイテク化の過程でパチンコメーカーの社員になったり、
   パチンコ屋の店長になり、とっくの昔に消えました。
   一方パチプロはチームを組んで情報を収集して台を押さえるとか、
   会員制で確率情報を共有したりして、現在も生き延びています。
   女性のパチプロも多いですね。毎日データを見ている。だから
   毎朝並ぶのは前の日のデータを見ているからです。パチンコ屋も
   玉をある程度出さなければお客は来ませんので。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー219

「ビッグ錠語る6−4」
2009年7月11日
○ 第四回 6−4 〜サブやんとの出会い〜
     
   
 

Ornette Coleman (ビッグ錠さん提供)

 

記者:大宅塾の後はどうなったのでしょうか。

錠: 平凡パンチやプレイボーイでひとこまマンガやパロディー画いて
   いたのですが、なにせ日本のマスコミではそれだけでは食ってい
   けない。そのうちある週刊誌の編集者長が「貸本マンガやってい
   たからストーリーマンガできるでしょう」と言われて、読みきり
   マンガやったのです。少年キングやヤングコミックに。
   ストーリーマンガはある程度ページあるので食って いけるように
   なりました。その後講談社のパーティーで編集者を紹介していただ
   いたら、「牛次郎がこんなものを書いている」と紹介されたのが
   「釘師サブやん」です。牛さんはパチンコメーカーに勤めていて
   詳しいのだけれど、江戸っ子なのでせりふが変な大阪弁なのです。
   「釘師サブちゃん」とか。大阪でサブちゃんなんて言わないです
   から。「サブやんにしましょう」と牛さんにいいますと、
   「そうしましょう」となりました。

記者:釘師サブやんについての思いでは。

錠: 講談社はもともと大日本雄辯會ですからお堅いところで、パチン
   コのギャンブルマンガをよくやるなと思いました。少年週刊誌で
   すしね。(少年マガジン)一ヶ月くらいしかもたないだろうと
   言いました。ところがヒットしたのですね。

記者:サブやんは彼が20歳代半ばで話は終わっていますね。おそらく
   1970年代前半です。忍ぶ竜との恋は、里美との愛は、手動
   パチンコから電動へそしてデジタル化の中でサブやんがどのよう
   に生き抜いたのか知りたいですね。私的に言えば、左千子
   (忍ぶ竜)との間に娘が生まれて、これが忍という名になる、
   生んですぐに忍ぶ竜は交通事故で亡くなり、里美が代わりに
   育てる。しかし電動化、デジタル化の中でサブやんは苦悩する・・

錠: ハ、ハ、ハ・・それはグンジさんのサブやんですね・・
   読者それぞれに続きがあってよいのです。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー218

「環境フェア」
2009年7月7日
〜藤沢を鮎の名所に 官民の水質向上協議会設立を〜 
     
   
 

掲示板

 

引地川や境川に毎年鮎が遡上しています。食べる人達も出てきました。
多様な生きものが棲み、鮎を安心して食べることができる川の側で
生活したいと思い、「ふじさわ環境フェア」に参加しました。

6月25日 引地川の源泉の水を展示するために、大和の泉の森に
      自転車で行きました。泉の森に続くふれあいの森の引地川
      は1992年、自然護岸に改修するまで、「水路という名の
      ドブ」(明翫勇一郎さん)だったそうです。自然に親しむ
      多くの人達を見ていますと、大和市や市民の継続的な活動の
      成果を感じます。

6月27日 環境フェア初日早朝、展示用の魚を獲りに大庭親水公園の
      引地川に入り、ハゼ類などを捕獲していますと、急に水位が
      上がってきたのです。「石川堰が落ちたな」と思い、岸に
      避難しました。
      増水時堰は自動的に落ち、堰下で数十センチ、親水公園で
      20センチ位水位が上がるとのことです。(県土木)
      環境フェアでは県土木の川の増水注意の宣伝に協力する予定
      でしたので、身につまされました。
      「かわせみ環境倶楽部」として訴えた二点は3月に日大の
      廣瀬一美先生達約20名と自由討論で出した意見を、集約
      したものです。@引地川(藤沢)を鮎の名所にA官民の水質
      向上協議会の設立、その他に活動写真、引地川の美しい四季
      の写真、大庭の親水公園で獲ったハゼ類などの水槽展示、
      環境クイズ、ハグロトンボの紙細工、そして川の水質向上
      アンケート調査を実施しました。

6月28日 雨の中、二日目も大勢の人達が展示場に来られたので、
      一緒に遊び、環境向上について語り合いました。夕方展示場
      の整理をした後、親水公園へ直行です。折からの雨に打たれ
      ながら、台車でゴトゴト川岸まで水槽を運び、濁流の川に魚
      を戻し、時計を見ますと17時22分になっていました。

川の増水注意の宣伝

川の水質向上アンケート調査

     
   
 

会場風景

 
 
市民記者 No.106 郡司薫
 

■コラム:共生 引地川ー217

「ビッグ錠語る6−3」
2009年7月3日
○第三回 6−3 〜東京に出る、大宅塾のことなど〜  
     
   
 

本棚(サブやんや味平)

 

錠: 川崎は当時少年ジャンプに連載をもっており、すぐに東京に戻り
   ましたが、ボクはそのまま大阪に居ついちゃって、元々大阪の
   デザイン系の学校の出ですが・・ 電通のアルバイトやったり、
   デザイン事務所もって仕事したり、貸し本屋でストーリーマンガを
   画いたりしていたのですが、丁度文藝春秋で漫画読本が出ており、
   海外のものを紹介していたのですね。ひとこま漫画とかパロディー
   とか、憧れました。そういうものを画いては月に一、二度東京に
   出て行っては売り込んでいたのです。その内こんなに新幹線代払え
   るのなら、東京で家賃払えると思い、丁度大宅壮一マスコミ塾の
   募集を見て、これもあるから「東京行こうや」となりました。
   結婚してすでに28歳になっていました。サンデーやマガジンに
   引き抜かれた川崎達はそのころ既に大先生ですね。

錠: ところで何期ですか。ボクは6期ですが。

記者:7期です・・。大宅壮一さんの思い出は。

錠: 面接試験が新宿の紀伊国屋であり草柳さん(草柳大蔵)、扇谷さん
   (扇谷正造)、三鬼さん(三鬼陽之助)などが並んでいるところ
   で、「職業マンガ家と書いてあるけど、それで食べていけるの」と
   言われました。食っていけなかったのですが、見栄を張って
   「大丈夫です」と答えたのだけれど、食えないといったらどこか
   紹介してもらえたかもしれません。大宅さんとか草柳さんの話は
   面白かったですね。「今の時代を円とし、次の時代の円もある。
   これがピッタリ同心円になっても、離れすぎてもいけない。
   端っこで接しているのがいい」とか。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー216
「ビッグ錠語る6−2」
2009年6月29日
○第二回 〜マンガ媒体の興亡〜
     
   
 

仕事場

 

錠 :そうこうしている内に今の天皇が結婚して(昭和34年:195
   9)、みなさんテレビでパレードを見ました。テレビの普及で貸し
   本屋はだめになったのです。これでマンガがなくなると思いまし
   た。ところが未だにマンガはブームというか、続いています。
   世の中分からないものだと思います。
   その年サンデー、マガジンという少年マンガ週刊誌が創刊されまし
   た。それまでの少年マンガ雑誌は月刊誌で少年、少女、冒険王、
   少年画報など内容が少年向きだったのですね。ところが中学校出て
   社会人になっている人達が読者の主流なのですから、ものたらない
   わけですよ。そこをヒットしたのが日活映画であり青年向けのマン
   ガなんです。講談社や小学館も読者の年齢層を上げることに気がつ
   いたのですね。
   その当時貸し本屋で画いていた人気作家達が、ボクは入っていない
   のですが、新しいマンガ雑誌に画き始めたのです。さいとうたかを
   (ゴルゴ13),楳図かずお(漂流教室)、川崎のぼる
   (巨人の星)、水島新司(ドカベン)、ちばてつや(あしたのジ
   ョー)達です。

記者:錠さんもそろそろブレークですか。

錠 :いやいや・・一度20歳ころ東京に出て一年くらい貸し本屋に画い
   ていたのです。
   そのころアパートの庭でマンガ読んでいたら、ラジオでヘミングウ
   ェーが死んだニュースが流れていました。
   (昭和36年7月:1961)結構ファンだったので、これは何か
   しなきゃと思いました。そこで友達の川崎のぼる(当時20歳、
   錠は21歳)というマンガ家と二人で東京から大阪まで自転車で帰
   ったのです。もっとも途中の箱根ではぐれましたが。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー215
「ビッグ錠語る6−1」
2009年6月24日
○第一回 〜マンガを画き始めたころ〜
     
   
 

ビッグ錠さん(仕事場)

 

四年ほど前、東京原宿の中国料理店「南国酒家」で開かれた評論家大宅壮一の奥様,昌さんの白寿の祝いの会で、たまたまマンガ家、ビッグ錠さんと同じテーブルに着き、言葉を交わした。お互い20歳代の頃大宅壮一マスコミ塾で学び,住まいは藤沢の隣街(湘南台)。少年マガジンの「釘師サブやん」で一世を風靡し、今も精力的に活動を続けておられるビッグ錠さんをご自宅にお伺いした。

記者:マンガを画くきっかけは。

錠 :小さい頃からマンガに限らず絵を画くことが好きだったのですね。
   上手いわけでもなかったのですが。大阪の千林(旭区)、松下
   (パナソニック)の発祥地の門真とか守口の近く。京阪(電鉄)です
   ね。今も古い商店街があります。昔はマンガといえば貸本屋だった
   のです。手塚治虫のファンでしたが、柔道部だったので自分が好き
   な柔道もの、イガグリくん(福井英一)も好きで、128ページの
   柔道マンガ「バクダン君」を画いたのが貸し本屋デビューです。
   高校2年の時ですね(昭和30年頃:1950年代)

記者:あの頃は10円玉握って貸し本屋に通ったものです。

錠 :当時貸し本屋の読者は金の卵と言われていました。中卒で地方から
   東京や大阪に出てきて働いていた人達です。下宿やアパートに風呂
   がないので、仕事終わって夜の8時頃でしょうか、銭湯に行く。
   その銭湯の前には貸し本屋があったのですね。ファンレターがな
   かなか泣かせるもので・・と言っても暗い話ではないのですが、
   女の子なんか「今日は日曜日だから洗濯しました」とか。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー214
「理想の温泉」
2009年6月16日
     
   
 

高峰温泉

 

以前週刊誌で温泉ベスト10という企画があった。温泉の達人達(12名)が選び、編集部が統計表を作成。その結果総合ベスト10という極めつけリストのできあがり。記者は達人達と編集部の良識をひたすら信じて一軒、また一軒と巡ることになった。当然そうなんだろうな・・一位は秋田・乳頭(鶴の湯)、二位は長野・高峰(高峰温泉)、三位は長野・野沢(住吉屋)四位は青森・酸ケ湯(酸ケ湯温泉)・ ・結果はどうであったかと言うと、週刊誌の良識を確認。この巡礼のような旅で、記者にとっての理想の温泉を考えるところとなった。

@自宅(藤沢)からそれほど遠くなく、それほど近くない。
 車で4〜5時間、列車では500ccの缶ビール飲んで時間が少し
 余る距離。
Aトイレがきれい。山奥だから、海側だから、トイレが汚くてよいのか。
 そんなのは関係ない。当然ウォッシュレット。
B登山、スキー、スノーシュー、水泳、ダイビング、釣りなど体を
 動かせて自然に溶け込める。
Cごはんが美味しく、地元の質素な食材を楽しめる。温泉で豪華な
 食事してどうする。ビールや焼酎。
D無料の観察会や研修会があり、スキーやスノーシューなどの道具は
 無料貸し出し。
E高いお金を出せばよい宿に決まっているはず・・ここは1万円台で
 ありたい。
F山や海の環境がよい。
G宿の方々の感じがよい。でしゃばらず、されどさりげない気配り。

毎年季節を問わず高峰温泉に行くようになった。酔っ払って寝込んでいなければ20時30分からの星座観察会もすばらしい。浅間山などの登山にも便利。毎回ご主人(若ダンナ)の後藤英男さんとボソボソ話すことも楽しい。新芽のカラマツを見て戻ったばかりだけれど、又行きたくなった。

Hまた行きたくなる。

*参照 週刊朝日 2004.10.8号
*気象庁は4月7日より浅間山の入山規制をレベル2に緩和した。
 (火口周辺2キロ規制)黒斑、火山館、賽の川原分岐点へは入山可
  http://www.kanko.komoro.org/taiken/tozan.html:小諸観光協会

     
   
 

カラマツの新緑

 
 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー213
「合鴨農法」
2009年6月8日
     
   
 

合鴨を田に放す天神小学校のみなさん

 

3月、日本大学の廣瀬一美名誉教授による公開講座で「(数年前の)調査の結果引地川や境川の鯉各22%、12%に環境ホルモンによる異常がみつかった」ことを学びました。工業水、農業水、生活水を排水として川に出さないことが大事ですと。

須田牧場の須田直吉さんは「農薬を使う田んぼには魚や虫はいない」と断言。合鴨による有機無農薬米栽培を実践(平成9年・1997より)中。「癌や脳梗塞で亡くなる人が多いので、化学肥料を使わない安全な米作りをしたい」これは廣瀬先生や国連環境開発会議の警鐘に対する一つの答えのように思います。

5月25日10時頃田んぼに行きますと、天神小学校5年生(約90名)による田植えの真最中。このような授業をいつまでも続けてほしいと思いました。秋になったらこの米を生徒達は食べるのです。生徒や先生の笑顔が印象的。

26日朝須田牧場で直吉さん「辻堂の運送会社に合鴨のヒナが来ているので一緒に受け取りに行きましょう」いやその運転の乱暴なこと。軽トラは何度も危機を乗り越え,60羽を積んで牧場にようやく辿りつきますと、待ち構えていた天神小学校の生徒達がヒナを田に放ちます。その間記者は生徒達による合鴨背中攻撃に晒されることになりました。

柵造りには日大の先生や奥さん達、湘南版おたすけ隊の方々など総勢12名が参加。15時過ぎまで柵造りと網被せ。水田に入ると膝下まで足が沈む所もあり、抜けだせないオヤジさんもいて和気あいあいの一日でした。合鴨はすでに群れをなして泳いでいます。(カワイイゾ!)無農薬田周辺にはトンボやアメンボなど沢山の生き物。新緑の谷戸で直吉さん(86歳)の静かな気合を受け止めた一日でした。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー212
「今昔ものがたりより」
2009年6月5日
     
   
 

山科勧修寺(かんじゅうじ、もしくはかんじゅじ)
の氷室の池

 

ものがたりは古今東西、魂の世界に漂い、作者と読者を微かに繋ぐ琴線に、時折触れては響き、妙なる音を奏でる。田辺聖子文による「今昔物語絵双紙」を読んでいると、主人公二人の一瞬の沈黙と魂の弾ける音が、千年の時空を越えて確かにきこえた。

今昔ものがたりから引用する。(角川書店〜雨宿りで逢った少女〜)
【ふとしたことから若くして一夜、生涯の変わらぬ愛を契った二人が、六年の別離の後、出会う。「几帳のそばにかの少女はおりました。・・大人びて・・別人のように匂やかな・・しかもそのそばには、えもいえぬ愛らしい五つ六つほどの女の子がいるではありませんか。これは誰と仰せられると女はうつぶして泣くばかり・・】

主人公は右の大臣(おとど)藤原冬嗣の孫の高藤(たかふじ:当初15,6歳)、と山科の長官、宮道弥益(みやぢのいやます)の娘、列子(れっし、もしくはたまこ:当初12,3歳))。二人は六年の別離を経て、本当に生涯を添い遂げることになる。

この二人の間に生まれた娘は胤子(いんし、もしくはつぎこ)といい、宇多天皇に嫁ぎ、 生まれたのが醍醐天皇。六年間じっと別離を耐えた少女は醍醐天皇のお祖母さんになったわけである。二人の出逢った列子の父の館は、醍醐天皇が開祖の真言宗の寺となり今に至る。

山科の勧修寺は初夏訪れる人も少なく、氷室の池の杜若を見ながら、しばし高藤と列子を偲んだ。

 
市民記者 No.106 郡司薫
 
■コラム:共生 引地川ー211
「ツバメの日記2009」
2009年5月27日
     
   
 

子供に餌をやり,糞を銜えて飛び立つ親鳥

 

ふじさわ自然通信に秋山さんが3月21日ツバメを下河内橋付近で、同日高橋さんが大庭遊水地の上空でイワツバメを見かけ、更に「私の記憶では3月上旬にツバメを初認しています」ともあります。
記者は21日秋本橋付近で初認。京都伏見の和菓子屋、稲荷駿河屋のご主人山村敏和さんの初認は20日。今年も葉書を頂戴しました。そこで5月中旬、店にお伺いしました。


ツバメの日記2009



記者:去年と同じツバメでしょうか。

山村さん:先生は(須川先生【須川恒(すがわひさし)龍谷大学非常勤
     講師生物学者】よう分からん言うてます。去年の子やと思い
     ますが。

記者:ヒナ、大きいですね。夜は親どうなるのですか。落ちますよね。

奥さま:巣の横の電線のところで休みます。

記者:いつころまでいるのですか。

山村さん:昨年は・・7月28日親二羽晩来てトマル(泊る)が最後で
     した。これからもう一度抱卵して、飛び立つと南に帰る前に
     淀川の河川敷で何万羽も集まります。

記者:夏秋塒(ねぐら)でしたよね。確か18グラムで飛来して
   20、21グラムで南へ飛び立つ。1グラムで約1000キロで
   すよね。

山村さん:疲れたら船や口に銜えた小枝で休みますな。新聞に載って
     ました。

記者:去年も言いましたが、わたし、小枝説は信じておりませんから。
   いつ来ても暖かなご夫妻と店。でっち羊羹もなにか懐かしい。
   ツバメもこの懐かしさを求めて、なにかやむにやまれず毎年稲荷
   駿河屋に来るのかもしれない。


 青葉光お薬師様に手を引かれ 窮鼠

     
   
 

山村さんご夫妻(稲荷駿河屋 京阪伏見稲荷駅前)

 
 
市民記者 No.106 東善治 郡司薫
 
■コラム:逍遥ー12 共生 引地川ー210
「清流談4−4」
2009年5月22日
     
   
 

うなぎ約40センチ
(引地川・大庭親水公園:捕獲後放流)

 

郡司:次が最後のテーマです。川は広域行政の話ですね。多くの関係者
   が絡んでいます。市、県、事業所、農家、学校、市民などです。
   また多くの自治体も絡んでいます。しかしみなさん単独で活動し
   ているように見えます。各々の力が分散しているように思えるの
   です。皆が連携してやればよいのです。藤沢市で二河川の(水質
   向上)協議会のようなものを立ち上げ、機能し始めましたら周辺
   の自治体と共同で推し進めるのです。現在の二河川協議会は予算
   が59万円で、みなさんものすごい努力をしておられ、頭が下が
   りますが、(環境向上)協議会的なものが必要なのです。

市長:そうですね。協議会を検討したいですね。横断的なものをね。
   二河川協議会は59万円ですか・・。このほど広域行政として
   茅ヶ崎市や寒川町 からも人を出していただき、やっと二市一町
   で協議できるようになりました。事務所はここにおいています。
   これからは大和市や綾瀬市にも入ってもらいたいですね。

郡司:藤沢市で協議会を始め、他の自治体に広げるのです。まず塊より
   始めよ、です。

市長:境川、引地川に関してはスライドを作りました。二本の川が縦軸
   で谷戸も入っています。僕は自然の大切さをどこに行っても話し
   ています。国に行っても話しました。廣瀬先生にも協議会ができ
   れば入っていただくとよいですね。総合計画で旗を立て、協議会
   を開き、大和市や綾瀬市に広げていく。 しかしですね、毎日鮎
   ということではなく、時折(カタクチイワシの)シラスも食べた
   いですが。

記者:本日はありがとうございました。

     
   
 

ハグロトンボのヤゴ
(引地川・大庭親水公園:捕獲後放流)

 
 
市民記者 No.106 東善治 郡司薫
 
■コラム:逍遥ー11 共生 引地川ー209
「清流談4−3」
2009年5月21日
【引地川水質推移表】
 昭和61年(1986)〜平成20年(2008)
 BOD:mg/l  生物化学的酸素要求量
         少ないほうが水が澄んでいる
資料:藤沢市環境保全課
 

引地川水質推移表 昭和61年(1986)
〜平成20年(2008)

郡司:次は4番目の質問です。ここに環境省が定めた河川の「水質汚濁
   に係る環境基準」表があります。国は引地川や境川の目的を決め
   ているわけです。両川ともD指定、つまり工業用水2級と農業用
   水です。先日日本大学で開催した廣瀬一美先生の講義の後のグル
   ープ討論では三名がC指定、B指定と上げていくべきだと指摘しま
   した。国の指定が現実的には甘いので、実はすでにBODではC指
   定水準の水質になっていると思われますが、県や市、そして事業
   所、農家、市民も甘い水質基準を守ればよいのです。皮肉なこと
   にこの表が水質向上の推進力になるのではなく、むしろ足枷とな
   っています。B指定までくれば、鮎が適正に棲め、藤沢市民や二河
   川の沿川の住民は夕方鮎を釣り、お膳に乗せるわけです。
   田舎であたりまえのことを、この藤沢の川で実現することが我々
   の願いです。環境省の表を、我々の足枷から、水質浄化の推進に
   利用できるように活用して行きたいものです。

   http://www.env.go.jp/kijun/wt2-1-1.html
   生活環境の保全に関する環境基準(環境省)

市長:市としては上流の自治体や県と話して皆で国に働きかければ、
   そのあたりは変えていけるかもしれません。これは面白いですね。

郡司:20世紀は国が上からこの川の水は工業用水にするとか決めまし
   た。21世紀は地域の自治体や市民が事業所や農家などと一緒に
   なって、下から決めるべきです。例えば引地川沿川20万人の
   人達は水質を清流、鮎の棲める水になることを望んでいると思い
   ます。市長は海のゴミの70%は川からだから、川をきれいにし
   なければとおっしゃっておられます。

市長:議会のご了解をいただいて新しい市民目線の総合計画の中に
   取り込めればいいと思います。

郡司:市長の任期は最長三期12年ですから12年でやってほしいで
   すね。

市長:12年では遅い。最長12年ということだから。こういうものは
   8年でやるとか、総合計画に入れていかねばいけないのです。
   次ぎの市長さんの可能性もあるので分かるようにするのです。

     
   
 

市長面談

 
 
市民記者 No.106 東善治 郡司薫
 
■コラム:逍遥ー10 共生 引地川ー208
「清流談4−2」
2009年5月18日
     
   
 

合鴨の群れ(六会地区須田牧場横)
須田直吉さん提供
撮影:辻堂写真クラブ 羽生四元治さん

 

東:第二点は農薬などの環境ホルモンに関する問題です。先日の
  廣瀬先生の講義の主題でした。おそらく農薬や家庭・事業所の排水に
  環境ホルモン関係の物質が入り、引地川や境川の鯉に影響があった
  との報告です。(数年前の調査)六会地区の須田さんは農薬のために
  田んぼや小川から生物が減ったことを憂い、農薬を使わない
  “合鴨農法“を実践されておられます。このような農法による
  農薬や環境ホルモンを 減らす施策を望みます。

市長:藤沢市の関連部門などとパイプをつなぎながら、一緒にやってく
   ださい。

東:第三の課題として、河川の環境浄化には市民や生徒が実体験から
  環境を学ぶことと思います。先日引地川鯉流しのために、4人で、
  約3時間程川の掃除を行いましたが、その時に1トン近くの雑多な
  ごみが上がりました。学校教育や市民に川や海岸の掃除、合鴨農法
  (須田さんの合鴨農法の写真と合鴨米を市に手渡す)、シラス漁法、
  緑道、引地川環境保全施設などを通した環境への理解を深める
  施策をお願いします。

市長:僕は一中のおやじの会ですけれど、一中でも合鴨農法をやって
   います。
   須田さんの写真は天神小学校ですか・・。
   藤沢小学校、本町小学校、一中で「こめこめ クラブ」というこ
   とでもう何年もやっています。もち米です。
   年によって違いますが、収穫された量はすごいですね。
   藤小と本町小で分けています。市民や学校に環境への理解が進む
   ようにやっていきたいですね。

     
   
 

市長面談

 
 
市民記者 No.306 東善治 郡司薫
 
■コラム: 逍遥ー9 共生 引地川ー207
「清流談4−1」
2009年5月16日

日時:平成21年4月28日 11時から30分
場所:市長室
面談者:藤沢市海老根靖典市長 山口剛環境都市政策課課長補佐
    池田潔市長室主幹補佐
聞き手:郡司薫市民記者 東善治市民記者

     
   
  市長面談  

記者:本日は忙しい中時間を割いていただき有難うございます。

東:先日我々は日本大学の廣瀬一美先生の講座「引地川の環境と生物」
  をもち、その後出席者で引地川環境向上のための自由討論会を開き
  ました。本日はその中で重要と思われる5点について話し合いたい
  と思います。市長へは当日の全討論内容をお渡しします。
  昨年は30年ぶりに鵠沼海岸で海ガメの産卵も見られました。海の
  浄化は川の浄化からです。我々は引地川の環境の向上を推し進めた
  いと考えております。

  第一点は引地川の4本の支流、つまり蓼川、不動川、一色川そして
  小糸川ですが、ここに生活廃水や工場排水が流れ込んでおり、水質
  の更なる浄化が望まれます。下水道整備は、藤沢・大和・綾瀬各市
  で進んでいますが下水道を利用せずに川に流されている実態があり
  ます。県の排水基準の下では事業所には、又現在のきまりの中では
  市民には、共に廃水を川に流さないよう強制できない状態です。
  事業所・家庭のみなさんが下水道を利用するように推進お願いし
  ます。

市長:下水の問題は、以前は一色川の問題が大きかったです。蓼川の沿
   川の事業所の問題は綾瀬市との関係ですね。それから小糸川の上
   流問題。不動川の方はどうでしょうか、よくなったのではないで
   しょうか。

環境都市政策課:排水が川に入る場合は、川への排出基準に合ってお
        れば、強制的に下水道を使っていただくことはでき
        ない、という問題はあります。不動川の生活廃水は
        大分よくなっています。

     
   
  講座「引地川の環境と生物」
(日本大学生物資源科学部)
 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―206

「貧乏考」
2009年5月9日
     
   
  いのちのチキンラーメン
(学生時代はこれと粉ミルクが非常食)
 

大人になって二度貧乏をした。子供のころ貧乏だったのかはよく分からない。食べるものが少なかったことは記憶にあるが、ご近所の家も似たり寄ったりで、おそらく国中貧乏だったのかもしれない。

勤めていた会社の倒産と大病が重なった頃、家中皆で継ぎの当たった下着をつけて生活した。この頃、継ぎの当たったパンツは恥ずかしくない、洗わないパンツは恥ずかしいと妙な悟り心に至った。

外資系企業に勤めていた頃、会社と地方銀行との間で板ばさみにあい、胃が食べ物を受け付けなくなった。腹を括って状況を分析し、地方銀行に売っていた商品をまず引き下げ、案件を潰し、最後にけじめとして会社を辞めた。仕方なく麹町の借りマンションで起業したら7割の客が消えた。自営の10万円は個人の1万円の感覚でなくなり、通帳を見ながらため息をつく生活。それでも3割の客は辛抱強くつきあってくれて、やがて商品は当たった。誰もいない事務所で裸になって「タラッタ ラタラタ ウサギノダンス タラッタ ラタラタ サー元気ヨク・・」と歌いながら踊ると涙が零れた。

落語家の古今亭志ん生はその著書「なめくじ艦隊」(ちくま文庫)で「人間てえものは、ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、おもしろさも、人のなさけもわかるもんじゃねえと思うんですよ」と看破した。貧乏道名人の先輩達からは何かお言葉を頂戴しそうだが、貧乏二段なりの境地。

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―205

「鯉ながし」
2009年5月4日
     
   
 

テルテル坊主

 

4月25日(土)起きると雨。早朝レンゲまつり主催パートナーシップ善行に電話すると「中止ですね」と齋藤さん。「雨っすね」と記者。静かな悔しさみたいなものが交わりました。さっそくテルテル坊主を軒に吊るします。外は「なみだの雨」。第9回石川レンゲの里まつり、そして我々の鯉流し・ハグロトンボの紙遊び・片瀬こま(藤沢青年会議所提供)の初日は夜が明けると終わりました。

4月26日(日)5時過ぎにレンゲの里に行くと、昨夜の豪雨にも係わらず引地川は澄んだ水で向かえてくれました。水量も鯉流しに丁度。「川の神さまがおられる」勝手にジーンときました。すでに齋藤さんと藤沢青年会議所のみなさんが餅搗きの臼などを運んでいます。「やりますから」と齋藤さん。「よろしく」と記者。目が笑っています。

     
   
 

鯉幟(藤沢青年会議所)知人撮影

 

我々は天神町自治会、下町自治会、石川山田自治会、六会くらまち、そして記者の環境クラブの五団体の協力でまつりに初参加。湘南台の鯉流しの先輩達がわがことのように、何度も何度も鯉流しのやり方を教えてくれました。耕作者の方が「地道な活動をやってこられた方々だから、間違いはない」と主催者に頼みもしないのに、推していただいた時には、思わず涙が零れかけたものです。

大勢の人たちがレンゲの里を訪れ、青年会議所の大きな鯉幟を眺め、片瀬こま(青年会議所と我々も)、引地川に復活したハグロトンボの紙遊びそしてたくさんの模擬店などを楽しみ、レンゲ畑の側を流れる引地川に鯉流しを見たのでした。この日たしかに谷戸のみどりは澄み、川の水は澄み、片瀬こまを回す子供や大人の目は澄んでいました。

     
   
 

鯉流し(六会地区引地川鯉ながし実行委員会)

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―204

「川干上がる」
2009年4月27日
     
   
 

川底に出現した藤沢砂泥互層
(引地川 石川堰下流)

 

第9回石川レンゲの里まつりに引地川鯉流しなどで参加予定。それで会場付近の川底を掃除しておりますと、石川堰用水路水利組合や県藤沢土木事務所から電話が入り、石川堰(ゴム堰)を上げるので、堰を見に来てくださいとのこと。堰に行きますと、すでにゴムのダムは上げられ、水を湛え始めています。ダム下の残り少ない水には鯉の群れ。「ダムの水を午後に流すかもしれないので、鯉流しの予行演習のためでも、川底には入らないほうがよいですよ」と水利組合と県土木。

まつり会場方面に川に沿って戻って行きますと、藤沢砂泥互層がはっきり見えます。15万年位前の海底層はとてもきれいでした。

仕方がないので、秋本橋から石川橋までの両岸の掃除をした後、ポンプ場横で鯉流しの練習。陸上でやるので、なんだかみなさん気が抜けたようですが、なんとかできそうなので終わりにしました。紙コップで水を飲むと、これがうまい。レンゲの里にはレンゲが溢れ、下河内橋袂には収集したゴミの山が残りました。気が付くと石川堰用水路もまつりに参加する水利組合関係者の掃除も終わり、これで後はレンゲまつりの日の天気を祈るばかりとなりました。(雨みたいだな・・)少し心配です。

     
   
 

水を湛え始めた石川堰

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―203

「好きな地元」
2009年4月21日
     
   
 

日大の桜

 

昨年公民館ふるさとまつりで「あなたの好きな六会とはなんですか」と尋ねてみました。「名所・旧跡などを聞いて掲示板やウエッブなどで役立てよう」としたのです。亀井野の亀井神社や西俣野の瞽女ヶ淵などを想像していましたが、結果は意外。(約500名のアンケート)皆さん日常の中で無理なく、好きなものを見つけていたのでした。(「あったりまえでしょう」って) ・・・・・

【名所・旧跡】
1. 日本大学関係(桜・バラ園・博物館など)
2. 境川関係(自転車道・風景)
3. 引地川関係(散歩道・風景)

【文化】
1. ねぶた
2. 公民館ふるさとまつり
3. 日本大学のまつり

【食物】
1. 野菜(路地)
2. トマト・キャベツ(路地)
3. アイス(飯田牧場)

     
   
 

飯田牧場(西俣野)
「アイスと牛乳おいしいですよ。市外・県外からも多くの方が、ドライブや境川のサイクリングなどの途中、寄られます」

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―202

「千本桜」
2009年4月14日
     
   
 

写真:千本桜(大和市)

 

引地川上流の千本桜(大和市)へ小田急桜ヶ丘駅から歩いて向かう。川沿いの土の道の端では午前中ではあるがすでにビニールのシートの上で宴会をしているグループもあり、見ているこちらも頬が緩む。「大和市千本桜 桜を守る会」の江口代表にお話しをお伺いした。


記者「何時頃から会を始められたのでしょうか」

代表「今年で準備会を含めますと12年になります」

記者「会員の方はどのような方で、何人位おられますか」

代表「今160名です。千本桜自治会の人達です。自治会の所帯数は
   420ですね。お子さんから80歳を越える方々までおられます」

記者「主な活動はどのようなものですか」

代表「・年に二、三回川底を掃除します。
   ・大和市の市民清掃という行事があり、その際土手の雑草を
    刈ったりしています。
   ・桜は枯れるものですから枝の剪定や、倒れそうな木の補強
    などです」

記者「ソメイヨシノは長寿ではないと言われていますが、実際には
   どうでしょう」

代表「みなさん人生と同じ位と言われますが、手入れによっては
   100年位もつようです。有名な弘前城の桜は公園がしっかり
   管理しているので、120年と言われています」

記者「これだけ多くの方々がすばらしい桜を楽しんでおられる。
   今どのようなお気持ちですか」

代表「皆さんが見てくれて嬉しいですね。・・川沿いはご覧に
    なっていただくと土の土手ですね。都会にこのようなものは
   ないのですね・・」

記者「川と両側の土手の幅はどれ位ですか」

代表「川は5メートル、土手はだいたい7メートル(片方)で合計19
   メートル位です」

記者「ものすごい数の桜ですが、本当に千本あるのでしょうか」

代表「元々千本あったといわれていますが、現在五百本位です」

記者「県藤沢土木事務所より長後堰の改修工事が近いと聞いています。
   そこに魚道を造る計画があるようです。そうすると鮎は改修された
   石川堰と長後堰の魚道を上ることになります。しかし千本桜の
   二箇所の川の段差は鮎が大和を遡上する大きな障害になる可能性
   が出てきますので、是非段差をなくしていただきたいですね」

代表「分かりました。県(相模原土木事務所)と交渉してみましょう」


(千本)桜を守る会の方々の屋台でソーセージを肴にビールを飲みながら桜を眺めていると、なんともいえないいい気持ち。漂うがごとく川沿いに家まで帰る途中燕と出会う。

  相模野の風に乗りたる里燕  窮鼠

     
   
 

江口代表と会の屋台

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―201

「新入社員」
2009年4月5日
     
   
 

東京駅周辺ビル群

 

4月に入り街を歩くと新しいビジネススーツの若い人たちと出会います。まぶしいような服を見ていますと、なんだか羨ましいような、同情するような複雑な気持ち。・・そうですね、遠いむかし記者にも新入社員の日がありました。
・・入社した会社、直属の次長は真っ黒な顔の田舎のおやじ風・・

次長「心構えというほどの事も無いでやんすが、週刊誌でも読むん
   ですな。それから会社と自分を選ぶ時、自分を選ぶでやんす」

記者「・・どうも・・」

生意気盛りの記者にとって、このおやじは十分侮られてしかるべきであると感じたものです。

それから数年

記者「論文を書きますので当分会社には来ませんから、よろしく」

部長(次長が昇進)「君が来ないほうが会社にいいでやんす」

真顔でニコリともしません。1ヶ月以上会社を休み、国会図書館や
藤沢図書館に籠もりました。

それから又数年、会社は傾き、記者は過重労働で倒れ、闘病中に倒産。一年振りで、出社すると上司は若くして社長となり、倒産会社の処理をしていました。文字通り半年、死に物狂いで債権処理を務めさせていただき、東京地裁民事で更生会社認定を受けた次の日から、再就職活動を開始。皆が辞めていく中、記者なりのけじめでした。

週刊誌は世間の常識の涵養で、自分を選ぶことは自立心、会社に来るな、は最高の勇気付けだったことが、記者にも分かる歳になっていました。恥ずかしいほどの若さに真正面から答えてくれた人に出会えた奇跡を、今年もまぶしいスーツ姿を見ると思い出します。

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―200

「川をまなぶ」
2009年3月25日
     
   
 

講義中の廣瀬一美(ひろせひとみ)
日本大学名誉教授

 


多くの人々に愛されている。なんだかセクシーな感じ。けれども知っているようで知らない・・。そんな引地川・・の生物と環境ホルモンの影響について研究なされた廣瀬先生に、しっかり話をお聞きしようと、「引地川の環境と生物」という公開講座を3月21日(土)日大生物資源科学部で開いた。参加者は約20名。先生は魚博士として知られた、故末広恭雄先生のお弟子さんで農学博士。八年前に脳溢血で車椅子生活となった後も病気にも負けず、藤沢だけではなく現在東京の日大本部の大学院でも教鞭を取る。

廣瀬先生は平成12年(2000)引地川へのダイオキシン流出事件(注1)がきっかけで、平成13年(2001)11月から平成15年(2005)3月まで引地川、ほぼ同時期に境川の鯉などを調査した。調査は外部観察、内部観察(各臓器の異形・病巣)、組織標本の作成(鰓、生殖腺、体腎、脾臓)など。その結果組織の異常(鰾:うきぶくろ・頭部異形、脊椎側湾、生殖腺・精巣の異常など)を引地川では22%、境川では12%観察するに及んだ。鯉の調査数合計は引地川159、境川70。

記者「どうして鯉に異常が散見されたのでしょうか」

先生「環境ホルモン(注2)と呼ばれる物質のせいでしょう。
   現在10万種類位あると言われています。工業用水、生活廃水など
   が原因と思われます」

記者「どうすれば環境ホルモンを減らすことが出来るのでしょうか」

先生「簡単なことです。出さないこと。人類は自分に都合のよい科学
   物質を作り出した のですが、他の生物に対しての気配りができて
   いなかったのです。経済優先だったのですね。
   1992年国連環境開発会議ができてグリーンケミストリーの
   精神(注3)というのを作ったのですね。12項目

  ・ 廃棄物は出してから処理するのではなく出さないようにすること
  ・ 原料を無駄にしない
  ・ 人類や環境にやさしいものを作ろう
  ・ 機能が同じならなるべく影響が少ない物質を作ろう

   このような取り決めを作るだけではなく、その経過を追いましょう
   ということも書いてあります」

人が便利になるように作った物質で、生物がそして人もその結果を背負うという悪循環は、日本では水俣病など高度成長経済の負の遺産。そして今静かにこの日常生活の中で、環境や我々自身の劣化が進んでいるのだろうか。国や事業所、農家そして市民などの責務は大きいのだろう。記者は現代という名の見えない「足枷(あしかせ)」を感じることとなった。

     
   
 

カワセミ 引地川の高座渋谷と長後の
中間点付近にて(下福田中学校下流)
2008年2月 秋山孝さん
(あきやまたかし)撮影

 


* 神奈川県藤沢土木事務所から参加者へメジャー、ボールペン、ティッシュの寄贈が、大庭自然探偵団の秋山さんからカワセミの写真の寄贈が各ありました。ありがとうございました。


* 神奈川県藤沢土木事務所から参加者へメジャー、ボールペン、ティッシュの寄贈が、大庭自然探偵団の秋山さんからカワセミの写真の寄贈が各ありました。ありがとうございました。

注釈:注1〜3

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―199

「お伊勢さん」
2009年3月18日
     
   
 

伊勢神宮外宮(げぐう)御正殿(ごしょうでん)

 

「お伊勢さん」は日本のふるさとの匂いがする。皇室の御先祖の神・天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と天照大御神のお食事を司る神・豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とゆうけだいじんぐう:外宮)の両正殿を中心として14の別宮・43の摂社・24の末社・42の所管社(125の社)の総称。近鉄電車で伊勢市駅か宇治山田駅で降り、外宮を参拝し、内宮をお参りするのが正式とされている。外宮と内宮間は約4km、バスで15分あまりである。

お伊勢さん観光ガイドの会の若山道男さんによれば、昨年の参拝者数は750万人、今年の1月は210万人を越えたという。天照大御神が鎮座して約二千年のお伊勢さんに20年に一度の御遷宮が平成25年(2013)にやってくる。1300年以上続いた行事で、古式にのっとって、125の社を建て替えると同時に、約1500点におよぶ御装束神宝を作り代える。それらは、現代の名工が長い年月をかけて作る。かかる費用は550億円という。

広大な敷地(5,500ha)の清々しい空気。背筋が伸びるようでいて、なにか故郷にいるような気持ち。平日にも係わらず大勢の老若男女の方々の参拝を見ていると、日本人の宗教の原点かと感じた。これらの人々はおそらくお大師さんを拝み、クリスマスを祝うのだろう。多神教・柔軟性・座標軸のぶれ・・

「この聖地には、あらゆる宗教の根底に横たわっている統一性がある。世界には神聖な場所はいくつもあるが、伊勢の神宮は最も神聖な場所のひとつだ」アーノルド・J・トインビー(イギリスの文明史家:人間と文明の行方、日本評論社より)

内宮側のおかげ横丁の「すし久」でてこね寿し(酢ご飯とかつおの赤身を手で混ぜることが由来)で生ビール、「赤福」で餅を食べると、おそらく記者のご祖先さま達もこの地でこのようにしたのだと、しみじみ感じた。


到来の赤福もちや伊勢の春 子規

参考:ええじゃないかお伊勢さん (社)伊勢市観光協会

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―198

「伊良湖」
2009年3月11日
     
   
 

10万本の菜の花

 

伊勢にお参りに行きたいと地図をじっと見ていると、対岸の渥美半島に伊良湖(いらご)がある。島崎藤村の椰子の実の詩の舞台。・・早春の伊勢湾経由と決めた。普通電車を乗り継ぎ、バスに乗り伊良湖に到着。藤沢から8時間。各駅停車なので途中で降りる、それで飽きない。豊橋から三河田原までは豊鉄の菜の花電車。車内外が菜の花の写真などで一杯、そして車窓にも菜の花。

地元の食材(菜の花・ソルティーナ「塩菜」・蛤など)を使ったバイキング料理を生ビールと焼酎で楽しんでいると、夜に近くにある10万本の菜の花畑へバス観光があるとのこと。バスに乗り込んだ20名くらいの人たちは皆さん中高年。さすがに皆さんしぶとそう。合宿の80名の関西の大学テニス部の若者達は休養みたい。「日本の明日は頼みます」暗闇に浮かび上がる菜の花は壮観でした。

お風呂に「薬湯歳時記」の掲示があり、面白いのでもらってきた。一月「松葉湯」二月「大根湯」 三月「蓬湯」 四月「桜湯」 五月「菖蒲湯」六月「ドクダミ湯」七月「桃の葉湯」八月「薄荷湯」九月「菊湯」十月「生姜湯」十一月「蜜柑湯」 十二月「柚子湯」

家に戻り大根湯に浸かる。大根の切り口がヌルヌルして気持ちが良い。畑の中でお風呂に浸かっているようである。もう明日から蓬湯。

     
   
 

大根湯

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―197

「梅が消えた」
2009年3月6日
     
   
 

石川の梅のあったあたり(紅梅だけが残っていた)

 

石川の梅:市(藤沢市)指定天然記念物 ・・花が咲くころはまことに見事であると同時に、実の大きさも驚く程で普通のウメの4、5倍は優にある・・  高さ 約8.5メートル 樹齢 約三百三十年(推定)

昭和45年五月三十日指定 藤沢市教育委員会


早春の日、石川の梅を見るために散歩がてら訪れたが、すでに無くなっていた。何人かの人たちも来ていたが、みなさん怪訝そうな顔。取り残された紅梅がなにやら悲しい。

さっそく市の教育委員会に問い合わせたところ、すでに昨年伐採され市の関連のウエッブサイトで市民に知らせているという。「藤沢市文化財ハイキングコース 石川・南鍛冶山コース:教育委員会」
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/manabi/bunzai/isikawa.html


   記者「どうして伐採されたのでしょうか」
教育委員会「古木ですし・・民間の所有ですし・・
      市としてもできるだけのことはしてきたのですが・・」
   記者「芥川の小説歯車とゆかりの理髪店がなくなることが決まった
      ようですし、今度は石川の梅がなくなるなんて・・」

記者の記憶にある、巨木にたくさんの花をつけていた梅の木がゆっくりと
倒れる。記者の中の何かも一緒に消えていく。

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―196

「まるあるきの会」
2009年2月27日
     
   
 

まるあるきの会(長後堰にて)

 

昨年9月海老根市長と引地川環境保全について面談した際、引地川の沿川を一緒に歩きましょうとお頼みして、その場で同意を得ました。それから半年、集合の小田急高座渋谷駅西口に約束どおり海老根市長も早朝から笑顔で参加です。集まられた約40名は実に壮観でした。一般参加の自然愛好家の方々の中に藤沢市などの自治体の関係者、大和の先輩ボランティアの方々、藤沢市電子会議室の方々、著名な俳句愛好家の方々等おられます。これはスゴイ。みなさん、すぐに打ち解けてワイワイガヤガヤやりながら川沿いを下りました。天気もよく楽しそう。

途中のポイントごと10名位の方々が環境・生物・歴史・ボランティア活動などを語りました。
主な解説ポイント:長後堰、下土棚の蓼川との合流点、長後こぶし荘、
         円行公園、大庭親水公園、引地川親水広場

大庭親水公園では一緒に会を実現させた魚讃人さんのクイズや回答説明もあり、今回の「引地川まるあるきの会」の標語「引地川を楽しもう、知ろう、考えよう」に少し近づけたかと感じました。途中でみなさんカワセミに遭遇し、大庭自然探偵団から絶滅危惧種で神奈川県では二箇所にしか生息しないという長柄実栗(ナガエミクリ)の繁茂の場所を教えてもらい、記者からはホタルの棲息場所や、幼虫時のえさのカワニナをお見せしたりしました。

海老根市長「長柄実栗の大発見もあり印象深かったです。次回は先の大和から全行程を歩いて、環境を考えてみたいです。今日の経験を行政に生かしたいと考えております」

県立湘南海岸公園サーフビレッジで「まるあるき証」のスタンプが五枚になり完歩です。これから40のこころが引地川沿川に散らばります。そしてその一つ一つがまた異なるこころにつながっていきます。引地川の水のながれのように。 
*なお神奈川県藤沢土木事務所からボールペンとティッシュを、六会地区くらし・まちづくり会議からティッシュをご提供いただき感謝しております。

     
   
 

まるあるき証(ポイント到着ごとにシールを貼る)

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―195

「里考」
2009年2月18日
     
   
 

石川丸山谷戸の里風景(湧水は引地川へ流れ込む)

 

「にほんの里100選」が決まったという。(朝日新聞社など主催、環境省など後援)http://www.sato100.com/index.html 神奈川県では上山口(葉山町)と藤野町佐野川(相模原市)が選ばれた。前者は「葉山牛の牧舎のわらで作る堆肥、里山を利用した炭など地区全体に循環の輪が残る」,後者は「山地にへばりつく茶畑。霧の発生で上質の茶が生まれるという。今も使われる土蔵が数多く残る」となっている。

記者「ふじさわは海や丘がきれいで、驚くほど大きな富士山が見えます」
東京の人「藤沢では風景が話題になるのですね」

記者が藤沢を初めて訪れて早40年、いたるところが開発され多くの自然が姿を消した。しかし鵠沼松が岡の黒松を江ノ電から見るにつけ、湘南台の竹林を見るにつけ・・、地元のみどりを保存しようとする人々にそれぞれの「里」を感じる。「里」とは自然を大切にしようとする人々のこころの集合体ではないのか。100年後、藤沢に里はあるのだろうか。

 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―194

「理髪店」
2009年2月12日
     
   
 

理髪店(サンロードから)

 

芥川龍之介の小説「歯車」は崩れいく作家の心象を描き、読むものに歯車が刻むような生命の滅びを感じさせる。昭和2年(1927)作家36歳の遺稿の一つに数えられる。

冒頭は次のようになっている。「・・東海道の或る停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。・・自動車には丁度僕の外に或る理髪店の主人も乗り合わせてゐた。彼は棗のやうにまるまると肥った、短い顎髯の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。・・」

芥川は養生のためその前年の4月に鵠沼海岸の東屋(あずまや)に住んだのだった。東屋は当時割烹旅館で長期滞在用の別荘のようなものもあったらしい。或る停車場はもちろん戦前の藤沢駅である。

芥川のこの小説で言及されている理髪店が鵠沼海岸駅近くにあるというので、散髪がてら訪れた。

記者:小説「歯車」とこの店は関係があるのでしょうか。

ご主人:この建物は関東大震災の被害を受けた後に建てられました。
    その時の理髪店の方が小説に登場したようです。この建物の横は
    東屋だったので、おそらく芥川は散髪屋にも通い、理髪店の 
    主人とは顔見知りだったのでしょう。私の祖父がその理髪店の
    後に店を借り(土地・建物)、その後父が昭和15年(1940)
    理髪店を開業し、今に至っています。多くの資材は昭和初期の
    ものが未だに使われています。芥川の時代の感じが残っていると
    思います。

記者:このような歴史的な建物が藤沢に残っているのは嬉しいこと
   ですね。

ご主人:ところが大家さんから立ち退きを告げられ、藤沢簡易裁判所で
    調停してもらっていたのですが、今般5年間の継続使用の後に
    立ち退くことになりました。私達夫婦はずっとここで仕事を
    して、息子に後を任せる つもりだったので残念です。
    (息子さんも理容師)

頭を当たってもらい店を出た。なんとかならなかったのかとの気持ちで胸が一杯になった。サッパリした頭に冬の名残の風が痛い。

参考:芥川龍之介集 筑摩書房

     
   
 

理容やながわ、柳川弘之さんミサ子さんご夫妻

 
 
市民記者 No.106 郡司 薫
 

■コラム:共生 引地川―193

「節分祭」
2009年2月4日
     
   
 

亀井神社の節分祭(当選者に景品の贈呈)

 

特に立春の前日の称。この日の夕暮、ひいらぎの枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒った大豆をまく習慣がある。(広辞苑)

昼過ぎにブラブラ歩いてご近所の亀井神社にお参りして、節分祭に参加した。「ご縁起」の袋に炒った豆が入っており、抽選番号が書いてある。氏子の方にお聞きすると「700袋の内参加者に半分くらい手渡しますので、半分はこれから皆さんに撒きます」とのこと。撒いた後抽選で60名くらいの方に電子レンジ、自転車、野菜詰め合わせ等々当たるとのこと。

退屈なので、知らないオジサンと一緒に亀井神社縁起の石碑を読み解いたり、(読み終えるとどちらからともなく「どうも」)商店街の人達とアホな話をして過す。豆まきは本当に一瞬だった。写真を撮ろうと集中している内に終わってしまった。大勢の小学生の中には一人でいく袋も握っている者もおり、将来がなんとなく見えるようでもある・・記者のような中高年のオジサン連は武運つたなく、たった一袋に希望を託すのみで哀れを誘う。

記者は抽選で当たらず。しかしこのように地元の人たちがワイワイやるのもなかなかよいものだと、しみじみしながら帰路についた。連日よく見える富士山や丹沢連峰も雲で隠れ、節分とは言え、空はまだ重い。

節分の雲の重たき日なりけり 稲畑汀子

 
 

郡司 薫


1948年生 70年代から鵠沼・平塚・逗子に移り住む。80年に藤沢市六会地区に居住。日系、自営、外資系で働き、退職後は地元でボランティアや趣味を楽しむ。「共生」、「日本的なもの」に興味。



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
→ PDFデータを見る
 
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。