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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.309 古川裕康
 
■コラム:江の島の〈自然に学ぶ〉〈歴史を展く〉
「江ノ島の弁才天を訪ねよう」
2008年10月17日

江ノ島は、地質学的には、今から6〜7万年前に隆起して、礫層の上に箱根火山帯からの噴出物(東京軽石層と三浦軽石層、三色旗軽石層)が堆積、ローム層が形成され、その後5〜2万年前に波の浸食・沈降運動などにより、対岸の片瀬山の台地と切り放され、現在の島の原形が、造られたとされている。縄文、弥生土器が発見されているので、この頃既に人が住んでいたと思われる。

「江ノ島縁起」(伝承)に依れば、552年(欽明天皇13年)4月に海底より塊砂を噴き出し、21日で島が出来たと伝えられている。672年(天武天皇元年)役小角が開基したといわれる。以来、島全域が聖域として扱われ、1182年(寿永元年)に源頼朝(坂東武者47人)が藤原秀衡の調伏を祈願し文覚上人(俗名遠藤盛遠:袈裟御前で有名)に悪魔祓い・衆生救済・財宝招福の験ありという八臂弁才天を琵琶湖・竹生島より勧請させ、調伏祈祷させた。この像は、有名な裸形の妙音弁才天(裸弁財天)とともに奉安殿に祀られている。同時に鳥居を奉納した。

また、伝説に依れば今から1500年前、鎌倉の深沢山中にある底なし沼に五つの頭を持つ悪龍が住みつき、子供を生贄にとるので「子死越(腰越)」と呼んでいた。あるとき、子死越前方の海上に雲が垂れ込め、天地が激しく揺れ動いた後、弁財天(天女)が現れ、雲が晴れると、海上に江の島が出来た。五頭龍は、弁財天(天女)に調伏され、江の島の対岸にある片瀬山(竜口山 中腹には龍の形をした岩がある。)に「龍口明神」として祀れた。現在(1978年〜)は「龍口明神社」は鎌倉市腰越字蟹田谷にあります。

斯様に江ノ島と弁才天は密接な関係がある。弁才天は元々インド神話において「サラスヴァティー」と呼ばれる。もとはインドのサラスヴァティーという河を神格化したもので、穀物を豊に実らせる河の神であるが、弁財&福知を与え、延寿及び財宝を与えるように図り、また天災地変を除滅し、かつ戦勝をもたらすという、ほぼ、完璧な御利益のもち主です。

七福神の一神として数える時は、才を財と書いて、財と福をもたらす女神であることが強調されている。

神道では市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視され、仏教では、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の化身と考えられている。さらに、梵天(ぼんてん)の妃であるとも、娘であるとも言われている。弁才天が財宝の守護神である蛇を使者に用いることで福の神になった。

滋賀県の琵琶湖・竹生島弁天、神奈川県の江ノ島弁天、広島県の厳島弁天(以上三大弁天)、宮城県の金華山弁天、奈良県の天川弁天を五大弁天とされ、広く信仰されている。

江ノ島に在る弁才天は 岩本楼所蔵 八臂弁財天像(八臂弁才天像)像高は55.5cm、寄木造り玉眼入 製作は室町末 木造の十五童子像を伴う もとは江島神社にあった。 8本の手に、弓、箭、剣、宝来、輪宝、鉾、鉢棒、長杵を持ち武勇の神様とされている。

江島神社の弁財天座像。高さ59.2cmでやはり寄木造りで玉眼入り。全体の高さは岩本楼の物より高いが台座等があるので弁財天そのものは小さい。最も有名なのは裸弁財天で、正式名称は琵琶を横に持った姿から妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)です。江戸時代の作。

真姿の池・井口院は弁財天が、杵築神社・貫井神社・下弁財天は市杵嶋姫命が、井の頭弁財天は天女神・宇賀神が祀られている。 井口院を除いて他の弁財天は古くから祀られていた神が弁財天と同一視されるようになったものと思われる。

なお、市杵嶋姫命(市寸嶋比売命または狭依叱比売:さよりひめのみこと)は、天照大神と素盞嗚尊が天安河で誓約を行ったとき、素盞嗚尊の剣から生まれた三女神の一人で、宗像三女神(他2神は奥津島比売命:おきつしまひめのみこと=多紀理毘売命:たぎりひめのみこと田心姫命:たごりひめのみこと、と多岐津比売命:たぎつひめのみこと=滝津姫命:たきつひめのみこと田寸津比売命)と呼ばれ、古くから航海の神として信仰されている。

藤沢市在住の日本芸術院会員、加藤顕清氏製作の世界女性群像噴水.(東京オリンピック記念) 5体の世界各地女性像、日本の弁財天、古代ギリシャ女神、百済観音、インド踊り子、そして現代の女性像。

私が実見したのは残念ながら、40数年前に裸弁財天と世界女性群像の日本の弁財天だけです。それと、ヨットハーバーで、至近距離で擦れ違った「星由里子」は本当に超綺麗で、オーラがあって、光り輝いていた。私にとっての弁才天だった。さあ、江ノ島に行って色々な弁才天を見ましょう。

 
市民記者 No.309 古川裕康
 
■コラム: 藤沢でがんばる畜産・農業
「聞いて、食べて、そして考えた農業」
2008年10月17日

株式会社みやじ豚・代表取締役社長、宮治勇輔氏、JAさがみ・藤沢市農業経営士協議会会長、亀井利貞氏のお話を伺って、日本の農業のおかれている、現況の大変さがよく理解できた。お二人とも個性的で、宮治さんは立て板に水で理路整然と、亀井さんはあっちへ行ったり、こっちへ来たり、行きつ戻りつ話され、また、年齢的にも30代と60代と離れており、対称の妙に感心した。

お二人とも、魅力ある農業にしたい。後継者を育てたい。何よりも美味しいものを育てたい。消費者とお互いに顔の分かる関係を得たい。作ったものは捨てたくない。等々農業を愛して止まない熱情が迸っていた。そして、その為には、努力を惜しまない事には頭が下がる。例えば、飼料の配合、兄弟だけを少数(10頭程度)同一豚舎にする。土壌の害虫(ネコブセンチュウ等)の駆除にはふすまや糠などを敷き詰めて高温にして殺菌する。(周辺環境を考え、土壌消毒用農薬「ドロクロ」<クロールピクリン>は使用しない。)

農業に限らず、魚業等日本の1次産業は、価格形成に美味しさが、全くと言って良い程反映されない現状は、理不尽だと思うし、怒りを感じる。製造業では品質と価格は、基本的に密接に結びついている。食物の場合、姿も形も大事ではあるが、消費者が願う安全性とか、美味しさの評価が疎かにされている事は否めない。それらを打破する為に、お二人共に、販路の開拓に熱心である。美味しさに自信があるから出来るのであろうし、それと顔の分かる関係を強く望んでいるからだと思う。価格形成については、一朝一夕に改善はされないだろうが、我々消費者が食物に何を求めているかが問われていると自覚すべきである。

将来的には、野菜工場や、魚養殖工場など、完全に製造業の状態にすれば、安く安全に供給が可能。即ち、土壌、水等の完全な殺菌により、農薬を使用しない、餌に抗生物質を使用しない等々が実現出来ると思う。品質管理を徹底し、システムとして安全が保証出来る状態にすべきである。

それとは別に、高くても味が良く自然のままと、言う形態があるべきだろう。消費者は、その時その時に応じて選択すれば良い。最も、実現するには大変な開発費と年月が必要だろうが、太陽光の変わりにLED、あるいはファイバーに依る太陽光の導入とか、水のろ過技術等々部分的には、解決されつつあるものも、存在するし、現在でも、小規模な野菜工場もあるし、山の中でうなぎとかひらめの養殖を行っている。

消費者が求めるものは、継続的に、安全で、美味しくて、妥当な価格のものである。それを目指して、生産者も消費者その為の努力が求められていると思う。

因みに、藤沢産のみやじ豚、野菜、果物(超大粒ぶどう藤稔)の試食は本当に美味しかった!

 
市民記者 No.309 古川裕康
 
■コラム: きらきらのあの日
「飛鳥と私 横浜の海はキラキラと」
2008年10月17日

ダウァーン、ダァーン、ダンと銅鑼が鳴った。桟橋のワー、アー(実際は行ってらっしゃい、元気でね、さようなら等々だと想像)との声が大きく成った様だ。

2006年4月4日16時飛鳥II最初のワールドクルーズの出航だ。横浜港の大桟橋をゆっくりと、本当にゆっくりと離れて行く。自身が船上に居る事が夢の様で信じ難い気持ちだ。

思い返せば、2004年の夏頃だったか、銀座での説明会に出席しその場で、翌年は満室だったので、翌々年の申込をした。飛鳥でのワールドクルーズは退職後の夢だったので、何とかして実現したいと強く思っていた。

朝、起きて、やはりビデオカメラは持って行こうと思った。今までは海外、国内を問わず基本的に持って行かない主義だった。何故なら、自分の目で見るのが一番だし、大事だと思っていた。然しながら、ワールドクルーズは恐らく2度と行けないだろうから、やはりビデオに撮っておこうと思い直した。さあ、それからが大変で自宅近くのKに行き、価格交渉を済ませカメラを受け取ろうとしたら、「在庫が無い」と言われたが、海老名店にあるとの事で、自宅に戻り乗船の支度をして、海老名経由で横浜の大桟橋に14時に、汗だくで到着した。

シャンパンの酔いが心地好い、ベイブリッジを16:15分頃に通過。船速は9.6ノット。横浜港を出る迄は船首に居たが風が猛烈に強かった。娘達に携帯メールした。乗船して直ぐに船内の各施設(フイットネスジム、ラウンジ、シアター、ジャグジー、PCルーム等々)を見て回ったが、元々方向音痴なので、位置の把握は直ぐには無理で、まあ、長い航海だから徐々に憶えていけば良い。

これから、「友達は出来るだろうか」「退屈しないだろうか」「体調管理は大丈夫か」等々の事が頭を過ぎり、不安である。乗船時に自身に誓ったのは「誰にでも親切に」「誰にでも、出来る事はする」である。期待と少しの不安でドキドキである。

夕食は早速お友達になった、神戸のDさんと一緒で、私より一回り上の明快の人である。神戸には寄らないから、横浜から乗ったと言っていた。神戸には寄るものと信じていたので、吃驚。 自身では緻密な性格と思っていたが、ビデオの件と謂い、どうやらいい加減な性格だと最近思い出した。反省?

石廊崎沖を22時頃航行、携帯メールはOK、御前崎沖を23時頃航行、携帯は圏外。23時半揺れが結構ある、今から風呂に入って寝る。機会があれば、続きを書きたいと思っています。

飛鳥に関する基本的事項は下記を参照下さい。 
郵船クルーズ     URL URL http://www.asukacruise.co.jp/index.shtml
飛鳥II−Wikipedia    URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5II

 
 

古川裕康


生まれは大阪だが、湘南在住44年、20代は江ノ島でシーホース(ヨット)を操り、全国大会にも出場。毎年出かける海外旅行の極めつけは18ヶ国25港を巡る飛鳥IIワールドクルーズ。その航海日記をネタに、コラムを構想中。茶道に将棋(3段の腕前)、毎月2〜3本は見る映画と趣味は多彩。



 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。